源流の人 第50回 ◇ SHUN(歌人、ホスト、寿司職人)
歌舞伎町、蠢く思い 影と光 見るものすべて詠む 傷さえも
取材・文=加賀直樹 撮影=松田麻樹
ゆうだちに傘をたたんで空を見る何してんだろ、睫毛がうざい
新宿は僕の体を欲しがって気付けば人に跨っている
晩秋のある日の昼下がり、新宿・歌舞伎町にある SHUN の寿司店「へいらっしゃい」を訪ねた。ダイニングバー「麦ノ音」の一角にある、客が6人ほど座れるL字型カウンターの中に、大将・SHUN はすっくと立っていた。地下フロアの光に白衣が映えている。
きらきらの白エビ重ね少量の藻塩くらいで充分な愛
初の単独歌集刊行が叶ったことについて、穏やかな表情で彼は語り始める。
「とっておきの歌を載せようとしすぎて、歌の数がどんどん減ってしまいました! 本当は300、400首ぐらいあったんですけど」
この歌集の担当編集者は彼の作風の魅力について、「まったく格好つけていない。純文学です」と語る。俵万智氏をはじめ、数々の歌人が彼を激賞している。本を開く前、「夜の街のきらびやかな刹那を詠む歌が並んでいるのだろう」と予想した。ところが、初っ端からそれは裏切られる。
オレンジに染まる団地に誘われた六歳の夏「おしっこ見せて」
SHUN は語る。
「6歳の夏、ぼくは誘拐され性被害に遭ったことがあるんです。その事実が前提としてあります。その時の傷がどこかしら、心の中で核となっていると思います。そこからどうしてもスタートさせたかった。特に、今回は連作という形をとっているので、ストーリー性を大事にしていきたかった」
脳みそを飲み込むような低音が小さな耳の自由を奪う
電球の下に集まる三匹の小蝿見ており肌吸われつつ
ただいまと鳩に向かって練習し顔を叩いてお家へ帰る
おかえりと言われる前にただいまを僕は言えたよ言えたよ僕は
「お客様の気持ち」を酌む感性を持ちたい
そもそも、SHUN が短歌を詠むきっかけになったのは、彼の所属するホストクラブ組織「Smappa! Group」で、2018年からはじまった「ホスト歌会」だった。同グループの会長・手塚マキ氏は、ナンバーワンホストを経て26歳で起業し、歌舞伎町でホストクラブやバー、飲食店、美容室などを経営する傍ら、歌舞伎町で街頭清掃活動やイベント書店、介護事業なども手がける。
「ホスト歌会」を開くようになった理由について手塚氏は、「お客様が嬉しいとき、悲しいとき、その気持ちをちゃんと酌んであげることができる人間になってほしい、感性の幅を広げるような教育をしたいと思っていました」(『ホスト万葉集』より抜粋)と語っている。
そんな「ホスト歌会」は月1回ペースで行っており、コロナ禍でお店が休業に追い込まれた時には、オンライン会議アプリ「Zoom」を使って歌会や勉強会を開催してきた。俵万智、野口あや子、小佐野彈という名だたる歌人達が選者をつとめアドバイスにあたっており、ホスト達の作歌の技術はどんどん向上している。SHUN は語る。
「ホストは、日々、短い文のラリーをしているので、短歌と相性が良いのではないかと。実際、やってみると、やはり、面白い言葉が沢山飛び交ったんです」
売れっ子ホストは皆、客との LINE のやり取りを迅速にこなす。SHUN 自身、ホスト一本で生きていた時代には、休み時間、折り畳みの携帯を、アイマスク代わりに目の上に載せて寝ていたという。
「着信のバイブの振動で起きて、みたいな。そんな時代でした。女性に寄り添うのが私たちの仕事だと思っていますので」
酒臭い互いの傷を舐めおれば死んだ色した目玉うつくし
最初こそ、必ずしも「歌会」への参加に積極的ではなかった SHUN だが、ある年のグループの新年会をきっかけに、歌詠みにのめり込むようになった。
「新年会のプレゼントで、手塚会長から俵万智さんの歌集『チョコレート革命』(河出書房新社)をいただいたんです。それを読んで、鳥肌がブワーッって立ちました。衝撃的でした」
