思い出の味 ◈ いとうせいこう

第49回

「交差する記憶」

思い出の味 ◈ いとうせいこう

 おふくろの味とよく言うし、自分の実家にもそれらしきものはある。

 例えば正月に母親が作る粕汁。酒粕の中にシャケの切り身が入っていて、大根や人参が溶けるくらい煮込んであってアツアツである。十数年前、それを私は「母の味」だなあとつくづく思い、レシピを聞いて自分でも正月料理にした。

 だがよく考えてみると、子供の頃の私が酒粕など食べ得たとも思えない。しかも確かに幼少期の記憶にその料理は存在していないのである。

 釈然としなくなったある正月、実家に顔を出して粕汁をすすりながら「僕が小さい頃はこれ、なかったよね?」と聞いてみた。すると答えは「さあ。そうかしら」であった。しかたなくまだ存命中であった父にも聞いたが、その答えもまた「どうだったかなあ」だった。

 それはそうだ。それは彼らが生活している中で自然に作られ、おそらくどちらかの祖父母が正月に食べていたような粕汁が再現されたのである。しかし「粕汁記念日」など家庭にはない。だからなんとなく食卓に出たし、たまたま実家に戻っていた年の私がそれを食べたのだ。

 同じようなことは私が大人になって長く住んだ浅草にまつわってもあって、子供の頃私たち一家は葛飾柴又の方に暮らしており、正月にはちょっとしたハレの気分で浅草寺へ出かけたものなのであった。そこで私は雷門通りにあったはずのラーメン屋で「わかめラーメン」というものを食べた。その名の通りわかめがどっさり入った醤油ラーメンで、私はそれ食べたさに浅草に出かけるような気分を数年味わったほどである。

 ところが数十年経って、私が正月にふと「わかめラーメン」の話をすると、母は知らないと言った。驚いて父に助けを求めると首をかしげている。そもそも両親は浅草でラーメンを食べたことさえないと言わんばかりで、では私の思い出の味とはなんなのかと絶句したものだ。

 だがそれら記憶のずれを含めてこそ「家族の味」だと今では思う。各自の思いが食卓で交差したことが重要なのだ、とかえって懐かしく感じるのである。

 

いとうせいこう
1961年生まれ。出版社の編集者を経て音楽や舞台、テレビなどでも活躍。88年『ノーライフキング』でデビュー。13年『想像ラジオ』で野間文芸新人賞受賞。著書に『存在しない小説』『福島モノローグ』等がある。

〈「STORY BOX」2021年11月号掲載〉

新刊『世界でいちばん弱い妖怪』収録▷「黄金人間」&表題作まるごとためし読み!
◎編集者コラム◎ 『らんたん』柚木麻子