外山 薫『君の背中に見た夢は』◆熱血新刊インタビュー◆

家族というチーム戦

外山 薫『君の背中に見た夢は』◆熱血新刊インタビュー◆
 東京・湾岸地区のタワーマンションで暮らす3組の家族の情景を描いた長編小説『息が詰まるようなこの場所で』でデビューした外山薫が、一年ぶりとなる新作長編『君の背中に見た夢は』を発表した。前作は中学校受験を切り口にしていたが、今作でフォーカスを当てたのは、小学校受験だ。
取材・文=吉田大助

取材をしているはずが逆に質問を受けました

 外山薫は、別名義のツイッター(現・X)アカウントで続けざまに発表してきたいわゆる「タワマン文学」で一躍注目を集めた。タワーマンションに暮らす人々の勝ち組人生を揶揄してみたり、知られざる悲哀にそっと寄り添うような文章には、令和を生きる都市生活者のリアルがえげつないほどに刻印されていた。自身のツイートを元ネタにしつつ執筆したのが、小説家デビュー作となる『息が詰まるようなこの場所で』だ。このたび刊行された第2作『君の背中に見た夢は』は、ゼロベースから創造した初めての物語だ。

「タワマンの高層階に住む家族を象徴するエピソードの一つとして、小学校受験のことを前作でちらっと出したんです。その時に少し調べてみたら、めちゃくちゃ面白い世界だぞ、と。今や中学校受験はかなり人口に膾炙して、東京に住んでいる人たちにとって一般的になっています。でも、小学校受験に関しては、私自身も含め当事者だという人はまだまだ少ない。ここを掘っていけば、次の小説の題材になると思ったんです」

 耳にしたことはあるけれど、詳しい内実は知らない業界について知る。その楽しさへのアプローチは、題材選びこそエッジが利いているが、エンターテインメント小説の王道と言える。

「まずツイッターで新しいアカウントを作り、小学校受験関連のことをつぶやくアカウントを片っ端からフォローしていきました。自分から取りに行かなくても勝手に情報が入ってくるので、最初はラクでした(笑)。ただ、すぐ気づいたんですが、中学校受験とは違い、小学校受験は情報がクローズドなんです。表に出てくる情報が限られていて、しかも人によって言うことが全く違う。その後、ツイッターで知り合った方を中心に小学校受験に関わる10人ぐらいとお会いして話も伺ったんですが、逆にこちらが質問を受けることもありました。〝あの塾はペーパーテスト重視ってほんとですか?〟〝あの学校の評判はどうですか?〟と。それくらい、情報の希少価値が高い業界なんですよ」

小学校受験を経験して家族の絆が深まった

 主人公は、東京・文京区の狭小住宅に暮らす37歳の新田茜。彼女は大手化粧品メーカーの広報部で働きながら、5歳の結衣と2歳の進次郎の子育てに励んでいる。キー局の政治部記者である夫の総介は、仕事にのめり込んでいて家庭をあまり顧みない。〈子供が生まれてから、仕事で達成感を得た記憶がない〉。そんな彼女が従姉妹に、子供の小学校受験を勧められたことから物語は動き出す。

「文京区の家族を選んだ理由は、名門小学校がいっぱいあり、都内で中学校受験率が一番高く教育に関心がある家庭が多いからです。文京区で戸建てだと1億円は超えてくるので、世帯年収2000万円超えのパワーカップルにするのが正解かな、と。小学校受験では両親がその学校の出身か、あるいは紹介者がいるかという縁故の有無が重要になってくるんですが、今回は縁故を持たないフリーの夫婦という設定にしました。そのあたりまで設定を固めたところで、小学校受験界隈のインフルエンサーの人のところへ話を聞きに行ったんです。〝共働きで年収はこのぐらい、縁故がないフリーの家庭の女の子だとしたら、志望校はこのあたりですかね?〟と。進路相談ですね(笑)」

 茜の視点を通して描かれる、小学校受験のリアルがとにもかくにも刺激的だ。老舗の幼児教室で行われている「お話の記憶」など高難度の授業、有名校を目指すならば「子供の身長と同じくらいのプリントを解く必要がある」という世知辛さ、合格率アップのための「課金」には上限がないという恐ろしさ……。幼児教室の大道寺先生は言う、「小学校受験で試されるのは子供ではありません。家族です」。親がどれだけ受験のために時間を費やし、子供と本気で向き合えるかが合否を分ける。

「仕組みとしては、中学校受験のほうが断然フェアなんです。偏差値という指標があり、試験の点数だけで合否が決まるわけですから。それに比べて小学校受験はそもそも縁故があるし、4月生まれは有利で早生まれが不利とかめちゃくちゃ理不尽な世界です。なおかつ、これは取材でお話を伺った皆さんが口をそろえて言っていた特徴なんですが、最終的には子供の戦いである中学校受験とは異なり、小学校受験は親の能力も重要になってくる。徹底的に家族というチームで戦っていく、チーム戦なんです」

