私の本 第9回 三浦瑠麗さん ▶︎▷01

「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話を聴く連載「私の本」。今回は、国際政治学者の三浦瑠麗さんにお話を伺いました。自伝的エッセイ『孤独の意味も、女であることの味わいも』(新潮社)で自らの人生を赤裸々に綴った三浦さんですが、幼少期から現在まで、どんな本を読んでこられたのでしょうか。貴重なインタビューを3回に分けてお届けします。


父が絵本の朗読を入れたカセットを聴いて育つ

 神奈川県茅ケ崎市に生まれ、5人兄弟の真ん中として育ちました。年の近い兄、姉、私の3人は、小さいころよく父のところに絵本を持ち寄って、一人三冊までというようにふんだんに読み聞かせをしてもらっていましたが。毎回何冊も読んでいた父はさぞかし大変だったでしょう。いつでも聞けるように、と絵本の朗読をカセットに吹き込んでくれたこともありました。

 なかでも私が好きだったのは『あらいぐまとねずみたち』、それから『くまたくん』シリーズ。本を綴じた部分がぼろぼろになって何度も補強し、娘の代になっても活躍しました。私の世代ですと、母親に絵本を読んでもらっていた人が多いと思いますが、私の母は家事や下の子供たちの世話で忙しかったこともあり、我が家では絵本の読み聞かせは主に父の担当でした。彼は声音を使って臨場感を出し、子供をワクワクさせる読み方がうまい。私もそんな感じでよく娘に読みました。

 父も母もまだ20代のうちに三人の子供を産み育てました。大人になってから考えると、まるで子供が子供を育てているようなものです。若くて体力もあり、さまざまな理想もあったんだと思います。

 絵本は、それこそ膨大にありました。思い出深いのは、訪問販売で母親が購入したファランドール絵本のシリーズ。挿絵が美しく、何十冊とありました。おしゃれな女の子が主人公のマルチーヌシリーズのほか、『レオナールのき』『きんのつのをもったやぎ』などが懐かしく、印象に残っています。

 私の両親は大学の同級生同士。私が生まれたときには父はまだ心理学を専攻する大学院の博士課程にいました。ふたりとも文学部出身だったというのもありますが、本は惜しみなく与えてもらう一方、テレビはほとんど見ませんでした。日曜日の夜8時の大河ドラマだけは見ていたころもあるのですが、ニュースでさえ見ませんでしたから、いまでも80年代、90年代を振り返って人々と共有できる話題が少ない。

 小学生の途中から平塚に引っ越して、市立図書館でよく本を借りるようになりました。1人5冊まで借りることができるので、7人家族だと週35冊。そのうち私が読むのは20冊くらいで、『ナルニア国物語』『ゲド戦記』など子供向けのファンタジーをとにかく乱読しました。兄弟姉妹のなかでも、飛び抜けて本好きだったと思いますね。

 借りるのでもなく、家族の共有でもなく、私のためだけに買ってもらった本といえば、瀬田貞二訳の『指輪物語』。箱に入って家に届いた日のうれしかったこと。うちの親戚はお年玉は図書券をくれることが多かったので、私は貯めた図書券でマイケル・ボンドの児童文学『パディントン』シリーズなどを買い、しおりからカバーにいたるまで汚さないよう大事にしていました。

孤独な自分と登場人物を重ねて

 転校生になった私は、なぜかクラスに馴染めなかった。我が家が建っていたのはもともとは田んぼだった新興住宅地。昔からの農家さんもいれば新しく越してきたサラリーマン家族もいました。しかし、やはり地縁や血縁というのはその町を故郷にするものですね。今に至るまで、私の故郷というのは中途半端です。

 独りでいることの多かった私は、学校の図書室や保健室が居心地のよい場所でした。子供は自分の意思を尊重されず、逃げだせる場が少ない。本というのは、移動可能なパーソナルスペースを創り出してくれるものです。読書に没頭したのはそうした理由もあったのでしょう。

 大家族だからいつでもにぎやかなのですけれど、弟や妹の面倒を片手で見ながらもう片手で本を読むというのが、私にとってはちょうどよかった。いまは娘一人ですから、静かすぎるくらい静かです。

