松浦理英子が語る“すぐれた批評家・理論家でもあった中上健次“
『親指Pの修業時代』で第33回女流文学賞を受賞し、最新作『最愛の子ども』で話題をさらっている作家・松浦理英子の才能を、いち早く評価したのが中上健次でした。すぐれた批評家でもあった中上への”思い”を今、改めて松浦理英子氏が語ります。
第1回三島賞選考で松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』を推した中上健次
自らの著作だけでなく、多くの他作家の作品の批評を行い、各社新人賞の選考委員を務めた中上健次。新潮社が新たに興した新人賞「三島由紀夫賞」の選考委員も第1回から4回まで務めていました。
その第1回受賞作は高橋源一郎氏の『優雅で感傷的な日本野球』でしたが、中上健次は松浦理英子氏の『ナチュラル・ウーマン』を強く推しています。
その選評で中上は
「私が推した松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』は、女性のホモセクシャルを扱っている。ホモ・セクシャルとは読んで字の如し、同質の性関係のことであるが、まず抑制された文章がよい。(中略)ホモセクシャル=ナチュラル・ウーマンを別の言葉で置き換えるなら、いい女、というところか。日本文学という手ばなしの母性礼賛の土壌、さらに小さ神礼賛の土壌に、松浦理英子が突き出したナチュラル・ウーマンの意味は大きい」(昭和63年7月「新潮」より)
と、作品を激賞しました。
中上健次を小説家であると同時に、すぐれた批評家、理論家でもあったと語る松浦氏の“先輩作家”への思いを、熱く語っています。
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1992年、岸新宮市長(当時)と対談する中上
中上文学の神髄を語る(10)
中上健次がいた頃
松浦理英子
読者からも同業である小説家からも信頼され敬愛される小説家はその時代その時代にいるのだろうと思う。しかし、中上健次ほど多くの読者・小説家から強い信頼と敬愛を寄せられた小説家はいるのだろうか。そんなことを考えるのは、一九七〇年代後半から没年の一九九二年に至るまで、中上健次という小説家を取り巻いていた熱気を私が肌で憶えているからだ。
その熱気の全体像を描くのは手に余るので、ここでは中上健次より十二歳年下の後輩作家である私がこの大きな背中を見せてくれていた先行作家にどんな眼差しを注いでいたか、一つの具体例として書き留めておくことにしたい。
中上健次を知ったのは、一九七六年の初め、芥川賞受賞の際の記者会見の模様を伝える新聞記事によってである。そこで中上健次は居並ぶ記者たちに「男というものはお天道様の下で汗を流して働くものだ。あなたたちみたいなのは男じゃないよ」というようなことばを突きつけていた。正直よい印象は持てなかった。性別で人間をこうあるべきと決めつけることも不快だし、決めつけの内容も古風に過ぎると感じた。
中上健次が決して俗流のマッチョではないと知っている今では、あの発言は相当に誇張されたジャーナリズム向けの売り文句、煽り文句の類であって、それよりも、ある種の正統的な男性像を演じて見せる中上健次の自己プロデュースぶりに注目すべきかと思う。けれども、素朴な高校生であった当時の私は「この男は私の敵に違いない」と(ほんとうにこの通りのことばで)考えた。
そうした抵抗感が取り払われたのは、翌年刊行された、中上健次の次に芥川賞を受賞した村上龍との共著『中上健次vs村上龍 俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、――』を読んだ時だった。
本のメインである対談の中で、中上健次は村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の感想を述べているのだが、村上龍の独特の書き方を具体的に指摘したそれは、私が読んだことのあるどの批評よりも文章に対する感覚が繊細で、文章や小説が時代や個人の資質や理論など多彩な要素から成り立つ混沌としたものであることを鮮烈に示していて、小説家の読み方とはこういうものなのかと打たれるとともに、どうやらこの中上健次という小説家はすごい人のようだ、と思い、作品の方も読み始めたのだった。