 作中で登場する「夏を制するものが受験を制する」という格言は、小学校受験が家族のチーム戦であることを表している。夏休みに家族で旅行などをすることで、面接や願書に欠かせない「エピソード作り」がクリアできるのだ。この観点に立つと、小学校受験にまつわるアンビバレントな価値観が見えてくる。

「茜の地元の友達が小学校受験について、〝親の自己満じゃん。自分の子供をロボットか何かと勘違いしてるんだろうね〟と言う場面がありますが、あの言葉は私が元々持っていた意見でした。でも、取材を進めて一番驚いたのは、自分が子供の頃に受験した人であれ親として子供の受験に関わった人であれ、ほとんどの人が〝小学校受験をやって良かった〟と言っていたことなんです。端的に言えば、〝家族の絆が深まった〟と話してくれたんですよ。取材を通じて、ネガティブな印象がガラッと変わっていった。その驚きを、読者のみなさんにも体験してほしかった」

小説は趣味であり続けた方が、書き続けていくことができる

 小学校受験を題材にした本作は、家族小説でもあるのだ。だからこそ、主人公は「家族と共にある人生」について、幾度となく思考を巡らせている。

「30代女性のキャリアについても書きたかったんです。大学の同級生の女性たちと話をしていると、子供を産むまでは仕事をバリバリやっていたんだけれども、産んだ後のキャリア形成で悩んでいる。それはなぜかと因数分解すると、女性は家事や育児をやって男性は外で稼ぐ、みたいな価値観がいまだに根強くあるから。それはホワイトカラーの、ピカピカの一流企業に勤めている友達でもそうなんです。そういったアラフォー女性のもやもやっとした感じを、茜に投影しています」

 私はこんなに頑張っているのに、夫は、娘は、お互いの家族は……。茜の胸に芽生えていた思いは、小学校受験の煩雑さによって膨らんでいくこととなる。が、他ならぬ小学校受験が家族の絆を再認識させてくれるのだ。本作はシビアな現実を描きつつも、優しい物語となっている。

「エグい展開もいろいろ考えていたんです。成り上がり元ヤンキーの寛子とお嬢様の麗佳、というママ友との関係なんかももっとギスギスさせるつもりでした。でも、書いているうちにしっくりこなくて、ハートウォーミング寄りに鞍替えしたんですよね。これが作家として正しいのかどうかは分からないんですが、茜には幸せになってほしかったんです。それはたぶん、自分が茜に感情移入してしまったからだと思うんです。私自身も東京でひいひい言っている共働き世帯の、子供を持っている親の一人ですから」と苦笑い。書き終えた今振り返ってみれば、この物語の中には、自分自身の人生のかけらがたくさん詰まっていたと言う。

「自分は常に、客観視しながら生きているところがあるんです。昼は結構真面目に働いているんですが、サラリーマンとしてキャリアを積むためにはどうしたらいいか、こういうポジションに就くためには上の人にどうアプローチするかと、常に損得を気にしている。〝そういう生き方って、ストレスが溜まるよね〟とか〝別のやり方もあるんだけどね〟ということを、自分とは全く違うけれどもどこかで繫がっている登場人物たちに向けて書くことで、昇華させているところがあるんだと思います。家族やいろいろな人間関係に関しても同様で、他人になりきって他人の人生を書きながら、現実の自分が抱えているモヤモヤを晴らしているんだと思うんです」

 外山薫にとって「小説と共にある人生」こそが、最適解なのだ。

「私にとって、小説は趣味なんです。これが本業になってしまうと、つらいところや我慢しなければいけないことが多々出てきてしまう。だから、仕事は絶対に辞めません。小説は趣味であり続けた方が、これからの人生でずっと書き続けていくことができると思うんです」


君の背中に見た夢は

KADOKAWA

「この子たちに選択肢を与えてあげられるのは世界で一人、私だけだ」大手化粧品メーカーで働く新田茜は、ある日従姉妹のさやかの影響で、中学受験回避のための小学校受験に興味を持つように。 テレビ局記者の夫を持ち、世間的にはパワーカップルと呼ばれる茜たちだが、お受験の世界はさらに上の富裕層との戦いだった。仕事と家庭の両立、協力してくれない夫、かさんでいく教育費、思い通りにならない子供たち。悩み葛藤しながらも、5歳の娘・結衣を名門小学校に合格させるため、茜はどんどん小学校受験にのめり込んでいく。その先に見えるものとは──。東京で過酷なお受験に翻弄される家族の物語!


外山 薫(とやま・かおる)
1985年生まれ、慶應義塾大学卒業。


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