厄介さと愛おしさと――様々な家族のかたちを描く 青山七恵おすすめ4選

2007年、『ひとり日和』で第136回芥川賞を受賞した青山七恵。日常の些細なことを見逃さず、よく見つめて描く作風で知られています。『ひとり日和』は、20歳の女性が遠縁の老女と同居するという設定の小説ですが、他にも、従来の家族のあり方を問い直すような作品を発表しています。そんな著者のおすすめの小説4選を紹介します。

『ハッチとマーロウ』――子どもの頃、大人は皆、しっかり者だと思っていたけれど。大人から「卒業」宣言した母と、11歳の双子の娘の成長物語


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 埜々下ののしたはるまりは、双子の姉妹。小説家の母・えみと3人家族です。姉妹は、皆から、「ハッチ」・「マーロウ」と呼ばれています。その呼び名は、母が、みつばちハッチと、推理小説の探偵の名前をもとに付けたもの。娘にそんなあだ名を考えるところからして相当ユニークなのですが、双子の11歳の誕生日に、またしても突飛なことを言い出します。それは、「ママは、大人を卒業して、だめ人間になる」というもの。えみは、その日以来、パジャマのままソファでごろごろ、一切の家事と母親業を放棄します。困ったのは娘たち。訳もわからないまま、掃除に洗濯、料理と、「おちおち学校の宿題もしていられない」、せわしない毎日をスタートさせます。
 それを知った双子の友達・エリーは、えみに抗議します。

子どもだからって、あたりまえに大人の都合でふりまわすの、良くないと思います。子どもだからって、ハッチとマーロウのこと、軽く見ないでほしいんです。わたしの両親は、わたしが小さいころからだいじなことはちゃんと説明してくれた

 子どもだって、「ちゃんとした理由」を知る権利があると言うエリー。痛いところを突かれて傷つく母。たしかに、双子は知らないことが多過ぎました。生まれたときから父がいない理由、引っ越しを繰り返す理由……。けれど、子ども心に薄々事情を察していて、大人が思っている以上に、色々なことが分かっている様子。反対に、大人になれば人はしっかりするものだと思っていたのに、いざ自分が大人になれば、あの頃とあまり変わっていない――それは多くの人が思い当たることでしょう。
 一見奔放に見える母ですが、見るべきところは見ている、と思わされる場面もあります。例えば、いつもお揃いの服で登校している双子に対して、友達から、「個性がない」と言われた2人が、母に「個性的になりたい」と訴えたとき。

個性はつくるものではありません! つくった個性なんて、どのみちつまんない個性よ。個性というのは、自分でつくったり見つけだすものじゃなくて、よその他人から見つけだされるものだってこと! だからそれが見つけだされるまでは、自然にふつうに、してればいいの!

 他には、ハッチが、学校で女子をいじめる男子を殴り返して、男子から「お前は、そんな長い髪をしているけれど、中身は男なんだろう?」とからかわれた時、その場でハッチがポニーテールをハサミで切り落としたことを知った母が、ハッチを褒め称え、「髪はすぐ伸びる」と励ます場面も。
 では、世間とは異なる形ではあっても、娘を愛する母が、「だめ人間」を続ける真意は何でしょうか。双子は次第に疑念を深めていきます。もしかして母は再婚するのか? 仕事でどこか遠くへ行くのか? 近い将来、病気で死ぬから、娘たちを自立させようとしているのか……?
「まだ子ども」と「もう大人」のあいだで揺れ動く少女たちの1年が描かれています。

『私の家』――実の母の葬式に来なかった、30年来音信不通の息子。2人のあいだに何があったのか。法要を機に、徐々に紐解かれる一家のクロニクル


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 27歳独身のあずさが、母方の高齢の祖母・てるの49日の法要のため、東京から帰省し、親戚一同と顔を合わせる場面から物語は始まります。出席者は、梓の父・滋彦、母・祥子、結婚して家を出ている姉・灯里あかり、母の姉で伯母にあたる純子、祖母の年の離れた妹で大叔母にあたる道世の6人。しかし、ここには本来はいるべきはずの人物が欠けています。母の兄で伯父にあたる博和です。博和は、一家のなかでは、「もういない人」という扱いで、誰も話題にしようともしません。

