【いつの時代も愛される相棒】俳人による“犬の俳句”7選
愛らしく無邪気な犬の姿は、いつの時代も創作意欲を掻き立てるものであったようです。小林一茶や飯田蛇笏ら、著名な俳人による「犬の俳句」の名句をご紹介します。
人間のペットや相棒として、はるか古代から愛され続けてきた犬。散歩途中の犬や飼い主をうれしそうに出迎える犬の姿を見ると、どれだけ疲れていても気持ちがすこし上向く、という人も少なくないかもしれません。
犬は、猫と同じく文士たちに愛され、しばしば創作物の代表的なテーマとなってきました。今回は、古今東西の犬の姿を詠んだ俳句のなかから、名句を選りすぐって7句紹介します。
1.“春風や犬の寝聳 るわたし舟”
これは江戸時代を代表する俳諧師のひとり、小林一茶による一句です。平易で親しみやすく、それでいて強く印象に残る光景を巧みに詠む一茶。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」「やせ蛙負けるな一茶是にあり」といった俳句を国語の教科書で知り、記憶している人も多いのではないでしょうか。
この句は、春風が気持ちよく吹く日、リラックスした様子の犬が渡し船の上に寝そべっているという、なんとも可愛らしくのどかな様子を描いています。過剰に誇張したり技巧的な表現を使ったりせず、あるがままの風景を詠む一茶らしい、のびのびとした名句です。
2.“曳かるる犬うれしくてうれしくて道の秋”
これは、高浜虚子に師事し、俳句雑誌『ホトトギス』の同人として活躍した俳人・
飼い主にひかれて歩いている犬の息遣いがそのまま聞こえてくるかのようなこの句。“うれしくてうれしくて”というストレートな言葉がとても効いており、いまにも跳び回らんばかりの躍動感が伝わってきます。犬の犬らしい一面を、シンプルに真正面から切り取ったような作品です。
3.“栗咲けりピストル型の犬の陰”
昭和期に活躍した俳人・
この歌では、“ピストル型の犬の陰”という異様な表現が非常に効果的に使われています。犬という愛くるしく従順な生きものの、荒々しい野生的な側面に着目したかのような一句。三鬼らしい、オリジナリティと生命感に溢れた作品です。
4. “残菊に犬も淋しき顔をする”
機関誌『女性俳句』を創刊した戦後の女流俳人・
“残菊”は秋の季語で、晩秋にひっそりと咲き残っている菊を表します。一般的にうれしさや無邪気さの象徴として詠まれることの多い犬さえも“淋しき顔”をするという表現からは、木々も葉を落とし、肌寒くなってきた季節のなんとも言えない寂寥感がありありと伝わってきます。
5. “犬がものを言つて来さうな日向ぼこ”
『ホトトギス』の同人として活動し、高浜虚子に師事した俳人・京極
日向のあたたかさを“犬がものを言ってきそう”と評したこの句も、まさに微笑ましく愛らしい一句。犬の毛並みのあたたかい色と日向の明るい光が、ぱっと目に浮かぶようです。
6.“犬よちぎれるほど尾をふつてくれる”
種田山頭火と並び、自由律俳句(定型や季題に縛られずに作られた俳句)を代表する俳人・尾崎放哉による一句です。「咳をしても一人」「こんなよい月を一人で見て寝る」といった代表句を持つ尾崎の作品からは、自由さと生への素朴な感動が感じられます。
一見、あまりにも「そのまま」に思えるこの句ですが、“尾をふる”ではなく“ふってくれる”という表現を選んでいるところからは、放哉のやさしい眼差しと生命力へのあこがれが伝わってきます。とにかくうれしそうな犬の様子と比べ、詠み手はどこか寂しそうな、一歩引いた視点に立っているような印象もあります。
7.“生き疲れただ寝る犬や夏の月”
明治から昭和期にかけて活躍した俳人・飯田
人間関係や仕事の煩わしさに気力をそがれ、“生き疲れた”としか言いようがない気分になったとき、ペットがただ眠っている姿に癒やされた経験を持つ人も多いのではないでしょうか。この句はまさに、そんなホッとする一瞬を詠んでいます。のびのびと眠る犬と明るく大きな夏の月を重ねている点も、句の雄大さを加速させています。
おわりに
犬という生きものが無邪気さやうれしさ、生命力の象徴である点は、いつの時代も変わらないようです。そんな犬の姿をあるがままに詠んだ句の穏やかさも魅力的ですが、“栗咲けりピストル型の犬の陰”、“残菊に犬も淋しき顔をする”といった、犬の見知らぬ一面にスポットを当てるような俳句もユニークに感じられたのではないでしょうか。
これらの俳句を鑑賞していて、自分でも作句をしてみたくなった犬好きの方もいるかもしれません。ぜひ、今回ご紹介した7名の俳人の句を味わいつつ、新たな名句を考えてみてください。
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初出:P+D MAGAZINE(2021/12/28)