思い出の味 ◈ 岩井圭也
第35回
「手前味噌ですが」
我が家の冷蔵庫には、母が手作りした味噌が常備されている。実家ではなかなか消費できないらしく、頼むと定期的に送ってくれる。
母は料理が趣味で、よく家族のためにお菓子を作ったり、近所の友人を集めてパンを焼いたりしていた。私と妹は母のお菓子を食べて育ち、一人暮らしをはじめてからもパンを送ってもらった。
味噌を作りはじめたのは、たしか私が高校生くらいの時だった。手順はこうだ。
まず大豆を洗って水に浸し、十分に水を吸ったら鍋で煮上げる。それから、手動式のミンサーという機械で豆を潰す。これが結構な重労働だった。
煮た大豆をミンサーの受け皿に入れて、横付けのハンドルをぐるぐる回すと、ミンチ状になった豆が吐き出されてくる。大量の煮豆を潰すため、延々とハンドルを回す。家庭用の軽くて小さいミンサーもあるらしいが、我が家にあるのは鈍色に光る仰々しい代物だった。大きさは電子レンジくらいあり、両手で持ち上げるのがやっとの重さだった。
家に居合わせると、たいていこの作業を手伝う羽目になった。金属製の重いハンドルを回し続けるのは疲れるし、退屈だったが、妙に親孝行をしているような感覚はあった。実際はほんの少し味噌作りを手伝っていただけなのだが。
台所に漂う煮豆の匂いを嗅ぎながら一心不乱にハンドルを回しているうち、ミンチ状の煮豆がかけがえのないものに見えてくる。いずれ自分の身体の一部になると思えば、なおさらだ。
潰した大豆は塩切り麹と混ぜ、保存容器に詰める。空気に触れないようラップをかけ、日のあたらない場所で一年ほど寝かせれば味噌の完成である。
こうしてできた味噌は格別の味だ。味噌汁や煮物に使うと、発酵した大豆の風味が野菜や魚の味を引き立てる。出汁と合わされば芳しい香りが鼻に抜け、自然と舌になじむ塩気がご飯を誘う。
ミンサーのハンドルを回す、重たい手応えを思い出す。あのちょっとした作業の記憶こそが、私にとっては最大の隠し味なのかもしれない。
岩井圭也(いわい・けいや)
1987年生まれ大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年『永遠についての証明』で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。他の著書に『夏の陰』、『文身』、『プリズン・ドクター』がある。
〈「STORY BOX」2020年9月号掲載〉