真藤順丈『われらの世紀 真藤順丈作品集』
小説の噓と真実
戦後の沖縄を舞台にした青春群像小説『宝島』で第一六〇回直木賞受賞の栄誉に輝いた真藤順丈が、同作刊行から丸三年のインターバルを経てついに受賞後第一作『われらの世紀』を世に送り出した。「真藤順丈作品集」という副題からも明らかだが、長編を主戦場としてきた作家にとってキャリア初となる独立短編集だ。
直木賞を受賞後何をしていたか
直木賞受賞の大イベントを含むこの三年間、作家は新刊を出さずにいったい何をやっていたか? 小説を書きまくっていた。
「長編の連載をいくつか同時に走らせていて、その他にも不定期連載やアンソロジー、短編などの依頼もあらかた引き受けていました。僕の場合、頭の中にあるアイディアの鉱脈が輝きや鮮度を失っていくのが怖くて、アウトプットの回路をたくさん開きたくなった。ある意味では、長い年月をかけて一作に絞って書けば傑作は書ける。それはわかったので良質な作品を量産する体制にスイッチしたかったんですが…」
たとえ連載が終わっても、加筆修正には時間がかかる。
「文芸誌に掲載したヴァージョンから本にするときは、最初から最後まであらためて加筆修正していきます。それが他の連載を進めながらだとできなかった。そうこうするうちに次の原稿の締め切りがやってくる。ようやく大渋滞が緩和されてきたところで、まず出すことにしたのが『われらの世紀』です」
短編集を作りたいという気持ちは、ある種の憧れとして以前から作家の胸の内にあった。
「読み手として長編より短編の方が好きかもしれない。初読みの作家はまず短編集を読んで、刺さったら長編に手を伸ばすという読書をしてきました。連作ではない純粋な短編集はとりわけ、作家のショーケースのようにさまざまな手札が見えるから。真藤という作家がわかる一冊にしたいという思いと、だからこそ生半可なものは出せないという思いがありました」
それが今回ついに編まれたのだから、自信のほどがうかがえる。
長編のクライマックスだけを取り出し短編に
二〇〇八年に『地図男』でデビューして以来、一三年間コンスタントに発表してきた短編の中から全一〇編を選ぶうえでの指針は、「うまくまとまっているものというよりは、内包するエネルギーが一定の高みにあるもの」。その結果、『宝島』刊行後の作品が多くを占めることになった。
「資料に当たって取材もして、史実に基づきながら想像力を使って書いていく虚実皮膜の物語、戦中戦後から始まる近現代史ものが何作か入っています。日本という国の成り立ちというか、何を取りこぼして何が間違っていたのか、どの時代がどんな真価を持っていたのかを、自分なりに探りながらエンタメに落とし込んでいく。これはどちらかというと長編の手法なんですが、圧縮をかけて短編のかたちでも追求しました」
作品集の入口となる第一編「恋する影法師」は、広島への原爆投下により熱死した人物が石段に残した影──人影の石がモチーフに採用されている。
「原爆の威力や非人道性を伝えるエピソードとして知られている、あの影は死の痕跡ではあるけど、そこに一人の人間がいたという生の痕跡でもある。ちいさな声しか上げられない、声を上げることすらできない個人の物語を描くというのは小説の一つのあり方ですが、あの影に寄り添うのは、その極地になるんじゃないか。悲劇をそのまま描くのではなく、幻想的で、寓話のようにも読めるように書きました。鉱山から採ってきた鉱物を磨きあげて、断面をカットして宝石にして差し出す、というこの作品集のなかでも短編らしい短編と言える。他の短編は〝鉱山そのもの〟を書こうともしているから(笑)」
その言葉通り、続く第二編「一九三九年の帝国ホテル」、第三編「レディ・フォックス」は一気にスケールが拡大し、大戦下を舞台にした冒険活劇となっている。特に後者は、全五六ページと収録作中もっともボリュームがあるが、よくぞこのページ数でまとまったなと驚かされる。〝密貿易の女傑〟として知られ、女狐──レディ・フォックスの異名を持つアイヌの女性、敦賀千晶の物語だ。
「北海道については、いつか開拓時代から戦後に至るまでの大河モノを書きたいと思っているんですが、この『レディ・フォックス』ではまず一本の長編のプロットをつくり、そこからクライマックス手前のエピソードを取りだして再構築して書くというやりかたを選びました」
敦賀千晶は北の大地でとれた豊穣な食糧を、本土へ運ぶことを試みる。だが、史実でも知られている通り、アメリカ軍は本土周辺の海に機雷を配置し、本土への人やものの流通を阻止する「飢餓作戦」を行っていた。