さらにその翌年、一九七八年に、私は文学にまつわる事柄で、最も驚き最も啓発されたものの一つである中上健次の発言に出会うことになる。私は応募した文學界新人賞の最終候補に残り、デビューの直前だった。たまたま手に入れた『文學界』に掲載されていた中上健次、津島佑子を始めとする若手作家たちの座談会の中にそれらはあった。
のっけから「物語にも定型がある」と言い出した中上健次は、「物語、あるいは小説は、絶えず子供の視点である」「父親の視点で書かれたものは一つもない」「小説の主人公たちは、すべて私生児、孤児である」と論を展開する。文学理論的なものは私も好きで若輩者なりに学びもし考えてもいたけれど、全く思いがけない観点であったし、私がなじんでいた西洋文学流のありきたりな教養からは決して出て来ない考え方だと直感的に思った。
何よりも、それらは文学の孕む不自由さ、弱さ、いやらしさの指摘であり、口にすることで小説家自身が追い詰められ苦しくなるような、たいへん危うい発言だった。議論の当否よりも、文学と自分自身を同時に斬りつける中上健次の、文学に対するこの上なく真剣で誠実な姿勢に震える思いがした。これこそがすべての小説家が倣わなければならない態度であると今も信じている。
中上健次は小説家であるのと同等にすぐれた批評家、理論家でもあった。実際、精力的に小説を執筆するだけではなく、終生文学にまつわる刺戟的な発言を続けていた。批評家としては、時に手ひどい批判もしたけれど、他の作家の作品を親身に読み込み、評価する作品は惜しみなく讃えて業界の注目を呼び寄せた。とりわけ新人作家に親切で、女性作家が軽んじられていた時代に女性作家をも好んで読んだ。そういう人物であったからこそ、同業者からの信望が厚かった。あの頃、中上健次に作品を読んでほしいと願わなかった後輩作家がいるだろうか。
一九七八年にデビューしたものの十年近く芳しい評価をほとんど得られなかった私を、一九八八年三島由紀夫賞の候補に推薦し選評で論じてくれたのが中上健次だった。深く感謝するとともに、私もまたいつかまだ世に認められていない作家の力になることができれば、と考えた。小説家としての資質は随分異なるとしても、中上健次的な精神の破片は確実に私に突き刺さっている。
松浦 理英子
Rieko Matsuura
1958年生まれ。愛媛県出身。青山学院大学文学部卒。小説家。
1978年「葬儀の日」で第47回文學界新人賞を受賞しデビュ-。1994(平成6)年『親指Pの修業時代』で第33回女流文学賞、2008年『犬身』で第59回読売文学賞を受賞。主な著作は『セバスチャン』『ナチュラル・ウーマン』『裏ヴァージョン』『奇貨』『最愛の子ども』、エッセイに『ポケット・フェティッシュ』など。
またP+DBOOKSから『裏ヴァージョン』が復刊されたばかりである。
おわりに
“若い才能”の発掘に注力していた中上。松浦氏の『ナチュラル・ウーマン』を三島賞選考で推した僅か5年後に夭折した中上は、本能的に自分の“残り時間”を悟り、新しい才能を見出すことに熱心だったのかもしれません。
松浦理英子氏のエッセイが収録された中上健次 電子全集17『エッセイ集 1980年以降』では、昭和から平成にかけて”疾走”した中上の晩年のエッセイが完全収録されています。
中上健次 電子全集17『エッセイ集 1980年以降』
昭和から平成へ・・・作家としての覚悟と決意を語った「もうひとつの国」等、中上の“最後の叫び”が凝縮された1巻。
『時代が終り、時代が始まる』は、昭和の時代のカウントダウンが開始された頃のエッセイ。一九八七年、沖縄国体ソフトボール競技会場で起きた「日の丸焼棄事件」に反応した作家は、時代の潮目を読むアンテナを備えた一人のシャーマンでもあった。
長篇エッセイ「もうひとつの国」は、韓国、バリ島と旅を続ける作家の自作とその風土の解読としても刺激的な内容である。中上健次はここで、和歌山県新宮市の土木建設業者の親族が中心的な役割を果たした、現実の「路地」の解体=再開発を目の当たりにして、作家としての覚悟と決意を語っているのだ。虚構空間としての「路地」は、言うまでもなく「現実の路地」(被差別部落)と深く切り結んでいた。あるいは、ここで語られた「熊野」とは、もとより世界遺産指定以前の、「中心」に回収されることのない熊野である。
『バッファロー・ソルジャー』のタイトルは、ジャマイカのレゲエ歌手ボブ・マーリーの歌から取られている。Buffalow soldier brought to America–。
終わりなき旅を続ける中上のフットワークは、衰えを知らない。
初出:P+D MAGAZINE(2017/09/20)