ドラマチックな展開のなかに女性の強さ、したたかさが投影され、背筋の凍るような印象を受けた、と彼は言う。「僕もそういう歌を詠えたら」。SHUN がそう決意した瞬間だった。ちなみに隣に座っていたホストがプレゼントされたのは、岡本太郎の本だった。俵万智の歌集を手塚が SHUN に渡さなければ、歌人としての彼の人生は始まらなかったかもしれない。
詠う代わりに我が身も削る
もう一つ、彼が歌詠みを本格的に始めるきっかけがあったという。それは今から数年前のことだ。
「飛び降り自殺を目撃し、そのまま立ち会い人になった経験があるんです。ちょうど歌舞伎町で飛び降りが多発していた時でした」
歩いていると、女性がビルの上から落ちてきた。女性は、自分の目の前を歩いていた男性にぶつかった。女性は即死した。SHUN は、男性に慌てて駆け寄った。「大丈夫ですか!?」。声をかけても、男性からは返事がなかった。SHUN は振り返る。
「周りの人が助けてくれるかなと思ったら、めちゃくちゃ写真撮るんですよ。誰も通報してくれなかった」
その時に感じた思いを、SHUN は歌に詠もうと決めた。ただし同時に、他人の死を歌に詠むことは、自分自身の、今までの深い傷も詠わなければ不公平であるような気もした。SHUN は語る。
「詠う代わりに自分も身を削ろう、と。まだ、僕の中では完成していないのですが、当時の情景はしっかり残っています。僕には何があるのかな、と考えた時、とにかく身の回りで起きたことを詠っていこうと思いました。気持ちが大きく切り替わったタイミングでした」
選者各氏の歌集を読み込む。読めない漢字やわからない表現があれば、ノートに書き写して調べる。後輩ホストたちの歌からも刺激を受けると彼は言う。現場でしか詠めない、切実な歌がある。
自分が商品になってしまえ
ホスト、寿司職人、そして歌人。3つの人生を生きる SHUN の一日は、昼に始まり深夜1時に終わる。
「お昼に豊洲市場から魚が届きます。そこから寿司ネタの仕込みをして、午後6時にお店を開く。営業は9時、10時まで。その後、ホストクラブに移動します。午前1時には営業終了が決まっているので、帰宅します」
現在37歳の SHUN が寿司店を始めたのは30歳。その前までは、ホスト1本の人生を歩んできた。高校を中退し、彼がホストになった理由は、「ヤクザにならないため」だったと言う。
「地元では、特にやんちゃなことはせず、平凡に暮らしていました。ところが、謎のルールがいっぱいあったんです。たとえば、先輩よりも高級なバイクは乗ってはダメだとか、お祭りに華美な甚平を着てはダメとか。謎のドレスコードがある(笑)」
「パーティー券を売りさばけ」といった、先輩からの指示が回ってくるようになった頃、SHUN はそうした「地元カースト」に嫌気がさし、こう思いついた。
「自分が商品になってしまえば、見られ方も変わる」
友だちの兄貴が下町でホストクラブを経営しており、そこに入店。頑張って働いて、売れて、誰からも何も言われずに生きられるようになった。当時を彼は振り返る。
「足の開く位置、姿勢、煙の吐き方。僕が粗相するとお客様にお酒をかけられちゃう。会話の間の取り方など、厳しく教えてくださいました。ありがたかった」
不夜城を泳ぐ
青春の青いとこだけ捥ぎ取ってだあれもいない列車に乗った
ドンペリが口内炎を刺激する広がる泡は今を知らせた
その後 SHUN は新宿・歌舞伎町に移り、ホストの経験を着実に積んでいった。夜を泳ぎ、朝に倒れるように眠り、そしてまた新たな夜へと飛び込む。手塚氏のもとでみるみる頭角を現し、SHUN は「Smappa! Group」本店代表に就任する。そのいっぽうで、何か起爆剤になるような、話題をつくりたいという気持ちも湧き起こってきた。そうしてたどり着いたのが、寿司店の大将という道だ。30歳。今から7年前のことだ。
「新しい女性の遊び場をつくりたかったんです。ホストで培ってきた接客技術が、必ず活きる。挑戦してみたかったんです」
親戚の営む上野の寿司店で修業を重ね、技を習得していった。魚と向き合ううちに、彼が気づいたことがある。彼は語る。
