椹野道流の英国つれづれ 第37回
「ごめんなさい! そうじゃなくて。えっと……えっと、そう。英語だと、ソフトな表現を知らないから……凄くシンプルな言葉で話すしかない。だから……言いやすいの」
「なるほど」
「だけど……ええと……ディスカッションだと……みんなが色んなことを言うから……それを聞いて……」
私が説明を試みるのをじっと聞いていたボブは、今度は片手を軽く上げて、私の話を途中で止めました。それから、真剣な顔でこう言いました。
「まさに今の、君の話し方。それがたぶん、最大の問題なんだ」
「えっ?」
「レッスンを始めた頃から、ずっと感じてはいたんだ。そのうち改善されるかと思ったけどダメみたいだから、ハッキリ言ったほうがいいみたいだ。君、少し会話が弾んで、具体的な話になると、話し方が物凄くゆっくり……いや、切れ切れになるよね」
「だって、それは……相手の言うことを聞いて……意味を理解して」
「ほら、今も。思うに君は、僕が喋る英語を聞いて、頭の中で、まず日本語に翻訳している?」
「そう」
私は、ハッキリと頷きました。だって、そうしないと理解できないじゃないですか。
「そして、チャズ。僕に返事をしようとするとき、君はもしかして、まず日本語で言いたいことを組み立てて、それを頭の中で英語に翻訳してから声に出している? そういうこと?」
「勿論」
「勿論、じゃないよ」
悪びれない私の返事に、ボブは、今度こそ声を上げて笑い出しました。
えええー? どっちも当たり前では? そうしないと外国語で会話することなんてできないのでは?
でも、ボブは、まだ可笑しそうな顔で首を横に振ります。
「それじゃ会話にならないよ、チャズ。僕は教師だから、生徒の君がどれだけモタモタ喋っても付き合う。それが仕事だからね。君が週末会うリーブさんだっけ? そのご夫妻も、留学生慣れしているから、大丈夫なんだろう。だけど、君が街で会う人たちはそうじゃない。教室の中で一緒にディスカッションする他の生徒たちもそうじゃない。君の言葉をじっと待つ理由は、彼らにはないよ。みんな、そんなに暇じゃない」
「う」
ド正論です。返す言葉もありません。
「敢えて厳しく言うけれど、君のそのモタモタ喋りは、とてもバカみたいに聞こえる。相手によっては、イライラするだろうね」
それは、後頭部を激しく殴られたようなショックでした。
ボブはずっと温厚で優しくて、とても根気強い人だったからです。
信頼している先生に、唐突に「お前の喋り方はバカみたいだ」と指摘されたら……それはもう、凹むどころのショックではなく。
石像のように固まってしまった私は、ギュッと下唇を噛みしめました。そうしていないと、泣きだしてしまいそうだったからです。
でも、笑いを引っ込めたボブは、そんな私の顔を覗き込んで、こう言いました。
「大丈夫。それを直すのが、僕の仕事だからね。君は本当はクレヴァーな女の子なんだから、ガンガン喋れるようになって、君を軽んじているクラスメートたちを見返してやろう。今日のレッスンで、君は少し変わるよ! ここからは、毎日進歩していく。大丈夫、僕を信じて」
本当に? それは願ってもないことだけれど、いったいどうしたら、私はちゃきちゃき英語が喋れるようになるというんでしょう。
怖々訊ねた私に、ボブがいとも簡単そうに告げた解決策は、私に「そんなの無理!」と叫ばせるのに十分なものでした……。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。