椹野道流の英国つれづれ 第5回
「もうすぐよ」
「楽しい時間を過ごせるといいわね」
「ここはいい街よ。あなた、きっと大好きになるわ」
そんな優しい言葉を私にかけてくれる一方で、リーダー格の老婦人は、バスの前方に向かって、いささか嗄れた声を張り上げます。
「ちょっと、行き過ぎないように気をつけなさいよ!」
「うるせえよ、婆さん。わかってる!」
運転手の返事も運転もいささか荒っぽく、バスはガクンと揺れて、急に減速しました。
目的地が近いようです。
私も老婦人たちも、遊園地のアトラクションに乗り込んだときのように、あるいは海の海藻のように同じ方向に揺れました。
でも、そんなことすら、何だか私たち全員に一体感が生まれた証拠のようで、妙に心強く。
ああもう、ずっとこのバスに乗っていたい。頼もしい先輩がたが与えてくれる、この安心感に包まれていたい。
おばあちゃんズ、最高!
しかし、どんな出会いも、最終的には別れに辿り着くのです。
バスはついに、バス停でも何でもない路肩に停車しました。
サングラス姿の運転手が、上半身を乗り出して、怒鳴るように教えてくれます。
「ここだぞ、お嬢ちゃん! こんなとこで停まってるってオフィスにチクられたら、俺はマジでヤベェんだ。とっとと降りてくれ」
そりゃそうだ!
私は慌てて荷物を抱え、立ち上がりました。そして、「三人の善き魔女たち」と呼びたいような老婦人たちに、深く頭を下げました。
「ありがとうございました!」
顔を上げると、老婦人たちはシワシワの顔いっぱいで笑ってくれていました。
「早く行きなさい」
「元気でね」
「きっとまた会えるわよ」
そんな言葉に送られ、運転手さんにも「本当にありがとうございました」と心からのお礼を言って、タラップを降ります。
道路に立つなり、背後でシュッと扉が閉まり、振り返ったときには、もうバスは走り始めていました。
本当に、ヤバいルール違反だったんだと思います。
バスの後の大きな窓からは、三人の老婦人が、何やら口を動かしながら、笑顔で盛んに手を振ってくれています。
何を言っているかはわからなくても、きっと素敵な言葉ばかりでしょう。
自然に、ぼろんぼろんと、涙がこぼれました。
バスが緩い坂の向こうに消えてしまうまで、私は泣きながら、日本語で「ありがとうございました」と繰り返しながら、背伸びして目いっぱい大きく手を振り返し続けました。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。