【『桃尻娘』、『枕草子』、『草薙の剣』など】橋本治のおすすめ5作品

2019年1月に、惜しまれつつ亡くなった小説家・評論家の橋本治。これから彼の作品に手を伸ばしてみたい読者のために、『桃尻娘』から最新小説まで、おすすめの書籍を5冊ご紹介します。

2019年1月に、小説家・評論家の橋本治が亡くなりました。彼は、デビュー作の『桃尻娘』に代表される唯一無二の文体で一世を風靡し、生涯にわたって多彩な作品を発表し続けた作家です。

今回は、橋本治が遺した数々の著作にいまから手を伸ばしてみたい、という読者のために、小説から随筆まで、橋本治作品の入門編としておすすめの書籍を5作品ご紹介します。

【小説】デビュー作にして代表作。女子高生のリアルを描いた『桃尻娘』

桃尻娘
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4591117553/

橋本治と聞くと、まず最初に“桃尻語”と呼ばれる独特の文体をイメージする方が多いのではないでしょうか。そんな“桃尻語”を生んだ小説『桃尻娘』は、1977年に発表された橋本治のデビュー作です。のちに表題作を中心としてシリーズ化・書籍化され、橋本治の代表作となりました。

この作品の主人公兼語り手は、クラスメイトから“桃尻娘”とあだ名されている、高校1年生の榊原玲奈。『桃尻娘』は、

大きな声じゃ言えないけど、あたし、この頃お酒っておいしいなって思うの。黙っててよ、一応ヤバイんだから。

という玲奈のちょっと衝撃的な独白から始まります。彼女はこの作品の中で、奔放でありながらも冷めた視点を持ち、時に“王子様”の存在を夢見る、非常にリアルな女子高生として描かれています。

あたし、明日クラブも何もないから五時まで図書館にいるわ。そうすりゃ駅につくのは六時頃だし、そうすりゃお買物の時間帯にぶつからなくって(中略)すむもん。(中略)ヤナ女達。
ワンピース着て、パンタロン穿いて、カーディガン引っかけて、エプロン締めて、籠提げて、カート引きずって、どの籠からもネギがはみ出してて、どうしてあんなに突っ慳貪けんどんにしか子供に口きけないんだろ。

子供ン時に見た絵本は違ってたのに。道の真ン中は真ッ赤な絨毯が敷いてあって、その両側には綺麗に着飾った貴族達がずらっと居並んで、そしてズッとズッと高い所は金色に輝いてて、王子様が待ってたんだ。

本シリーズに共通した文体である“桃尻語”は、いま読むと少々古臭く感じる箇所もあるかもしれません。しかし、高校生が抱く思春期特有のモヤモヤとした気分や社会への苛立ちは、いまも昔もまったく変わらないものなのだと思わされるリアリティがあります。10代の読者だけでなく、橋本治の“原点”を知りたい大人の読者にもおすすめの1冊です。

【古典翻訳】「春って曙よ!」で始まる名訳ベストセラー、『桃尻語訳 枕草子』

現代語訳
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デビュー作の“桃尻語”をふたたび用い、平安文学の代表作である『枕草子』(清少納言)をまるで女子高生のおしゃべりのように現代語訳してしまったベストセラーが、この『桃尻語訳 枕草子』です。“春は曙”から始まるかの有名な書き出しは、

春って曙よ!
だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!

夏は夜よね。
月の夜はモチロン!
闇夜もねェ……。
蛍がいっぱい飛びかってるの。
あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりボーッと光ってくのも素敵。雨なんか降るのも素敵ね。

と、ブログのような軽妙な文体に大胆にアレンジされています。
難解と思われがちな『枕草子』ですが、橋本治は作者の清少納言について、

彼女の価値観は”ミーハー”・”センチメンタリズム”・”小姑根性”で、この三つを冷静な観察力がつなげている。知性を獲得した女にとって自由とはこういうものであったろう。

と本作のあとがきで語っています。エンターテインメント作品として楽しむのはもちろん、庶民的でキャッチーな言葉づかいを通して、古典作品を学び直すきっかけにするのもおすすめの1冊です。

【お悩み相談本】“悩み”の本質をロジカルに突き詰める、『橋本治のかけこみ人生相談』

かけこみ人生相談
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2018年に刊行された『橋本治のかけこみ人生相談』は、読者から寄せられた“人生相談”に橋本治が回答するというWebサイトの人気連載を書籍化した作品です。
寄せられる相談は家族のことから仕事のこと、自分の生きづらさについてなどさまざまですが、橋本治はどの相談についても、徹底的に丁寧かつロジカルに回答を寄せています。

たとえば、「夫の強引な勧めでスポーツクラブに通い始めたが、自分は運動が好きではない。何事に関しても自負心が強く、自分だけは正しいと思っている夫と暮らすことに疲れている」という主婦からの相談。この悩みに対する橋本さんの回答は、

