「吉原」の世界、覗いてみませんか?日本初、遊郭専門の書店「カストリ書房」店主に聞く魅惑の世界。
東京都台東区千束に店舗を構え、遊郭・赤線に関連する書籍を取り扱うカストリ書房。「遊郭ってどんな場所?」「カストリ書房ではどんな本が売られているの?」といった疑問の数々を、店主の渡辺豪さんにお聞きしました。
東京の台東区、千束3〜4丁目。この地域はソープランド街として知られており、かつては遊女を囲う遊郭(妓楼)が立ち並ぶ「吉原」と呼ばれていました。
樋口一葉は吉原の近くに居を構えており、吉原で働く少女たちに見聞きした経験が『たけくらべ』執筆につながったとも言われています。実は吉原の存在は文学にも大きく関わっているのです。
そんな吉原の一角にある「カストリ書房」は、遊郭に関する書籍を専門的に取り扱う書店。店主の渡辺豪さんは以前、遊郭・赤線[※1]跡の調査、撮影、聞き取り取材を行ったほか、遊郭に関連する書籍を復刊した「カストリ出版」を立ち上げました。
2016年9月3日にはカストリ出版で発行する書籍を販売する実店舗「カストリ書房」をオープン。また、2017年8月17日には新たに遊郭・赤線などに関する文献を有する資料室が併設された新店舗へ移転しました。
皆さんの中には、「遊郭」と聞いたところで、具体的なイメージがあまりわかない……といった方も多いはず。そこで今回は「カストリ書房」の店主、渡辺さんに「遊郭」とはどのような場所なのか、そして実際にどのような書籍を取り扱っているのかをお聞きしました。
日本にはかつて550箇所もの遊郭があった。
-2011年前後から遊郭や赤線などの取材や撮影、調査を行っていたとのことですが、どのような調査をされていたのでしょうか。
渡辺豪氏(以下、渡辺):私は研究者ではないので、綿密な調査はできていません。しかし、遊郭(妓楼)は最盛期だった明治末から大正頃、数で言うと全国で550にも上るほど存在してたと言われているんですよ。平均して1県あたり10箇所くらいはあったわけです。
-そんなにも!「遊郭」と聞くと、遠い昔のものだとか、別世界のように思っていました。
渡辺:有名なところでいえば大阪の飛田新地[※2]だとか、吉原がそうですね。1県に10箇所ほどがあったということは、以前は人口の多い場所であればあるほど、当たり前に遊郭があったわけです。それだけ日常的なものだった遊郭がかつてどこにあったのかを探そうとすると、現在ではわからなくなっている箇所の方が圧倒的に多いんです。
-お話にもあった飛田新地や吉原は今も同じように残っていますが、現在はそうでない場所もあると。
渡辺:今も残っている場所は「この場所だよね」とはっきりわかるかもしれません。でも、ほとんどのところに関しては今は住宅街になっていたり、地方であれば家はおろか、雑木林になっていることも珍しくありません。そのため、私は遊郭がかつてどこにあったのかを中心に調査していました。
-ちなみに、遊郭と妓楼は、どのように違うのでしょうか。
渡辺:遊郭は範囲を示すもので、妓楼は1軒1軒を示しています。
-なるほど。では、場所の他には、どのような調査をされていたのでしょうか。
渡辺:現地に行って遊郭のあった場所を確定させるほか、店の名前や地図、何人くらいの女性が働いていたのか、料金は何円くらいかということは聞き取りしていました。私が調査を行うために現地に足を運んでいたのは、当時を知る人たちから話を聞きたかったのが1番の目的でしたが、調査をまとめて本や記事にすることは特にありませんでした。むしろ、調査を通して新たな知識を得るのが楽しいという感覚ですね。北海道から鹿児島までを調査していました。
-地方による特色などは見られますか。
渡辺:現存している妓楼建築の数でいうと、西高東低みたいな傾向はありますね。東日本の方は現存していない一方、西日本にはまだ残っている。あとは私の調査における結果ではありますが、地方の方が建物の外観などが素朴ですね。飛田新地の「鯛よし百番」[※3]がわかりやすい例ですけれど、あのような豪華なものは無くなっているんですよ。
-ぱっと見では遊郭だとわからない建物が、実は遊郭ということも有り得るのですね。
渡辺:言ってしまえば土着の売春業だったので、中には民家と変わらないようなお店もあります。どれが当時の遊郭建築なのかを現地に行って見極めるのは、結構難しくて。一見華やかな建物でも、実は聞いたら単なる料理屋や料亭で、別に遊郭ではなかった……というところもあれば、どう見ても民家なのに、近所の人に聞くと「遊郭だった」というところもあったりします。
あとは人間的なところでいうと、地方ほど遊女の方や娼婦の方に対して同情的なところがあります。都会では水商売や売春業というと、蔑むような見方や評価を見聞きすることもあります。一方、地方で、遊郭の近くに住んでいたお年寄りに聞くと、「昔は親に『遊女さんのことを馬鹿にしてはいけないよ』と教えられました」というお話を聞かせてくれましたね。それは何故かというと、遊女の方は貧しさ故に売られてきた方が多かったわけですよね。
