夏川草介『君を守ろうとする猫の話』

夏川草介『君を守ろうとする猫の話』

「ようこそ、新たな迷宮へ」


 本書『君を守ろうとする猫の話』は、2017年に上梓した『本を守ろうとする猫の話』の続編である。1冊目と2冊目の間に7年もの月日が流れているのは、よほど構想に苦しんだとか、血の滲むような努力の末になんとか書き上げたとか、そういう苦労話があったわけではまったくない。ただ単純に、私の仕事場である医療現場が忙しすぎただけである。ただでさえ外来から病棟、急患に至るまで、傍若無人に呼び出される職場であるのに、そこに新型ウイルスが襲来して、数年間は目も当てられない生活であった。そのあたりの実情については、しかし他書に十分に書き留めたからここでは深入りしない。猫の話に戻ろう。

 本書は、少女と猫の冒険譚である。主人公は前作の高校生の少年から、中学生の少女に変わったが、猫の方は犬や鳩になったわけではない。皮肉屋のふてぶてしい三毛猫は、今回も健在である。この風変わりな猫とともに、ひとりの少女が、次々と消えていく本を取り戻すために旅立つことになる。ただ、それ以上は説明が難しい。説明や要約ができないほど無駄を省き、最小限の言葉と表現で書き上げたためである。

 今、世界では人と人との衝突が日常化し、少しずつ息苦しい空気が増しているように感じられる。信頼や共感は沈黙し、詐欺と腕力が物を言い、幸福は快楽と混同され、貯金の残高が人間の価値を決めるかのような様相を呈し始めている。少なくとも私は、そう感じることが少なくない。ただの偏狭な妄想だと笑いたいが、医療という小さな世界においてさえ、日常的に人間の攻撃性を目の当たりにしていると、笑い飛ばすことも容易でない。やむを得ずこの問題と向き合い、考え、煩悶し、その思索の旅程を、猫と少女の冒険に託した次第である。

 ずいぶん壮大な話だと思われるかもしれないが、そんなことはない。むしろ卑近で身近な物語である。前作同様に今回も、諷刺や諧謔にくわえて、様々なオマージュを作中に盛り込んでいるが、格別の深読みも必要ない。ただ、書棚に囲まれた長い通路を、猫とともに歩いて欲しい。通路の先には、不気味な城が待ち構えている。城に入るために、特別な許可証がいるわけではない。必要なのは、いくらかの勇気と想像力だけである。この二つを携えて、物々しい城門をくぐってくれる読者には、歓迎と感謝の意をこめてささやかな一言を贈りたい。

 ようこそ、新たな迷宮へ。

 


夏川草介(なつかわ・そうすけ)
1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒。長野県にて、地域医療に従事。2009年「神様のカルテ」で第十回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。同作で10年本屋大賞二位。「神様のカルテ」シリーズは三度映像化された。他の著作に『神様のカルテ2』『神様のカルテ3』『神様のカルテ0』『新章 神様のカルテ』『本を守ろうとする猫の話』『始まりの木』『臨床の砦』『レッドゾーン』『スピノザの診察室』などがある。

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君を守ろうとする猫の話

『君を守ろうとする猫の話』
著/夏川草介

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