三十年ほど前に、私は別のところで人生相談というものをやっておりましたが、その時に気がついたことがあります。それは、相談をなさる方の多くが、自分で自分の悩みがどんなものかを理解なさっていることです。(中略)だから、「どうしてそのことを相手の人にそのまま言わないで、黙って人生相談などというところに持ち込むのですか?」と言いたくなってしまうのです。

と始まります。相談されたことに対してただ答えるのではなく、そもそもその相談者がなぜ自分のところに相談を送ってきているのか、という分析から話を進めるのは、非常に橋本治らしくユニークです。回答はこう続きます。

あなたはご主人に対して、なにか「引け目」のようなものを感じておいでなのかもしれません。それであなたは、(中略)かなり遠回しなことをおっしゃっていますが、ストレートに言ってしまうと、あなたのご主人は「他人のことなんかよく分からないスポーツバカ」です。そうじゃないですか?

だから、「私はあなたとは違う質の人間だから、私の好きにさせて。あなたのすることを、当然のように私に強要するのはやめて。(中略)あなたがスポーツクラブに行っている間、私は家でのんびりしていたいの」と言うしかありませんね。しかも、「他人のことがよく分からないスポーツバカ」だと、長い話を呑み込む能力があまりありませんから、以上のことを少しずつ小出しに言って聞かせるのは必要と思います。

一見とても辛辣な言い方ではありますが、「配偶者が自分とはまったく違う人間であるということをいかに相手に伝えるか」という回答の内容自体は非常に実用的で、相談者の気持ちに寄り添ってくれてもいます。
どんな相談に対する回答も、真摯で読み応えがあるものばかり。橋本治の分析力と、切れ味鋭い言葉の裏に隠された優しさを存分に味わえる、隠れた名著です。

【随筆】正解のわからない時代を生きていくための指南書、『「わからない」という方法』

わからないという方法
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『「わからない」という方法』は、橋本治が2001年に発表した随筆作品です。本書の中で、彼は“どこかに「正解」はあると、人が単純に信じ込んでいた”20世紀が終わったあと、「正解」のない21世紀を私たちがいかに生きていくべきかということを説いています。

二十世紀の活字文化は、「正解」と思われるものを供給し続けていた。しかし、「どこかに正解はあるはず」というのは、二十世紀の錯覚である。活字文化は、その「正解」の存在を信じて、大量の本を供給し続けて来たが、その供給がある程度以上のレベルに達した時、「“正解”があるというのは幻想ではないか?」という事態が訪れた。それが、「活字離れ」である。

私は「新しい方法」を提唱しているのではなく、「人の言う方法に頼るべき時代は終わった」と言っているだけなのである。

「正解」を教えてくれる本や人が存在しない現代において、「わからない」ことや「知らない」ということを恥じる必要はない、むしろ「わからない」や「知らない」を前提にして生きていくべきだ、と橋本治は説きます。
平易な言葉で書かれた作品でありながら、人生の中で「わからない」の壁にぶつかったときに何度でも読み返したいと思えるような、現代を生き抜く力をくれる1冊です。

【小説】『草薙の剣』

草薙の剣
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4104061158/

『草薙の剣』は、2018年に発表された長編小説です。第71回野間文芸賞も受賞した本作が、橋本治にとって最後のオリジナルの長編作品となりました。

『草薙の剣』の登場人物は、お互いに縁もゆかりもない6人の“凡夫”たち。共通点は、皆戦後生まれで、それぞれに事情を抱えながら現代の日本を生きているということだけです。
母親の介護のために田舎に帰って生活をしている「昭生」や、仕事がなくなり40代で家に引きこもっている「豊生」といった登場人物の境遇には、同時代を生きる人間ならば、多かれ少なかれ共感してしまうものがあるはず。
悪い状況を打破しようと一歩を踏み出すことがいかに難しいかを、橋本治はこんな風に表現します。

見えない墻壁が隔てられて思いを内へ内へと収め込んでしまう者にとって、「立ち向かう」ということは思いつくさえも容易なことではない。

現実に“立ち向かう”ことの難しさ、やりきれなさを知っている人にとって、そんな現実とどうにか折り合いをつけて生きていくための勇気をもらえるような傑作です。

おわりに

小説や随筆、評論、戯曲……と実に幅広い分野で活躍し、“知の巨人”とも呼ばれた橋本治。遺された作品の数があまりに膨大であることから、どの作品から読めばいいのかと迷ってしまっていた方も少なくないのではないでしょうか。
これまで橋本治の作品に触れたことのなかった方は、今回ご紹介した“入門編”の5冊を入り口に、その多種多様な作品の変幻自在ぶりをぜひ味わってみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2019/03/18)

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