思い出の味 ◈ 夏川草介
その老人は、一言で言えば、大変な患者であった。薬は勝手にやめる。肝臓が悪いのに大酒を飲む。外来は連絡なしで休むし、電話をすると「うるせえ」と怒鳴り声を上げる。私とて医師である前に人間であるから、時として「なめんじゃねえ」と怒鳴り返してやりたくなるのだが、そろそろ堪忍袋の緒が切れる頃合いを見計らったかのように、年に一度必ず老人は土まみれの紙袋を持って外来に現れた。中身はいつも、いささか度肝を抜かれるほど見事な松茸なのである。
松茸といえば、言うまでもなく秋の味覚の王様である。それがいかに美味であるかを語ることは、初めての胃カメラがいかに辛かったか嘆くことと同じくらいありふれている。今さら解説すべきことは何もないはずだが、かくも著名な松茸と、私が受け取った山の幸は明らかに別物であった。土瓶蒸しにしてもバターソテーにしても揺るがない芳醇な山の香り。口に入れた途端に溢れる旨味は、圧倒的でありながら、淡雪のように清く儚く消えていく。食感は思いのほかに複雑で、ほどよい弾力の向こうにサクリと落ち着く先があり、そのすべてが混然となって心地よい。山の幸も、海の幸に劣らず、新鮮さが命であったということだ。
三年もの間、老人は毎年この贈り物を届けてくれた。そうして四年目の夏、ついに入院した。持病の肝硬変が悪化して動けなくなったのである。脳症のために意味の通らぬ発言も増えていく中で、しかし「松茸」という言葉が出ると、妙に目に鋭い光が戻った。どうやら地元でも有名な松茸山の持ち主であったらしい。
ある日病室で、ふいに老人が私に告げた。「すまんが次の松茸は無理らしい」と。戸惑う私に「でもな」とすぐに声が続いた。「うまかっただろ?」。言わずもがなの言葉である。「最高だった」と答えれば、老人はかすかな笑みを浮かべて、ゆっくりとうなずいた。亡くなる二週間前のことであった。
三年もの間満喫した秋の味は、もうずいぶん遠い記憶となりつつある。しかしあの日どこか楽し気に山を見上げた老人の横顔は、不思議と鮮明に覚えている。