「親のお葬式にも、49日にも来ないなんて、こんなさびしいことってある? そんな感覚、あたしには信じられない」

と、灯里はささやきます。
 それからしばらくして、道世は、姪の純子に誘われ、ニュージ―ランドを旅することに。そこで、純子に、博和と引き合わされます。今は、ニュージーランドで外国人のパートナーと暮らしているという博和。道世は、30年ぶりに出会った甥・博和と話し合います。

「親子なんだから。最後は許さなきゃ」
「許す許さないの話じゃなかったと思う。ただ2人とも、意気地がなかった。特に僕のほうに……薄情な息子だね」
「(照に)どんなひどいこと言われたか知らないけど、行方知れずってのはやっぱり良くないよ。そんなに嫌いになっちゃった、わたしたちのこと?」
「違うよ。嫌いになったのは、家なんだ。家を出れば、もう苦しまないですむと思ってたんだよ。僕も母さんも苦しいのは、2人が家族だっていう以前に、家っていう場所、どっちかが待ったり待たれたりする、どうしてもこの地球上から消せない、家っていう1つの場所があるからなんじゃないかと思って……」

 そして、照と博和のあいだに決定的な亀裂が入った理由が徐々に明かされます。博和の父が風呂場で突然死したとき、博和が海外にいて葬式に1日遅れで帰ってきたことを、照が許さなかったこと。照が夫の異変に気づくのが遅れたため助からなかったことを、「母さんが殺したようなものだ」と博和が責め立てたこと。
 血縁関係が重視され、「家」制度が根強い日本。博和の親族のなかには、「家をしっかり守れば、自分もまたその家に守ってもらえる」というような考え方をする人がいる一方で、そうしたしがらみに息苦しさを覚える人もいるのです。
 小説のラストで、道世に説得された博和は、照の一周忌に帰ってくることができるでしょうか。

『めぐり糸』――持って生まれた運命、切っても切れない縁。芸者の母を持ち、花街で生まれた女の波乱に満ちた半生とは


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 終戦の年、芸者の母から生まれ、東京・九段の花街で育った「わたし」の半生を、全編一人称の問わず語りで綴ります。置屋から芸者を呼んでお客に酒食を共にさせる料亭・「八重やえ」で育った「わたし」。若女将として店を切り回す元芸者の母と、祖母代わりのような老女と暮らしています。父は茗荷谷の裕福なお屋敷の長男で、母とはいわゆる通い婚。
「わたし」が小学生の頃、「八重」の隣向こうの置屋・「鶴ノ家」に、いつの間にか住みついたてつはるという同級生と出会います。ところが、哲治のことを周囲の大人たちに聞いても、皆とぼけるばかりで、彼の素性は謎のまま。「わたし」は哲治のことが無性に気になって仕方ありません。友人たちは、それは恋だとからかうけれど、「わたし」は、それ以上の何かがあるように思えてならないのです。

わたしたちの運命というのは生まれたときからただ一通りに定められているものなのでしょうか。わたしはどちらかと言うと、自分の運命がすべて定められているものだとは信じたくありません。この世のあらゆる偶然が果実のように実る森のなかを、人は目をつむって手探りで生きているのだと思うのです。それでも時折ちょっとしたことがきっかけで、自分の運命が手の施しようのないほど定まりきっているような感覚に打たれることもあります。

と、述懐するように、もう会うこともないと思っていた哲治と「わたし」は人生の節目で、なぜか邂逅するのです。「わたし」が花街を出て、18歳で最初の結婚をした時も、その結婚に破れたときも、影のように、常に「わたし」の人生についてくる哲治。哲治は、人には言えないような仕事についているらしく、「わたし」は余計に心配を募らせます。

わたしたちは逢瀬を重ねるようになりました。逢瀬と言っても、それは世の男女のあいだに起こるような甘い予感や倦怠けんたいに満ちた色っぽいものではなく、保護司とその対象者とのあいだに持たれる面会と言ったほうが近いような、事務的でよそよそしい感じのする逢瀬ではありました。ただ、それは飽くまでも2人がその体裁を必要としていたからで、そんな馬鹿げた体裁なしには、成長したわたしたちが2人きりで会うことなどとても叶わなかったのです。ぎこちない他人行儀に時折のぞく昔の近しさを、わたしは懸命に引っ張りだそうとしていました。