「真のクライマックスは、津軽海峡での機雷戦を描いた海洋アクションものになるところですが、その手前の陸路にフォーカスした。映画の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の影響もありましたね。その一方でこの作品の背骨になっているのは、実在した〝アイヌの女傑〟知里幸惠さんです。この人は口伝でしか伝えられてこなかったアイヌの伝承や神話を『アイヌ神謡集』にまとめて、言葉にして外に伝えるというすごく大きな仕事をなさった。こうした舞台装置や人物設定で書くことは、ともすれば虐げられてきた当事者に対しての搾取や寄生にもなりかねない。そうならないための自分なりの信条は、どれだけ当時を生きた人々と同じ時代を生きられるか、その人たちの生の感情を掴めるか、あるいは想像力で当事者になりきれるか、それらが果たせなければ書かない、ということです。もちろん絶対に越えられない壁はあるんだけど、自分なりにクリアができたと感じたなら、読んでもらう価値はあるものになると思ってます」
言葉を残さない時代で真実を語り継ぐために
全一〇編には他にあと二つ、明確な特徴がある。その一つは、芸人が数多く登場することだ。
「当初は、芸人縛りの連作にしようという構想があったんです。きっかけは井上雅彦さんが監修をなさっている『異形コレクション』で、『喜劇綺劇』という笑いがテーマのお題をもらって芸人の話を書いたことです(『終末芸人』)。現代が舞台のユーチューバーの話(『無謀の騎士』)を書いたのは、当初の構想の痕跡ですね。よそで戦後沖縄の芸能史をテーマにした作品も書いているんだけど、さまざまな歴史に潜っていくことで感じるのは、それぞれの時代で苦しみながら生きる人々を鼓舞してきた芸能や文化の大きさです」
日中戦争の頃に吉本興業と朝日新聞社が手を組み、芸人たちを「わらわし隊」として戦地へ派遣し兵士を慰問した──。史実に基づく「笑いの世紀」は、近現代史ものと芸能ものが合体した一作だ。
「第一回わらわし隊北支那班の柳家金語楼、花菱アチャコ、柳家三亀松といった当時の芸人オールスターチームと、彼らを取材する従軍記者の話を書くつもりだったんですが、資料に当たっていくとわらわし隊は思っていたよりもずっとプロパガンダ色の強いもので、そういう体制寄りのプロジェクトに対してアンチテーゼとなるような、ワイルドカードとしての架空の芸人をしのびこませたくなった。ぼくらの世代はお笑い番組で育ってきましたが、現代のいわゆるテレビ芸人に対するいらだちも影響したと思います。モニターを見てぺちゃくちゃしゃべったり、政府の肝煎りで仕事をしたり、街頭で飯をうまいと言うのが芸といえるのか。ある種の破滅型芸人のように、体制を蹴り上げるぐらいの迫力と胆力がない芸人は価値がないと思うんです」
もう一つの特徴は、全一〇編に共通している。「語り継ぐ」というモチーフの存在だ。
「お上が確信犯的に文書を捏造、改ざん、隠蔽して何も記録が残らないという時代に生きていて、物語を弾ませるホラを重ねながら、ある一面で真実を伝えていくというのが小説の果たすべき役割だと思います。語り、残し、記し、受け継ぐ。この物語はだれがなんの目的で語り、それをだれが受け取るのか、という意識はどんな作品を書いていてもかならず底流してきます」
その役割意識を遂行するためにも、カラフルかつパワフルな想像力を満喫できるこの一冊を皮切りに、どしどし新作を刊行していきたいと野望を語る。
「時間をかけてごついものを出す寡作な作家、というイメージは早く捨てたい(苦笑)。コストパフォーマンスは悪いけど一作一作が凄いという作家と、とにかく手数が多い量産型の作家、矛盾するけどその二つを両立することでしか、これからはスタジアム級で集客ができる作家にはなれないと思うんですよね」
短編ながら濃厚で、射程の長い全十編からなる。「笑いの世紀」「終末芸人」からは芸事への著者の思い入れが読み取れる。最後を飾る「ブックマン」は、〝語り継ぐ〟ことの表裏が規格外のエンタメとして描かれている。いずれにせよ、著者の近現代史への眼差しは熱く、やさしい。
真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)
1977年、東京都生まれ。2008年に『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞、『庵堂三兄弟の聖職』で日本ホラー小説大賞、2018年に刊行した『宝島』で山田風太郎賞、直木賞、沖縄書店大賞小説部門を受賞。現在、五つの文芸誌および電子書籍で長編小説を連載中。
(文・取材/吉田大助)
〈「STORY BOX」2021年7月号掲載〉