今月のイチオシ本【ミステリー小説】
『神の悪手』
芦沢 央
起源は古代インドにまで遡り、日本への伝来時期も定かではないほど長い歴史を持つ将棋。この盤上遊戯を題材にしたミステリは過去にいくつも存在するが、芦沢央『神の悪手』は、これまでにない切り口と広い視野を備え、たとえ将棋を識らずとも一読唸ること請け合いの全五話からなる充実の作品集だ。
第一話「弱い者」は、被災地の避難所が舞台。復興支援の一環として指導対局に赴いた棋士が、ひとりの小学生の才能を見抜く。ところが、なぜかその子は対局で理解しかねるミスを繰り返し、棋士は大いに困惑する……。
その真意とは──というミステリとしての興趣もさることながら、強さと弱さ、勝利と敗北を斯様な形で映し出し、ある決断を通じて将棋とひととのつながり、そしてその未来を照らすようなラストには思わず胸が熱くなる。
表題作の第二話は一転、重要な対局を前に図らずも手を汚してしまった男が、人生を賭けた盤上の勝負と決死のアリバイ作りに挑むスリリングな一篇。
ミステリとしての完成度がもっとも高い第三話「ミイラ」は、専門誌に送られてきた少年による不可解な詰将棋の投稿作をめぐる内容で、暗号を解くような知的な面白さ、遊戯を通じて通い合う心、最後に向けられる温かな眼差しが素晴らしい。
第四話「盤上の糸」は、ベテラン棋士と若き挑戦者の息詰まる対局に大胆な仕掛けが施され、意表を突かれる。
そして最終話「恩返し」では、将棋の駒を作る駒師を主人公に、なぜタイトル戦で使う駒として一度は自分の作が選ばれたにもかかわらず、師匠の手による駒に決定したのか、その理由を探っていく。
着眼点と着想に優れた収録作すべてを読み通して見えてくるのは、将棋が持つ、ひとびとを惹きつけ、かくも真剣に向き合わせてしまう魔力のごとき強烈な魅力と、長い歴史のなかで将棋に魅せられたひとびとが託した物事が、まさに受け継がれる瞬間の尊い煌めきだ。
近年、文学賞のノミネートが続いている著者。さらなる注目必至の一冊である。
(文/宇田川拓也)
〈「STORY BOX」2021年7月号掲載〉