私の本 第8回 池上 彰さん ▶︎▷02

 全国のお茶の間でもおなじみのフリージャーナリスト・池上彰さんに、「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話を伺っています。

 「お前は刑事(デカ)の目をしている」と言われていたという記者時代には、張り込み時間にも本を読んでいたそう。そのとき読んでいた本がいま、思いがけないところで役に立っているといいます。それはどんな本だったのでしょうか──。

私の本 第8回 池上 彰さん ▶︎▷01

あさま山荘事件の報道でNHKに興味を持つ

 大学を卒業して就職する際には、やはり記者を目指そうと考えていました。当時のテレビは、NHKがニュースを少しやっているくらいで、民放での報道番組は皆無といっていい状態でした。取材して、それを伝えるなら新聞記者になるしかないという時代だったんです。

 ずっと東京で育ったから、親元を飛び出して地方へ行きたいという思いもありました。全国紙ならあちこち転勤して、さまざまな土地を見ることができると、そうも考えたんですね。

 そう考えていた矢先、あさま山荘事件が起きました。日本中がテレビに釘づけになりました。最後の警察の突入時は、NHKと民放を合わせると、視聴率が約90%にも上ったんです。そのときから、テレビの仕事もありだと考えるようになりました。

 当時、新聞社と通信社とNHKは就職協定を守っていたので、朝日新聞社とNHKの試験日は一緒だったんです。迷ったすえにNHKを受け、入社することになりました。

 はじめは島根県の松江に行き、そこで3年を過ごし、広島県の呉通信部に3年。その後、東京の社会部に異動になります。ちょうどそのころロッキード事件が始まって、疑惑とされる人物の家の前や東京地検前の張り込みに多くの人間が必要になり、全国の放送局にいる若い記者を応援に呼んだんですね。松江から応援に行き、社会部はかっこいいな、社会の悪を追及するんだ、と感じ、社会部の記者を希望するようになったんです。

夜中の張り込みの時間に勉強した記者時代

 念願叶って社会部の記者になったものの、担当はNHKの記者のなかでもっとも過酷な警視庁でした。その直前に特ダネを書いたから配属になったのですが、あれほど非人間的な環境はありません。

 毎日、夜討ち朝駆けをし、1年のうち360日くらいは寝る間もないほど働かなければならない。でも2~3年ここで地獄を味わえば取材の基礎が身につくだろう、仕方ないと考えて働きました。

池上彰さん

 当時は、特ダネを取ることがすべてだと考えていたんです。とにかく他の新聞社のライバル記者を出し抜くことしか考えていなかった。だから「お前は、刑事(デカ)の目をしている」と同僚には恐がられていましたね(笑)。

 事件の聞き込みをしている捜査員たちは夜10時くらいに捜査会議が終わって、食事をしたり飲んだりして、終電で家に帰ります。

 警視庁の捜査員はみなまじめだから、早くにマイホームを持つんですが、まだ若くて給料も安いから我孫子、春日部、相模原あたりの郊外に住んでいるんですね。帰宅は午前0時30分から午前1時頃でした。

 捜査員の家の前で待っていると他社の記者に見つかる可能性があるから、住宅街の少し離れた電柱の陰に隠れて帰宅を待ちます。30歳過ぎくらいの若い男が住宅街の電柱の陰にずっと立っているものだから、警察を呼ばれて、職務質問されたこともありました(笑)。

 そんな日々でしたから、夜の10時ごろから捜査員の家に張り込んで待つ時間がもったいない、何かやることはないかなと考えて、NHKのラジオ英会話のテキストを読むようになりました。

 社会部だから海外取材はないけれど、とにかく待つ時間が無駄に思えて。電灯や自動販売機のわずかな明かりの下でテキストを見て、暗いところでぶつぶつ文章を暗唱して過ごすのです。

 捜査員がまだしばらく帰ってこないとわかっているときは喫茶店に入って、経済学の本を開くこともありました。大学時代に、じゅうぶん経済学の本を読むことができなかったという思いがずっと尾を引いていましたから。

 社会部の部会のときも、会が始まるまでの時間がもったいないから、そこで経済学の本を読んでいたんです。そうしたら横にいたデスクに、「何の本を読んでいるんだ。こいつ、おかしいんじゃないか」と言われました。警視庁を担当しているやつが、経済学の本を読んでいる、と。そうとう変わった人間だと思われていたんですね。

つねに活字には飢えているので本を手元に

 結果的に、いま名城大学では経済学を教えていますし、海外取材に行ったとき、たとえブロークンでも英会話ができるのは、あのころの勉強が生きているのだと思います。

池上彰さん

 でも当時は、いつか役立つと考えていたわけではなくて、ただただ活字に飢えていた。とにかく私は活字がないといたたまれない性分で、いつも本を持ち歩いています。

 たとえば関西出張のときは往路のために1冊、帰路のために1冊、もし新幹線が途中で止まったらどうしようともう1冊予備に持っていきます。

 直接担当する持ち場のない遊軍記者となり、だいぶ自由な時間を持てる立場になってからは、年間300冊ほどは読む日々が続きました。

 

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池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、73年にNHK入局。報道局社会部記者などを経て、94年4月から11年間にわたり、『週刊こどもニュース』のお父さん役を務め、わかりやすい解説で人気を集める。2005年NHKを退職し、フリージャーナリストに。名城大学教授、東京工業大学特命教授。東京大学、愛知学院大学、立教大学、信州大学、日本大学、順天堂大学などでも講義を担当。主な著書に『そうだったのか! 現代史』『伝える力』『池上彰の学べるニュース』などがある。

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