-自分が売られることで家族が食べて行けるように……ということでしょうか。
渡辺:そうですね。「『だから、彼女たちも好き好んでこういったことをやっているわけではないんだよ』と教わった」ということでした。
-カストリ書房がオープンする以前はインターネット通販で書籍を販売されていたとのことですが、オープンした理由はどういったものなのでしょうか。
渡辺:もともとはインターネットを通して販売していたため、販路そのものは持っていましたが、お客様が訪れる実店舗はなかったんです。しかしリアル書店をオープンしてからはお客様の中で「書店」という誰もが想像しやすいイメージを持っていただけるようになり、実際にお客様が来店するようになりましたね。
-来店するお客さんとしては、どのような方がいるのでしょうか。
渡辺:頻度としては特に多くはありませんが、高校生くらいの女性もいらっしゃいますね。やはり「遊郭に詳しい場所」と聞くと少し怪しいかもしれませんが、「書店」なので来やすいのかもしれません。
[※1]GHQによる公娼廃止指令(1946年)から、売春防止法の施行(1958年)までの間に、半ば公認で売春が行われていた日本の地域のこと。
[※2]大阪市に存在している遊郭、赤線。大正時代に築かれた日本最大級の遊郭とも言われている。
[※3]大正時代に遊郭として建てられた建物で営業を行う料亭。2000年、国の登録有形文化財になった。
カストリ書房がおすすめする書籍コレクション
-続いて、販売されている書籍の中から特に注目していただきたいというものをご紹介いただけますでしょうか。
渡辺:こちらの写真集、『遊郭 紅燈の街区』は私の著作です。私が調査の際に撮り始めた250箇所ほどの写真をまとめています。こういったものを作ろうとしたのは、1箇所1箇所細かくまわっていっていたんですけれど、自分の調査スピードに対して建物が失われていく方が圧倒的に早くて、追いつけないと感じたことが大きいですね。今このタイミングで聞き取りすることはもちろん大事ですが、写真記録に残さなければ無くなってしまうなとも思いました。
-遊郭の建物は、次々になくなってしまっている状況なのでしょうか。
渡辺:行ってみたらすでに何もなくて、3ヶ月前にもう取り壊されていたということもありますし、逆に、行った数ヶ月後に建物が取り壊されたといったこともありました。
渡辺:こちらの『全国遊郭案内』は昭和5年に発行されたものなので戦前の本です。ご覧になってわかる通り、全国の遊郭自体を紹介していますね。
-本当に1軒1軒のデータが記載されていますね。
渡辺:そういった書籍は他にないので、唯一無二のものになっている、珍しい1冊です。お店の名前や最寄駅、女性が何人いて、食事がつくのかどうか、どんな場所出身の女性が多いのかということまで書いてある、今でいう風俗情報誌のようなものですね。余計な情報を入れないデータベースとして、実用性に富んだものになっているのは「モダンだな」という印象を持ちます。
また、この本には樺太といった地域のデータも収録されているのですが、当時誰が作ったのかは不明なんですよ。そしてすでに絶版になっていたのですが、85年ぶりにカストリ出版によって復刊しました。
-販売されているものの中には、特定の地域に特化したものもありますね。
渡辺:『静岡県の遊郭跡を歩く』は現役の郷土史家で大正11年生まれの方が作られたものですね。カメラを持って現地に行って撮影し、ワープロに打ち込んで紙に出力するところまでご自身でされています。ご自身で作られたものを図書館に寄贈されていたそうですが、全国で読みたい方もいるのではと思い、私からお手紙を差し上げてお会いして、再販させていただきました。
戦前の遊郭にも行った経験がある方なんですけれど、初めて遊郭に行った際、女性と交わること自体が初めてだったと。遊郭には料金として1円を支払っていたものの、遊女の方がそこで「脱童貞祝儀」として2円くれたというこぼれ話もありますね。
-そんなエピソードがあったとは……渡辺さんは地方の図書館にも調査で足を運ばれるのですね。
渡辺:聞き取りのほか、裏付けとなる文献を探すために大きめの図書館にも行きますね。郷土の資料を調べていると、1つの都道府県に1人くらいは個人でこのような遊郭関連の本を出されている方はいらっしゃいます。
次にご紹介したいのは『全国女性街ガイド』です。
渡辺:『全国遊郭案内』は戦前の遊郭を取材した本でしたが、こちらは昭和30年、戦後の本です。350箇所ほどの赤線についてまとめられています。著者である渡辺寛さんという方が全国に取材に行って、書かれた本ですね。この方は本を出された後に消息が掴めなくなってしまいました。そのため、この本もレアなものとなったので、だからこそ復刻する価値はあるなと思いましたね。
-書かれた方が消息不明になったことにより、本もミステリアスなものになったと。
