芦沢 央『神の悪手』

言葉と出合う、世界を広げる

芦沢 央『神の悪手』

 直木賞をはじめ各種文学賞へのノミネートが続く芦沢央が、最新短編集『神の悪手』で初めて将棋を題材に採った。
 ミステリーとしての驚きに満ちた全五編は、登場する棋士たちの内面に、作家である自身の心情や実体験が重ね合わされている。自他共に認める特別な一冊だ。


短編ミステリーは詰将棋に似ている

 第一編「弱い者」の主人公は、震災の避難所へ指導対局のボランティアにやって来たプロ棋士の北上だ。小学六年生ほどと思われる少年とのハンディキャップ戦のさなか、〈この子は、強い〉〈この子は本物だ〉と胸の高鳴りを覚える。ところが、少年はもうすぐ勝てるという局面で、誰の目から見ても明白な悪手を放ってしまう。一度ばかりか、二度までも。その裏には、悪手を指さざるを得ない動機があった。真実の一端を知ることで、北上は〈後頭部を強く殴られたような衝撃〉を受け、すべての謎が解き明かされた瞬間、〈電流のようなものが全身を駆け抜ける〉。驚きの連鎖にシンクロして心理描写のギアが二段、三段と上がっていく、芦沢ミステリーの真骨頂と言える一編で、本短編集は幕を開ける。

「この主人公は自分もかつて津波で両親を失った被災者だから、今回の被災者の気持ちがよくわかると思っている。でも、たとえ被災者だとしても、被害の大きさや年齢や性別の違いによって分断されてしまう。それをないものとして捉えるのは、非常に危険なことだなと思ったんです。その意識が、将棋の世界に厳然として存在する、ある格差問題と結び付いていって話の構想ができあがりました。棋士や関係者の方々に取材でお会いし、たくさんのお力添えをいただいたので、これを書くには勇気も必要でした。でも、だからといって批判的な視線を引っ込めてしまうのは意味がないと思ったんです」

 第三編「ミイラ」では、詰将棋の専門誌で添削指導を行っている常坂が、あまりにも不出来だった投稿作から透けて見える、一四歳の少年の孤独を推理する。

「〝棋は対話なり〟という言葉は、詰将棋にも当てはまると感じます。作者と解答者は顔を合わせることがないし言葉を交わさないにもかかわらず、問題を挟んで熱いコミュニケーションをしている。その熱さが、周囲の誰からも理解されず一人ぼっちでいる少年の心を救う。ある種の〝特殊設定ミステリ〟でもある、と個人的には思っていますね」

 第四編「盤上の糸」は、近年の将棋ブームのとあるトレンドをトリックに取り入れながら、盤上を睨む二者の視点からタイトル戦の一局を描き出した。

「将棋指しの視点から見える景色と感じる音や手ざわりは、人それぞれ違う。そこが書きたい、という思いは当初からありました。この短編では、挑戦者のパートとタイトルホルダーのパートで文章の質感も変えています。特に挑戦者である亀海要のパートでは、将棋の奥深さや怖さを、借り物ではない自分なりの言葉で表現してみたかった。発想の飛躍も必要でしたし、言葉選びの精度を上げることにはこだわりました。このところ、何を書くか以上に、何を書かないで表現するか、という意識が強くなってきました」

 今となっては信じ難いことだが、芦沢はほんの数年前まで、将棋に関しては全くの素人だったそうだ。

 ある時、将棋の世界には奨励会という育成機関があることを知った。半年かけて行われる三段リーグで上位二名に入れた者が四段(プロ)になれるが、満二六歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となりプロの道が断たれる──。

 実は、二〇一二年に『罪の余白』で第三回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビューするまで、芦沢は一二年にわたる投稿生活を続けていた。

知らないことを学んで自分の枠を壊していく

「夢のあきらめ方がわからなかったんです。デビューできなくても、今もきっと書き続けている。夢に人生を食い潰されることへの恐ろしさを強く感じてきました」

 奨励会の退会ルールは、残酷であると共に、夢をあきらめさせてくれる線引きにもなっている。その両義性に自身の過去が反応し、何かが書ける、と心が動いた。

「ただ、駒の動かし方すらわからない。奨励会の話なんて自分には書けるわけがない、と思ってあきらめていました。考えが変わったのは、『カインは言わなかった』(二〇一九年八月刊)という作品で、取材して書く楽しさを知ったことでした。あの時も最初は門外漢だったんですが、コンテンポラリーダンスの関係者の方々からお話を伺ったり、資料を読み込んだりしていくなかで、それまで自分の中になかった語彙とたくさん出合うことで、物語の世界がどんどん広がっていった。知らないならば学べばいいし、それが自分の枠を壊していくことにも繋がるんだ、と気が付いたんです。将棋教室の門を叩き、将棋の資料や定跡本を読み込んで、家族や友人と指したりネット対局をしたりしながら、将棋のいろいろな語彙をつかんでいくところから始めました」