 学校では孤独でも、私には本という隠れ家があり、家族がいて、それで日々を過ごしていくことができました。好きな文学作品の主人公は、冒険で大活躍するよりも、どちらかといえば内向的で家に居つくタイプの方が多かった。たとえば同じモンゴメリでも、活発な『赤毛のアン』ではなく家庭的な『パットお嬢さん』が好きでした。パットは銀の森とわが家を愛し、変化を嫌い、家族のなかで安らぎを得ようとします。母は私たち兄弟を若草物語の四姉妹に例え、私は3女のベスにそっくりだと言っていましたけれども、なんとなくそんな気がしていた私も大きくなってみればジョーになっていたのは不思議ですね。

 シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』も好きでした。私の中の可愛げのなさ、集団になじめないところを重ね合わせて読んでいたのでしょう。主人公のジェーンは反抗的で挑戦的です。常にひっかかりができてしまい、それゆえに人に愛されない。個性のある顔だけれども美しくないというのが、本の中で語られるジェーン像です。ジェーンの「可愛げのなさ」は、鋭い観察眼に加えて、自分自身を好きになり切れないところから生じる。幼いながらにそうしたものをくみ取っていた気がします。

自分が見ている世界を叙述するものを

 自伝的エッセイ『孤独の意味も、女であることの味わいも』で、中学3年生の時に受けた性被害について書きましたが、あの年代は子供なようでいて子供でない、そしてやはり子供である、という微妙な年齢です。自分の頭で考えているようでいて、非常に子供じみている、ちぐはぐさのなかでそうした事件に遭遇したことは、後から考えてみると自分が二つに引き裂かれるような効果を持ったのではないかと思いますね。

 幸福に包まれた「パット」や『若草物語』のにぎやかで平和な世界。純粋さの消えた後の世界。あの当時、ほんとうは人間の世界は光でも暗闇でもない黄昏がずっと続いているようなものだということが分からなかった。

 性被害に遭っていなくとも、多くの人はこの年齢のころに矛盾や葛藤を経験します。自己嫌悪や破壊を表現する文学を私が好まなかったのは、まぶしすぎる光に目がくらんで盲目になってしまうように、闇を生きていたからだと思います。その後、私が文学に求めたものは、私自身が見ている世界を叙述するものでした。ウェットな表現を嫌うようになったのもこのころからです。

 高校生の頃読んだもののなかでは抑制の効いた端正な文章が好きでした。女性の書き手の本をよく読みました。円地文子、有吉佐和子、岡本かの子、幸田文ですね。ある種のあきらめ、冷静に自分を突き放して見ている、その甘くない感じが嫌でなかったのです。

 人間を描くという意味では、『カラマーゾフの兄弟』も面白かった。昔はこういう重たい文学を次から次へと読む気力も時間もありましたから、こういった読書体験が、その後のわたしを形作ったと思います。

三島由紀夫や「グリーン版」の全集に親しむ

 高校からは、三島由紀夫にも没頭しました。兄に三島由紀夫の本を貸してもらって、こんなにすごいものがあるのかと夢中になりました。軽井沢の別荘には三島由紀夫の全集を置いてあり、今でもよく読み返します。

 大学に進む前は、やはり全集が家にあったというのが大きかった。父が学生時代に親に買ってもらったという「グリーン版」で、第一次世界大戦前後の時代を描くロマン・ロランの『魅せられたる魂』、それにミハイル・ショーロホフの『静かなドン』などを読みました。箱から本を取り出すときにキューっという音がするんですよね。

 子だくさんのわが家では学費が比較的安い国立大学に行くことが望ましく、私立の併願はしませんでした。東京大学のなかでも理Iに出願したのは、国語は放っておいてもできたから。そして数学と物理は暗記が少なく短距離走的な勉強に向いていたからです。

 結果的に、理数系の勉強にはあまり熱心ではありませんでした。教養の授業の中で面白かったのはイタリアと日本の比較政治のゼミで、そこではのちに夫となる三浦と出会いました。

 大学時代は、それまでの読書量と比べると本を読まなくなり、ふらふらとしていました。当時好んで読んだのはエッセイ。須賀敦子や武田百合子の随筆を好んで読みました。須賀敦子はミラノ大聖堂近くのコルシア書店の仲間たちについての思い出を書いています。イタリア人と結婚した彼女は、イタリア社会にわけ入りつつも傍観者的な立場でもあった。その立ち位置は生来の性格にもよるものでしょう。数々のエッセイにおいて鋭い観察眼を発揮します。私にとっては彼女の観察眼の確かさと文章が心地良かったのですね。

(次回へつづきます)

三浦瑠麗(みうら・るり)

1980年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。国際政治学者として各メディアで活躍する。『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』『私の考え』など著書多数。

(取材・構成/鳥海美奈子 撮影/五十嵐美弥)


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