渡辺:そうなると、書かれた方についても知りたくなりますよね。そのために追いかけていたんですけれど、2年くらい前にご住所がわかって。そこでご家族に取材させていただいて作ったのがこちらの『渡辺寛 赤線全集』です。
渡辺:取材を通し、渡辺寛さんは株式会社オリエンタルランド[※4]に籍があったこともわかりました。ディズニーランドができる前の使節団の一員で、重要なポジションだったようです。ただ、ご家族の方は渡辺寛さんが、遊郭を取材する活動をされていたのはご存知ではなかったですね。
続いてご紹介したいのは『秋田県の遊郭跡を歩く』です。
渡辺:こちらは遊郭について調べていらっしゃる小松和彦さんとの共著です。こちらを作るため、実際に秋田県まで調査に行っていましたね。秋田県で聞き取り調査をしていると、お話を聞けるのが80代後半の方になってくるんです。面白かったのは、町によって教えていただけるところとそうでないところがあったことですね。それは特に隠しているわけではなくて、あまり関心がなかったのだと思います。
-次は『全国花街巡り』ですね。
渡辺:昭和4年に発行されたもので、芸者街を取材していますが、花街だけでなく、遊郭や私娼窟(公的な許可を得ていない娼婦の溜まり場)も紹介されています。もともとは1冊だったのですが、ボリュームが大きいことから上下巻になっています。
「芸者の方は芸を売るので体を売らない」といった言葉がありますけれども、これは事実ではありません。もちろん芸だけで食べていた方がいるように、全てがそうだったわけではないのですが、明治期に行われた性病に関する調査で最も性病に感染している方が多かったのは遊女ではなく芸者だったんです。
-こういった書籍のほか、雑誌も販売されているのですね。白黒のイラストで女性のヌードが描かれていたりと、現在とはかなり様相が違います。
渡辺:活字でエロ心を満たしていた時代ならではです。この本以外でも戦後直後は「カストリ雑誌」というものがありましたが、1冊30円くらいで売られていました。すいとんなどが1杯10円で売られていた当時からしてみれば、かなり高価なものだとわかります。どこかで保存されている可能性もある単行本と比較しても、雑誌は読んだら捨てられてしまうことが多いものなので、なかなか残っていないんですよ。
渡辺:また、こちらの『昭和エロ本 描き文字コレクション』はエロ本のタイトルだけをまとめた本ですが、著者の橋本慎一さんという方は昭和30年〜40年代にエロ本の描き文字を専門に手がけられていた職人さんなんですよ。今はパソコンを使えばすぐに作れますが、当時は手作業だった。そんな職人さんたちの仕事を残しておきたかったのと、エロ方面のレタリングを集めた本は他になかったので作りました。
[※4]米国のウォルト・ディズニー・カンパニーとの間のライセンス契約に基づき、東京ディズニーリゾートを経営・運営する事業持株会社の機関企業。
書籍だけじゃない、カストリ書房の注目アイテム。
-店内中央に置かれている、こちらのタンクのようなものは何ですか。
渡辺:こちらは女性の秘部を洗っていたタンクです。この中に消毒液を入れて、ヒーターで温めて使うようになっています。使用されていた当時は衛生環境も現在より整っていませんでしたが、避妊を目的としたものだったのでしょう。よく見ると「大阪市内飛田大門前」と書かれているので、飛田の近辺にこのようなものを作るメーカーがあったのかもしれませんね。
-そんな珍しいものが展示してあるのもカストリ書房ならではだと思います。書籍のほかにも、さまざまなアイテムを販売されているのですね。
渡辺:はい、こちらは赤線に見られる特徴的なタイル張りの建築様式をモチーフに作られた絵です。遊郭や赤線に対しては、以前からネガティブなイメージがありましたが、ポジティブな創作物が生まれつつあるのは新しい流れだと思います。
-ところで、渡辺さんが今着られているTシャツも遊郭に関連するものなのでしょうか。
渡辺:はい、このTシャツに描かれているのは、愛知県の豊川市に残っている妓楼と、そこに住む、96歳のおばあちゃんです。遊郭の調査を行っていた際にこのおばあちゃんと知り合ったのですが、お話を聞いているうちにすごく素敵な方だなと思って、「おばあちゃんの写真を使ったTシャツを作って着たい、売りたい」とその方の娘さんにお願いしました。娘さんにはすごく笑われたんですけれど、最終的に許可をいただきました。
-アパレルのグッズまであるなんて、すごく幅広い商品展開をされているのですね。また、こちらは先ほどご紹介いただいた、『昭和のエロ本 描き文字コレクション』をシールにしたものでしょうか。
渡辺:見ているうちに、実際使ってみたいと思って。「あの最中に突然死にます」なんてフレーズは「サーバーに貼ろうと思います」なんて方もいらっしゃいました。
その他、書籍以外のものでいえば吉原の変遷がわかる地図もあります。これには店名までが網羅されていて、どこになにがあったのかも全てわかるんですよ。
-これを片手に吉原を散策してみると、新たな発見が得られそうです。
カストリ書房の資料室に所蔵されている貴重なものとは?
