辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第10回「1歳9か月児の試練」
裏では、1歳9か月の娘が
がんばっていた。
──と、夫が考察したところによると、おそらく夫の実家に義姉が訪ねてきたことが原因だという。母親と同じ年代の女性を数日ぶりに見て、私のことを思い出してしまったらしいのだ。「あれ、そういえばどこに行ったんだろう……?」と。なるほど、それは確かに母親の不在を意識するきっかけになりうるかもしれない。
そして再会の日。私は朝からずっとそわそわしていた。あと数時間で、ようやく娘に会える! 私のこと、忘れてないかな? どんな反応を見せてくれるかな? 私が弟を抱っこしてたら怒るかな? 車の中でまた寝ちゃったりしてないかな? 入院中、何も娘にだけ会うのを禁じられていたわけではなく、もちろん夫とも5日ぶりに顔を合わせるのだけれど、頭に浮かぶのは娘のことばかり。何せ、娘が生まれてから、日中保育園に預けることはあっても、一晩と離れたことがなかったのだ。1歳の子と別々に過ごす5日間は、大げさではなく、大人同士の数か月に相当する。
病院には、夫と母と娘の3人が迎えにきてくれた。感染対策のため、産院のロビーに入れるのは夫1人のみで、母と娘は車で待機してもらう。
半ばドキドキしながら、息子を抱えたまま車に駆け寄り、ドアを開けた。勢いよくマスクを外して顔を見せると、直前までぐずって泣いていたらしい娘の顔が、瞬く間にぱあっと輝いた。
まあ、見事なまでの泣き笑い。
興奮で脚をバタバタさせ、手を伸ばしてチャイルドシートから出たがる娘の姿を一目見ただけで、心の底から温かいものがわき上がってきた。思わずこちらがもらい泣きしそうになる。
嬉しかった。忘れられてなんかいない。娘は私のことを、ずっと待っていてくれたのだ。
産院前での写真撮影のついでに娘をしっかり抱きしめてから、車に乗り込んで自宅に帰った。正直、勝負はここからだと思っていた。突如現れた新生児に、娘が敵意を燃やすのではないかと危惧していたのだ。例えば、授乳中に弟を私の胸から引き剥がそうとするとか、嫉妬して頭を叩こうとするとか、新生児のお世話に追われる私に延々と抱っこをせがむとか。娘はまだ1歳で、母親に甘えたい盛り。まだ言葉もほとんど通じないから、なおさら、無理やり行動で示そうとする可能性が高いのではないか。
その予想は、思いもかけない形で裏切られた。娘はとんでもなく「いい子」で、「お姉ちゃん」だったのだ。
まるで、弟が生まれることを最初から分かっていたかのようだった。弟の●●くんだよ、と新生児を近づけると、身をよじって照れたように微笑む。わざわざ私の手を引っ張ってベビーベッドのそばまで連れていき、抱っこを要求して、寝ている弟の顔を高い位置から覗き込もうとする。希望が叶っていざ弟の姿が見えると、恥ずかしそうに私にしがみついて肩に顔をうずめ、再びニコニコと笑う。ソファで授乳している間は、隣に寝転がったり、首に手を回して私の背中にくっついてきたり、弟の小さな手や背中にちょんと指先で触れてみたりはするものの、怒って邪魔をしようとする気配はまったくない。それどころか、ベビーベッドに寝ている新生児が泣き出すと、離れたところで家事をしている私の手を引っ張って知らせようとしたり、授乳クッションを私のところへ引きずってきてくれたりする。読み聞かせしてもらいたい絵本を選んで持ってきたのに、授乳中で私の両手が塞がっていると見るや、空気を読んで引き返していったこともあった。
人が、人を受け入れる過程。これまで気づいてもいなかった娘の成長に、思わず目を見張った。
恐れていた赤ちゃん返りはなかった。息子は無事に生まれ、娘もすんなりお姉ちゃんを自覚し、すべてが順調。──そう思っていた。
\第42回吉川英治文学新人賞ノミネート/
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』が第42回吉川英治文学新人賞候補となる。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『トリカゴ』など多数。