荒木あかね『此の世の果ての殺人』

謎の魅力

荒木あかね『此の世の果ての殺人』

 今年五月、ミステリーの老舗新人賞として知られる江戸川乱歩賞に荒木あかね『此の世の果ての殺人』が選出された。二三歳七ヶ月での受賞は、一九五四年創設の同賞において史上最年少だ。本作は、探偵&助手が連続殺人事件の謎を解く本格ミステリーである。ただし物語の舞台は、人類滅亡が決定付けられた世界だ。


『地上最後の刑事』から学んだこと

 二〇二三年三月七日、直径七・七キロメートルを超える小惑星テロスが熊本県阿蘇郡に衝突する──。約二ヶ月後に人類が滅亡する世界で、二三歳の小春は福岡県太宰府市にある自動車学校に通っていた。彼女の「小さな夢」を叶えるために。「ほんと変わった子だよね、ハルちゃん」と言いつつ、小春の教習に付き合うイサガワ先生もだいぶ「変わった」人だ。そんな二人が、教習車のトランクから滅多刺しされた女性の死体を発見する。警察署に駐在していた警察官は、近隣地区で似たような死体が二例見つかっており、連続殺人事件の可能性を指摘する。しかし、本格的な捜査をするには人員が足りない。前職が刑事だったイサガワ先生は、自らの手で捜査に臨むことを決意する。車の助手席に、「助手」役のハルちゃんを乗せて。

 物語を着想したきっかけは、大学卒業の前後から就職一年目の春にかけて、作家自身が福岡で教習所通いをしていたことだったと言う。

「私は運動神経がにぶいので運転も得意ではなくて、通うのがつらくなってしまったんです。その気分を切り替えるために、〝もしもこの自動車学校を舞台にしたミステリーを書くとしたら、どんな話になるだろう?〟と想像するようになったんですね。教習車のトランクの中から死体が見つかり、教官と生徒がその謎を追うという展開がすぐ浮かんだんですが、現実そのままでは警察が捜査の主導になっていくために難しい。警察の機能が停止している状態であれば可能なんじゃないかという発想から、人類を滅亡させることにしました(笑)」

 小惑星衝突による人類滅亡は、古今東西のフィクションが手がけてきた〝終末もの〟の王道と言える設定だ。

「一週間後に隕石が落ちて地球が滅亡する世界でラブストーリーを書かれた、新井素子さんの『ひとめあなたに…』が大好きで、これまで何度も読み返してきました。新井さんに読んでいただけたら嬉しいという思いが、新井さんが選考委員を務めてらっしゃる江戸川乱歩賞に応募した理由の一つだったんです。同じような設定を自分で書くならば、他にも小惑星が衝突する小説をもっと読まなければと思い、手当たり次第に読んで勉強しました。中でも影響を受けたと思っているのは、ベン・H・ウィンタースさんの『地上最後の刑事』です。主人公の刑事が変死体の謎を追うミステリーなんですが、この小説を読んだことで、世界観を練り込んで土台をしっかり作れば作るほど、その上に乗る物語が面白くなるんだと気が付きました」

世界観を掘り下げると新しい展開が生まれる

 謎、人物造形、終末の世界観──三つのルートから、作家は着想を大きく膨らませていった。

 ミステリーとして最も大事なポイントは、謎の魅力だ。

「読者の方が最後まで追いかけたいと思うような、冒頭の〝大きな謎〟を魅力的にしたいという意識は強かったです。殺されたのは教習車のトランクの中に入れられた人だけだろうか、いや、他にも何か事件は起きていそうだな、もしも連続殺人事件であるとすればどうしてそんなことが起きたのか……と想像をどんどん広げていきました。そこには〝どうせもうすぐみんな死ぬのに、なぜ殺人なんて起こしたの?〟という謎もくっついている。まずはとにかく謎を広げられるだけ広げて、限界近くまで達したところで、今度はその謎を自力で解いていくような感覚でプロットを組み上げていきました」

 それと同時に、人物造形も深めていった。

「犯人像も大切でしたが、探偵役がどういう人であればこの謎と物語全体を魅力的にしてくれるだろうかと考えました。まず主人公のハルは消極的なタイプで、両親がいなくなった実家で引きこもりの弟と一緒に暮らしていて、すごく優しいお姉さんというわけではないんだけれども弟のことを気にかけている。ハルの相棒になる人は対照的な性格にしたいなというところから、おしゃべりで、正義感が強くてぐいぐい引っ張っていくイサガワ先生の設定ができあがりました。ただ、正義感が強いという設定を掘り下げていくうちに、〝どうしてそこまでして事件を解決しようとするの?〟という疑問が出てきて、正義感とはまた違うイサガワ先生自身の持つ欲望みたいなものが見えてきたんです」

