辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第23回「侮るなかれ、マタニティブルー」

辻堂ホームズ子育て事件簿
周囲の妊娠ラッシュで
知った「産後ケアホテル」。
これからは一般的になるのかも?

 2023年1月×日

 先日、30歳になった。2人の子のママになって約1年、逆にまだ20代なのが不思議だ~、くらいに軽く考えていたけれど、いざ年齢欄に「30」と書くようになると、ちょっとずっしりくるものがある。

 そんなわけで周りもいよいよ出産ラッシュだ。この年末には、クリスマスから大晦日までの1週間に出産予定日を迎える友人がなんと3人もいた。そわそわしながらLINEや Twitter や Instagram や Facebook のアプリを開きまくる日々。無事に生まれた赤ちゃんたちは、ひとりはクリスマスイブ、ひとりは年末、ひとりは三が日生まれになった。誕生日はどんな日だって素晴らしい。みんなおめでとう。

 そんなクリスマスイブ生まれの男の子のお顔を、先日拝ませてもらいに行ってきた。ほやほやの新生児。小さい。あったかい。可愛い。尊い! 自分の第2子が生まれたときもそんなエッセイを書いた気がするけれど、あれからもう1年以上が経ったと思うと感慨深い。1歳2か月になった息子は、最近はニヤニヤしながら得意げに立ち、偉業を成し遂げた自分に拍手し、積み木を積み、2歳11か月のお姉ちゃんが大事に積み上げたお城を壊し、叩かれ、大泣きし、「まんまぁ~」と助けを求めてくる(ちゃんとママを呼んでいるのか、泣いた弾みに唇が二度触れあっただけなのか、本当のところはまだ不明だ)。

 新しい家族を迎えて幸せいっぱいの友人たちを目にする中で、自分の産後の記憶が改めて蘇ってきた。以前にも少しだけ書いたけれど、特に第1子を出産してからの1か月は、まるで自分が自分じゃないみたいだった。どういうことかというと、感情の振れ幅があまりに大きいのだ。病室から綺麗な朝焼けを見て泣く。子どもを取り上げてくれた助産師さんと再会してちょっと言葉を交わしただけで泣く。妊娠中は我慢していた大好物のアナゴ寿司を約1年ぶりに食べて泣く。果ては自分が書いた小説のラストシーンを読み返しただけで泣く(普段なら絶対に、絶対にありえない)。

 上記はネタにして笑い飛ばせる〝いいほう〟の例だけれども、〝悪いほう〟だってあった。里帰り先にやってきた夫と久しぶりに言葉を交わしたときや、何気なくテレビを見ているときなどに、何の前触れもなく、漠然とした感情が押し寄せるのだ。何と表せばいいのだろう。不安? 緊張感? 大きなものに押しつぶされそうな気配? 恐ろしいものがせり上がってくる感じ? 原因は睡眠不足くらいしか思い当たらず、子どもは可愛くて仕方ないのに、不穏な影は唐突に忍び寄ってくる。なるべくそばにいてほしい、離れないでほしいと夫に懇願して、困惑されたりもした。それもそうだろう。自分で言うのも変だけれど、私はあまり人に依存しないタイプで、体力的にも精神的にも強いほうだ。性格が反転したような言動をしていることに、私自身が一番ショックを受けていた。

 この状態こそがマタニティブルーと呼ばれるものであると気がついたのは、症状が落ち着いてしばらく経ってからだった。自治体や病院からもらった妊娠ガイドブックにもきちんと書いてあったのに、まさか自分が、と頭の外に追いやってしまっていたのだ。当事者であるうちは、客観的になれない。同時期に出産した友人も深夜に毎日泣いていたと聞き、やっと真相を理解したのだった。

 そんな体験から1年ほど経った頃、奥さんが妊娠したという夫の友人と話す機会があった。「とにかく産後は徹底的に優しくしてあげてください! 人格が変わっても、ホルモンバランスのせいなので怒らないでください! その時期の奥さんは奥さんじゃないかもしれませんが、じきに戻りますから!」と、すかさずお願いしてしまった。まだ子どもが生まれてもいないのにそんなことをいきなり言われて、きっと面食らっただろう。なんだか申し訳ない。知らないよりは、知っておいてほしかっただけなのだ。


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辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)

1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。最新刊は『二重らせんのスイッチ』。

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