 そして、30代で再婚して待望の娘も授かり、その子が成長して哲治のことを忘れかけた時、またしても出会ってしまうのです。哲治を気にかける「わたし」。哲治は分身のようなものだと説明しても、それが全く理解できない夫と娘。

「哲治を見捨てることは、自分を見捨てることと同じなの。彼に無関心でいることは、自分の人生に無関心でいることと同じなのよ。馬鹿なことを言っているのはわかっているけど……」

 タイトルに「めぐり糸」とありますが、一度複雑に絡まった糸は、容易にほどけるものではありません。それを離そうと思えば、断ち切るしかない。けれど、「わたし」にはそれができないのです。そうまでして思い続ける哲治とは、「わたし」にとっての何なのでしょうか。

『花嫁』――兄さんの結婚には断固反対だ! 結婚する女性の最大の障壁は姑より小姑かも


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 若松麻紀まきは20歳の大学生。和菓子屋を営む父と母、25歳の兄の4人家族。父の作るイチゴ大福は売れ行きがよく、一家が住む立派な家は、「大福御殿」と近所の人たちが揶揄しますが、麻紀は気にしません。

大福御殿。あたしはその名前を気に入っている。あたしたちの家は実際大福のようにやわらかで甘くて、この世のどこよりも心がやすまる家なのだ。なめらかでどっしりしたこし餡と、どこまでも伸びるやわらかくて純白のお餅にくるまれた大事なイチゴみたいに、あたしたち家族は、居心地のいい家で、たがいがたがいを思いやって、仲良く暮らしている。それにかぶりつこうとする人は、ばかをみる。それなのに、兄さんはあたしたちの完璧なカルテットに、もう1人若い女の人を加えようとしている。とんでもないことだ。

 急に結婚すると言い出した兄に対し、複雑な麻紀。兄嫁となる人がどんな人か聞いてもいないうちから猛反対します。一方、姑となる母はそうでもないようです。それは、手塩にかけて育てた息子が誰からも選ばれなかったら、それはそれで自分の子育てが失敗だったと言われているようなものだからではないか、と麻紀は分析します。麻紀は、頼りにしていた兄を取られるような苛立ちが、母以上に強いのです。それは、兄妹愛以上の情愛を匂わせるほど。小姑根性と言うように、結婚において、小姑は、姑以上に手強そうな存在として描かれます。
 明日、兄嫁となる人が家を訪ねて来るという日、父は麻紀に言い聞かせます。

新しく家族になる人だ、きゅうくつな思いをしないように、みんなで楽しく迎えよう。カズ(兄のこと)を必要として、パパやママや麻紀たちとも仲良くしたいと思ってくれたんだ。わたしたちが新しい家族を選ぶのではなくて、花嫁のほうが、うちを選んでくれたんだ。ゆめゆめ、こちらが迎えいれてやるのだ、などと居丈高いたけだかな考えは持たぬよう。

 舅の方が、嫁に気を遣うというのは非常に現代的です。しかし、実際に兄嫁となる人に出会ってから、麻紀の反対はより強固なものに。それは、麻紀もよく知る、従姉でした。最近では疎遠になっていましたが、子どもの頃は控えめに言っても可愛い子ではなく、兄も疎んでいたはずなのに、いつの間に恋仲になっていたのでしょう。そして、物語が進むにつれ、麻紀と兄、ひいては兄と従姉は、血のつながった関係なのかという疑惑がわき上がってきます。妹の反対を押し切り、兄は結婚に漕ぎつけられるでしょうか。

おわりに

 毎日一緒に過ごしていても、心の内までは分からない。家族は、近くて遠い存在なのかもしれません。そして、親しい間柄だからこそ、普段は大切なことや本質的なことを、いちいち口に出したりしないものですが、何かのきっかけでふと、いろいろな感情が溢れ出てくるもの。青山七恵が描く、さまざまな家族像をぜひ読みとってみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2022/03/04)

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