辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」最終回「卒業」

辻堂ホームズ子育て事件簿
ついに連載が終わる。
後ろ髪を引かれる。それはそうだ。
この物語は始まったばかりなのだから。

 前回の原稿で宣言したとおり、このエッセイの連載は今日で〝卒業〟だ。

 だけど子育てそのものは、まだまだ続いていく。入園、卒園。入学、卒業。進学、就職、結婚(するかどうかも含めて)。この先、子どもの人数分だけ私たち夫婦の人生にもイベントが訪れるのだと思うと、やはり子どものために生きるのも悪くないものだな、と思う。やがて子どもが子どもでなくなり、さまざまな理由やタイミングでこの家から巣立っても、それはそれでまた、私の人生の道しるべになってくれる新たな節目なのだ。3人の子ども(と夫?)のおかげで元の4倍(5倍?)の体積に膨れ上がった人生が、これからどこをどう転がっていくのか、今から楽しみでならない。

 ただ……巣立ちといえば、長女がこのごろ可愛いことを言う。「大きくなったら何になりたい?」と尋ねると、将来の夢とかじゃなく、「ママといっしょのおうちにいたい」と答えるのだ。どうやら先日『トイ・ストーリー3』を初めて見て、おもちゃたちの持ち主であるアンディが大学進学を機に家を出て一人暮らしを始めるというストーリーにひどくショックを受けたらしい。当初は「わたし、ずっとママといっしょにすみたいから、だいがくにはいかない。こうこうをそつぎょうしたら、はたらく」と言っていたのが、途中で「大学生=一人暮らし」という図式の誤りに気づいたらしく、このごろは「ずっとママといっしょにすみたいから、わたし、とうきょうのだいがくにいこうかな」に変わってきた。ちなみに卒業後は、ママと同じ家に住みながら、自宅の近くでお寿司屋さんを開業する予定らしい。

 ……ありがとう。

 いつか気が変わる日が必ず来るだろうけれど、一生の思い出にするね。

 さて──この最終回みたいなテンション(実際そうなのだが)とは裏腹に、目の前には相変わらずとりとめもない日常が流れている。この文章を執筆している今日が慣らし保育の最終日なのだけれど、一応、何事もなく予定どおりに終えられそうだ。年長さんにして園でのお昼寝を初体験して嬉しそうな長女。新しい担任の先生の名前が「ぶどう先生」だと思い込んでいた息子(かすりもしていない)。生後2か月から保育園に通っていたから2回目の慣らし保育なんて余裕かと思いきや、どのクラスメートよりも先生の腕の中で反り返って泣き叫び続け、ただひとり慣らし保育延長の可能性を言い渡されていた次女(すんでのところで回避)。新居では息子がさっそくウォッシュレット噴水事件を起こし(通過儀礼的なやつなのか?)、長女は「しょうわのひ、ってなに?」とカレンダーを見ながら去年とまったく同じ質問をしてくる(「えらいひと、たんじょうびはやいんだね!」と、昭和天皇が4月生まれであることにいたく感心していた)。

 結局子育て開始から5年以上が経っても、子どもたちはまだ私の職業を知らない。こんんなふうに日常が公になっていることも知らない。「ママは本をたくさん持ってるから(そりゃあね)、たまに周りの人に分けてあげてる(自著の見本をね!)」くらいに思っているようだ。「お仕事」というのは「パソコンでやる何か」であり、そこにデータサイエンティストの夫と小説家の私の仕事の区別はない。さらには、自分たちはまだ子どもだからパソコンの劣化版である学習用のタブレットが支給されていて、大人になったら自動的にパソコンがもらえると思い込んでいるようだ。

 確かに、親の仕事に対する理解なんてそんなものだった気がする。私も幼い頃、日曜大工が趣味の父親の姿を見て、「わたしのおとうさん、だいくさんだよ!」と幼稚園の友達に言いふらしていた。本当はサラリーマンなのに。というわけで、私もしばらくは、「本配り屋さん」として生きていこうと思う。

 小説のラストシーンを書き終えたとき、「やっと書けた! すっきりした!」と爽快感に包まれる場合と、「まだ書いていたかったなぁ……」と後ろ髪を引かれながら筆をおく場合がある。

 このエッセイは後者だ。

 それはそうだ、と思う。だって、物語はまだここで終わりではないのだから。

 引っ越し前の幼稚園に最後にお迎えにいった夕暮れ時、帰路につく車の中で、長女が窓の外に見えるすべてに別れを告げていた。

 ようちえーん、ばいばーい。

 おうちさーん、ばいばーい。

 奇しくも車内に流れているBGMは、放送された日には全国の親が朝から涙に咽ぶという「おかあさんといっしょ」の名曲、「ぼよよん行進曲」。

 おみせさーん、ばいばーい。おいしいごはん、ありがとうございまーす。

 このみちー、ばいばーい。

 ──そして。

 この子育てエッセイも、ばいばーい。

 

(「辻堂ホームズ子育て事件簿」は今回で終わりです。
長らくご愛読ありがとうございました。
連載を抜粋・改稿したものを今秋書籍化予定です)


*辻堂ゆめの本*
\注目の最新刊/

『ダブルマザー』書影『ダブルマザー
幻冬舎

\大好評発売中/
山ぎは少し明かりて
『山ぎは少し明かりて
小学館
 
\祝・第24回大藪春彦賞受賞/
トリカゴ
『トリカゴ』
東京創元社
 
\第42回吉川英治文学新人賞ノミネート/
十の輪をくぐる
『十の輪をくぐる』
小学館文庫

 『十の輪をくぐる』刊行記念特別対談
荻原 浩 × 辻堂ゆめ
▼好評掲載中▼
 
『十の輪をくぐる』刊行記念対談 辻堂ゆめ × 荻原 浩

\毎月1日更新!/
「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ

辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)

1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『ダブルマザー』(幻冬舎)。

武内昌美さん × 古矢永塔子さん「スペシャル対談」◆ポッドキャスト【本の窓】
◎編集者コラム◎ 『覇王の轍』相場英雄