-2017年8月17日に移転されてから、資料室が設けられたとうかがっています。
渡辺:こちらの資料室には絶版になっているものも所蔵しています。3時間の利用で832円(税込)、1日の利用で1,080円(税込)、1ヶ月の利用で2,160円(税込)といった料金をお支払いいただければ、資料を手にとって閲覧することができます。明確な数はカウントしていないのでわかりませんが、およそ1,000は下らないと思います。
-こちらにあるもので、ユニークな資料をご紹介いただけますか。
渡辺:明治時代に遊郭で使われていた大福帳(売買の勘定を記した記録)でしょうか。よく見ると来店した際に注文していたビールやサイダーといったメニュー名だとか、遊女の方の名前が書かれています。判は、代金をいただいているかどうかの記録でしょうね。
-すごくリアリティのある資料です。では、「夫婦生活」という雑誌はどのような資料なのでしょうか。
渡辺:セックスに関するエロ本です。当時は検閲がなかったとはいえ、刑法175条で猥褻物の取り締まりはありました。そのため、内容はエロではあるものの、「健康的な夫婦生活を送るためには、正しい知識を得なければいけない」と啓蒙する体で出版していたんです。
-「すべての人妻が知らねばならぬ性知識」と書いてありますが、厳しい取り締まりをかいくぐって出版された雑誌なんですね。
渡辺:「夫婦生活」は昭和24年に発売されて以来、30万部を売り上げるほどの爆発的なヒットを記録していました。当時、文藝春秋が20万部売れていたことを踏まえるといかにヒットしていたかがわかりますよね。いわば「夜の文藝春秋」みたいな。「夫婦生活」は昭和30年に休刊になりますが、終盤でも10万部は売れていたそうです。
-そこまで売れていたのに、休刊してしまったのはなぜでしょうか。
渡辺:売り上げが落ちていたこともありますが、売れていたために悪書追放運動の槍玉にあげられてしまい、泣く泣く休刊になってしまったようです。
そして昭和30年代になってくると、実話系の週刊誌がヒットするんですね。それも「実話誌」という体のエロ本です。時代によってエロ本も形を変えていることがわかると思います。
-最後に、今後の展望をお聞かせください。
渡辺:1年ほど前に書店を始めてから、お客様の中には商品を買うだけでなく、「私と遊郭にまつわるお話をしたい」という方もいらっしゃいました。うちは書店ではありますが、ある種サロンのような意味合いもあると思ったんです。今までなら私とお客様という関係でしたが、お客様同士で交流するのも面白いことが起きるはず。そういう意味もあって、この場所を会場にした飲み会を企画しています。一度開催してから、そういう交流の場としてもやっていきたいですね。
あとは喫茶ルームだけでなく、ギャラリーとして発表の場を提供していくことも考えています。この吉原の地で展示すれば雰囲気も出ますし、遊郭に興味を持っている方にも来ていただけますよね。これまで私は書籍というコンテンツを作って書店でコンテンツを売っていましたが、プラットフォーマーとして場を提供する軸足を作っていくのも今後の展望です。
<了>
【プロフィール】 渡辺豪 |
【店舗詳細】 カストリ書房 〒111-0031 営業時間:11〜18時 |
初出:P+D MAGAZINE(2017/10/04)