思い出の味 ◈ 望月麻衣

第40回

「憧れの紅茶専門店」

思い出の味 ◈ 望月麻衣

 デビューする前、私はまだ幼い子の育児に奮闘する専業主婦でした。子どもを幼稚園に送り出した後、執筆した作品を小説投稿サイトに掲載し、更新するのが何よりの楽しみという毎日。

 そんな当時の私には行ってみたいお店がありました。洋館のようにお洒落な佇まいの紅茶専門店です。そこのアフタヌーンティーセットが評判で、一度食べてみたいと思っていました。

 しかし日々節約して生活している専業主婦にはハードルが高い。

 そこで私は、投稿サイトが主催している小説賞を受賞できたら自分へのお祝いにその店へ行こうと決めていました。というのも、ちょうど自分の作品が最終選考に残っていたからです。

 ですが、結果は落選。どん底まで落ち込んでしまいました。家族の前では暗い顔ができないので、一人の時にむせび泣き、それでも浮上できず、私はあの紅茶専門店に行こうと思い立ちました。

 そうして前にした初めてのアフタヌーンティーセット。三段の皿には、下段にサンドウィッチ、中段にスコーン、上段にバウムクーヘン。花の香りがする紅茶が、鼻腔をくすぐります。

 下段のサンドウィッチから手に取る。そしてサクサクのスコーン、バウムクーヘン。熱い紅茶が体に染み渡る。美味しい。とても美味しい。暗い谷底に光が射したような気がしました。

 私はこの時、本当につらい時こそ美味しいものを食べるべきだと強く思いました。

 こんなにつらいのは、自分がそれだけがんばった証。そんな自分を讃えて労うことも時には必要に違いない。

 食べ終えて、紅茶を飲み干した頃、私は随分回復していました。また、がんばろう、という気持ちで店を出たのです。

 その後、私はなんとデビューすることができました。今や執筆がお仕事です。原稿に行き詰まり、逃げ出したくなる時、私はあの日を振り返ります。

 そして、がんばらなきゃ、という気持ちになる。あの時のアフタヌーンティーセットはそんな思い出の味です。

 

望月麻衣(もちづき・まい)
北海道出身、京都府在住。『京都寺町三条のホームズ』(双葉社)が第四回京都本大賞を受賞しアニメ化される。他の著作に『わが家は祇園の拝み屋さん』(KADOKAWA)『満月珈琲店の星詠み』(文藝春秋)などがある。

〈「STORY BOX」2021年2月号掲載〉

青山七恵『みがわり』/自分と瓜二つの人間の伝記小説の執筆を頼まれた作家の物語
コロナ禍を経た2021年。いま読むべきディストピア小説3選