 連続殺人事件の犯行現場巡りを始めたハルとイサガワ先生が、偶然出会い行動を共にすることになる了道兄弟の存在は、物語に新しい色合いを付け加えている。

「仲間はたくさんいたほうが、道中は楽しいかなと思ったんです(笑)。了道兄弟が出てからは物語がちょっと明るくなったと思いますし、どんなに絶望的な状況でも生きていたら笑うことだってあるし、楽しいことも絶対になくなりはしないし、困っている人がいたら手を差し伸べたくなる。変わってしまった世界にある変わらない日常、人々の中に変わらず存在する人間らしさが、二人のおかげでより濃く表現できたかなと思います」

 そして、第三のポイントが、終末の世界観の追求だ。

「事件の謎や登場人物たちの動きをまとめたプロットとは別に、世界観についてを箇条書きにまとめたファイルも作っていました。自分でも面白いなと思ったのは、世界観のファイルにメモした〝ケータイの電波が通じなくなったら、どうなる?〟という観点を掘り下げていくうちに、物語の進行にとって重要な展開が生まれたんですよ。世界観のディテールにしっかりと向き合うことが、物語を作り上げることにも繋がったんです」

 直感で掴んだイメージの中から新たな可能性を引き出す一方で、的確な疑問出しをする。だからこそ、謎と人物造形と終末の世界観が作中で反発せずに混じり合う。選考委員が本作の完成度の高さを絶賛したのは、必然だった。

二人の物語を完成させたい

 一九九八年福岡県生まれの荒木は、現在も同県に家族と暮らし、勤続二年目の新米会社員でもある。小説を書き始めたのは、中学三年生の時だ。

「学校の図書室にムック本の『オール・スイリ2012』が入っているのをたまたま見つけて、借りてみました。そこに収録されていた有栖川有栖さんの『探偵、青の時代』という短編を読んだ瞬間、火村英生が謎を瞬時に見破る思考の行程に驚いて〝こんなに面白い小説があったんだ〟と思うのと同時に、自分でも書いてみたいという気持ちが出てきました」

 その後はさまざまなミステリー作品を読むようになったが、有栖川有栖は特別な存在であり続けた。

「長編を最後までちゃんと書き上げられるようになったのは、大学生になってからでした。数週間かけて有栖川有栖さんの『双頭の悪魔』の構造分析をしたことがきっかけで、物語の進め方やミステリーの仕掛けの作り方を学ぶことができたんです。受賞作は、自分にとって完成にまで至った三作目の長編でした」

 実は、原稿の大部分を書き上げながらも「面白くないかもしれない」という不安が巻き起こり、三ヶ月ほど別の小説に取り掛かっていた時期があるという。

「そちらの原稿がうまくいかなくて、また戻ってきたんです。作品から一旦離れたことで頭がスッキリして、読み返した時に改善点がはっきり分かりましたし、何より私はこの作品が好きなんだなと感じました。特にハルとイサガワ先生に愛着があって大好きで、この二人の物語を完成させたい、それができるのは私だけなんだと思ったんです」

 作家が手にしたその愛の感触は、本作の読後感とよく似ている。この物語や登場人物たち、人間という存在そのものが愛おしくなる。

「小説を書いていることは家族にも秘密にしていたので、自分の作品を他の人に読んでもらう経験はこれまで一度もありませんでした。受賞して初めていろいろな方から自分の小説についての感想をいただいて感じたことがあります。自分一人で書き上げることはできても、誰かに読んでもらわなければ小説は完結しない。書いたものが誰かに届いて、その人の中に何かが生まれるところまでが、作家としての私の仕事なのかなと思うんです」


此の世の果ての殺人

講談社

小惑星「テロス」が日本に衝突する──。世界が大混乱に陥る中、小春は自動車の教習を受け続ける。ある日、教習車のトランクを開けると、滅多刺しにされた女性の死体を発見する。教官で元刑事のイサガワとともに、地球最後の謎解きを始める。


荒木あかね(あらき・あかね)
1998年福岡県生まれ。九州大学文学部卒業。2022年、第68回江戸川乱歩賞を受賞した本作でデビュー。

(文・取材/吉田大助  写真提供/藤岡雅樹)
〈「STORY BOX」2022年10月号掲載〉

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