椹野道流の英国つれづれ 第37回
真面目な校長先生が見たら、さすがに怒りそうな光景ですが、ボブも私も気にしません。
個人レッスンは、当面の目的を「英語でリラックスして会話ができるようになること」としたので、共にジュースを飲むことも、リラックスの手段……ということにできるからです。
濃い紫色のジュースは、まさに「甘酸っぱい」という陳腐な表現しか思い浮かばない、わかりやすい味でした。
ぶどうとベリーの中間くらいの味、といえばわかりやすいでしょうか。とても濃厚なジュースです。
ボブは、美味しそうにジュースを飲みながら、こう言いました。
「昔から、風邪をひきかけたらこのジュースを飲むんだ、我が家は」
「そうなんだ?」
「ビタミンCが効くんだよ。日本ではそうじゃないの?」
「そう……ええと、日本でも……ビタミンCは……」
ボブに問われて、私は小首を傾げました。
確かにそういう話はよく聞くけれど、それを言うなら、ビタミンAだって、ビタミンDだって……と、思わず医学生らしい知識を頭から引っ張り出していると、ボブはフッとストローから口を離し、人差し指を立てて左右に小さく振ってみせました。
「チャズ、君のそれ、僕はよくないと思う」
「えっ? 何のこと?」
いきなりの指摘に、私はストローをくわえたままキョトンとしてしまいます。
ボブは、一息に残りのジュースを飲んでしまってから、小さく咳払いして、机越しに私のほうに少しだけ身を乗り出しました。
「君、少し前に言ってたでしょ。午前のクラスで、ディスカッションが上手く出来ないって。何となく理由がわかる気がするよ」
私は、飲みかけのジュースを脇にどけて、膝に両手を置きました。なんだか、ボブがとても大事な話をしてくれようとしている気がしたからです。
「君が思う、ディスカッションが上手くできない理由、もう一度、僕に言ってみて」
促され、私は正直に答えます。
「前と同じことだけど。そもそも……私、ディスカッションに慣れてない。っていうか、自分の意見を他人に言うことに、慣れてない」
ボブは、眼鏡の奥の青い目をちょっと見開き、両手を軽く上げました。ホワーイ、のポーズです。
「それ、僕には信じられないことだけど、ベリーベリージャパニーズだね。この学校に来た数少ない日本人の生徒たちは、決まって困った顔で微笑んでるばっかりで、なかなか喋ろうとしないし、議論にも入ってこなかった。でも君は、英語が喋れるのに。今、僕らは英語で会話をしているよ? そして、君はちゃんと自分の考えを口にできている」
「それは……そう。英語だと、言いやすい」
「それは、どうして?」
「英語だから」
「チャズ、待って。僕は『ゼン』には詳しくないよ。その答えは哲学的すぎる」
ボブは、小さく噴き出しました。私は慌てて謝ります。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。