椹野道流の英国つれづれ 第38回
「それだけど。ボブに、喋り方を注意されたのは、何日前?」
「ええと……5日前、かな」
「凄いね。もう、少しよくなってるよ」
「本当に?」
驚く私に、アレックスは真顔で頷きました。
「本当に。ちょっとテンポが速まって、受け答えのタイムラグが少し短くなってる。ええと、何だっけ。そう、『誰かが英語で言ったことを頭の中で日本語に翻訳して、返事を日本語で考えて、また頭の中で英語に翻訳してから喋る』? 君、僕と話すとき、ずーっとそうしてきたの?」
「そう。この国に来てからずっと。アレックスだけじゃなくて、誰と話すときもそう。まさか、それが変なことだなんて、少しも思ってなかった」
恥じらいながら返事をすると、アレックスは小さく首を横に振りました。
「ちっとも変じゃない。誰だって、母国語でものを考えるのが当たり前じゃないか。僕がもし日本語を学ぶことになったら、やっぱり自然にそうすると思う」
「ほんと?」
「たぶんね。でも……まあ、想像するだに大変だよね。会話のたびにそんなややこしいことをしていたなんて。喋るの、嫌になっちゃうね。できたら、もっと楽に話せるようになったほうがいいよね。今はつらい努力だと思うけど、トライする甲斐はあると思うよ」
ああもう、どこまでも優しいアレックス。
私をフォローしているのは当然、厳しいことを言ったボブの真意も、私にやんわり伝えようとしてくれているのがわかります。
大丈夫、わかってますとストレートに言うかわりに、私はこう答えました。
「翻訳しないで。日本語で考えるのをやめて。英語を英語のままで理解して、最初から英語で考えて喋りなさい。……ボブにそう言われたとき、絶対無理って叫んじゃったし、今もまだ無理」
「そりゃそうだよ。とても難しいはずだ」
「でも、私には絶対、それが必要なんだと思う。それに、英語を喋るのを怖がって、アレックスが助けてくれるのをいいことに、楽をしていたのも本当。だから、今日の放課後、銀行にまずはひとりで行って、交渉してくる」
オーケー、とアレックスはいつもの笑顔を見せました。
「僕は君の決断を尊重するよ。でも、いつでも僕はここにいるからね。全部ひとりでやろうと思わないで。そして、必ず結果を報告に来て。いいね?」
「わかった!」
アレックスに返事をしたその勢いのままに、私は放課後、ブライトンの中心部に向かいました。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。