 そしてついに筆を動かしたのが、本書の収録順で言えば二編目、表題作に当たる「神の悪手」だった。

「奨励会を題材に夢に食い潰されるという心理を書きたかったんですが、やはり私はミステリーというジャンルが好きなので、将棋を題材にしなければ書けないようなミステリーにもしたかった。確か将棋の本を読んでいた時に、これまでの将棋の歴史の中で残されている棋譜は何万局とあるけれども、一つとして同じ棋譜はないという事実を知りました。〝このことをアリバイトリックに使えないかな?〟と思いついたんです」

不格好でみっともなく手探りであがきながら

「神の悪手」は犯人視点で語られる、いわゆる〝倒叙もの〟だ。奨励会三段リーグ九期目の岩城啓一(「俺」)は、すでに昇段の目はなくなっていた。しかし、最終日に行われた暫定トップの神童・宮内冬馬との対局で、大善戦を見せる。

 前日の夜に姿を消した先輩棋士・村尾康生が残した、対宮内戦の必勝の棋譜通りに対局が進んでいるからだ。〈神は、自分に味方しているのかもしれない〉

 だが、勝敗を決める局面で、究極の選択を迫られる。棋譜通りでは悪手だが、棋譜とは異なる一手を放てば、勝てるかもしれない。そのかわり、棋譜の存在を前提にして組み立てた、自身の犯罪のアリバイ工作は脆くも崩れ去る──。

「三段リーグに入ったものの、ままならない状態にある主人公には、私自身の作家としての心情が一番乗っています。入ってみたらよくわかったんですが、小説界は化け物だらけ、天才だらけなんですよ。自分みたいな凡人がどうやって勝負できるのかと、この主人公のように悩んだこともありました」

 自分なんか消えてしまいたいとさえ思っていた主人公が、それでも戦い続けることを選ぶ。どうしようもないくらい自分らしい自分を最後に見つける。その場面を書いた瞬間、これまでにない感情が爆ぜた。

「私は小説を書いていいんだ、小説家をやっていける、と自分自身を肯定する気持ちになれました。不格好でみっともなくて、手探りであがきながら小説と向き合っている私にしか書けない物語がある、そう思えたのがこの表題作を書いた時だったんです」

 収録作の中で最後に書いたのが、第五編「恩返し」だ。将棋界には、弟子が師匠に勝つことを「恩返し」と呼ぶ。この風習を、将棋の駒を丹精込めて作り上げる、駒師の師弟関係に転用し、意外な人間ドラマを築き上げた。この一編の主人公にも、小説家としての気持ちを乗せている。

「前の本(短編集『汚れた手をそこで拭かない』)で初めて直木賞にノミネートされて、落ちた経験が反映されています。選評では厳しい意見もあったんですが、私よりもずっと長い間小説というものに向き合ってきた先輩方が、私の小説を読んで感想を口にしてくださった。そのこと自体が、とてもありがたいことだなと感じたんです。落選すると、いろんな人から、賞は結果にすぎないから、となぐさめられるんですよ。でも、私は賞は手段だと思っているんです。もっと自分の書ける物語を広げていくための」

 将棋の世界は、今後も書き続けていきたいと言う。

「『神の悪手』を書く時に、一九九八年から二〇二一年までの、将棋界にまつわる架空の年表を作ったんです。〝ここではこんなドラマがあったはずだ〟というアイデアや予感が、たくさんありますね。ミステリーであるかどうかにこだわらず、短編以外の長さのものも挑戦してみたい。読んでくださった方から〝長編でガッツリ読みたい〟という声がかなり多かったので、〝言ったな? やっちゃうぞ!〟と思っているところです(笑)」


神の悪手

新潮社

棋士の養成機関・奨励会では、二六歳までにプロになれなければ退会しなければならない。リーグ戦最終日前夜、追い詰められた主人公は、対局相手からある提案を持ちかけられるが……表題作「神の悪手」のほか、理想と現実の狭間で揺れる棋士の心奥が描かれた短編集。全五編。


芦沢 央(あしざわ・よう)
1984年、東京都生まれ。千葉大学文学部卒業。『罪の余白』で野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。『許されようとは思いません』が吉川英治文学新人賞候補に、『火のないところに煙は』が本屋大賞ノミネート、『汚れた手をそこで拭かない』が直木賞候補に選出されるなど、現在最も注目されるミステリー作家の一人である。

(文・取材/吉田大助 撮影/藤岡雅樹)
〈「STORY BOX」2021年8月号掲載〉

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