「今日の鯛と、明日の鯛はきっと違う。同じ大きさ、獲れる場所もそう変わらない。なのに、何でこんなに味に違いがでるんだろうって。それが面白いんです」
そしてもう一つ。同じ客商売でも、ホストと寿司店で大きく異なることに彼は気付く。
「ホストって、お客様の横で話すことが多いんですが、寿司店はカウンターで対面です。横顔しか見ていなかったお客様と正面になって向き合うと、会話の内容が大きく変わるんです」
魚らは夢の覚めぎわだらだらと体並べる豊洲市場に
行先を知らぬ鰯が氷水を一番乗りで赤く染めゆく
胸元の青い卵を守りつつ眠ってしまうベトナムの海老
月は綺麗で死んでもいいわ
2024年、SHUN は結婚した。相手は芥川賞候補作家・鈴木涼美氏。秋には新たな命も誕生した。暮らしの中心には、いつも幼い命がある。その命を守るために、二人は今、生きている。
「歌をつくる上でも、今までとは違う言葉、知らなかった言葉が続々と入ってくると思います。僕は、本当に、自分の身に起きたことしか詠えません。そういうのを大事にして詠っていきたい。自分のことはもう、二の次三の次です(笑)」
SHUN にとって現在の課題は、「歌に要素を詰め込みすぎないこと」だそうだ。彼は頬を緩めながらこう打ち明ける。
「動詞や要素が多くて濃くなりがち、と先生方にご指導いただくことが多く、それを薄める推敲は常に心がけています」
最後は読者に委ねよう。読者を信じよう。それこそが大事だと今は思う。自分の意図する答えでなくとも、それはそれで良いじゃないか。説明しすぎず、いっそ省いてしまえ。
「本の中に、しびれる一文があれば、その本は、もう素晴らしい」
作家である妻からは、そんなアドバイスをもらった。心がいきなり軽くなった。歌集のタイトル『月は綺麗で死んでもいいわ』は、「アイラブユー」を「月がきれいですね」と訳したとされる夏目漱石、それから、ツルゲーネフの小説で「私はあなたのものよ」という台詞を「死んでもいいわ」と意訳した二葉亭四迷の「逸話」をもとに付けた。すらすら歌が思い浮かぶ時もあれば、地獄のように出てこない時もある。自宅にある、妻の語源辞書を借り、ランダムでページを開く。知らない言葉、花、色に SHUN は出会い続けていく。
そうだねといえばそうねと繰り返す君の隣で僕は息する
「Smappa! Group」の手塚マキ氏のことを、彼は「新宿の父」と呼ぶ。手塚氏に繋がったきっかけは、SHUN の父方の叔母の友人が「Smappa!」の内装に携わっているという「偶然」があった。不夜城・歌舞伎町には、高額な利用料金の売り掛けによる借金を背負わせ、返済のために売春を強要させるような悪徳ホストクラブも蠢いている。そんななか、地域社会と一体となって活動に取り組む手塚氏の存在は、SHUN にとって、きわめて大きいという。
「どう考えても、短歌に出会わせてくれたのは手塚じゃないですか。このグループじゃなきゃ、歌会をやることはなかったでしょう」
短歌を始めてから、今まで見てきたものが、色褪せて見えてくるという驚きがあった。逆に、より美しくなるという驚きも知った。幼き日の不幸な性被害さえ、歌にすることによって、過去完了形として作品化することができた。街を俯瞰し、魚と向き合い、愛する人や守りたい命を得てから彼の歌はより自由になった。短歌という武器を手に入れた今、幸せも不幸せも、歌にパッケージできるようになった。人に例えて詠いづらい時には、いっそ魚に置き換えて詠う技も覚えた。SHUN は語る。
「そういう意味では、ある種、自分のメンタルコントロールになっているかな、と思います。今後は古典の短歌にも触れていきたい。もう、時間をかけて、人生をかけて、短歌に取り組んでいこうと思います」
SHUN(しゅん)
1987年生まれ。東京都足立区出身。下町のホストクラブで修業を積み、18歳で歌舞伎町へやってきた。Smappa! Group 本店代表などを務め、現在は寿司店「へいらっしゃい」大将。2022年度角川短歌賞最終候補。俵万智、野口あや子、小佐野彈の元で短歌を学び続けている。月1回開催される「ホスト歌会」が生きがいである。X