いま、SFはアジアがアツい。選りすぐりの「アジアSF」セレクション
『三体』(劉慈欣)を皮切りに、“中国SF”は日本国内でも大きなブームとなりました。近年は、中国の作家によるSF作品はもちろん、韓国や台湾など、アジアの他の地域の作家によるSF小説も盛り上がりを見せています。今回はそんな“アジアSF”の中から、特におすすめの作品をご紹介します。
Facebook(現在はMeta)の創業者、マーク・ザッカーバーグやオバマ前大統領も愛読を公言し、世界的な熱狂を呼び起こした傑作長編『三体』(
現在も中国SFブームは続いていますが、2020年以降はさらにその幅が広がり、中国のみならず、韓国やアジア圏で活躍する作家によるSF作品が脚光を浴びるようになってきています。今回は、2020年代に発表・翻訳されたアジア圏の作家による最新のSF作品の中から、特におすすめの作品を選りすぐってご紹介します。
『トラストレス』(ケン・リュウ)
『トラストレス』収録/出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4309029035/
『三体』第1部・第3部の翻訳を担当するなど、中国SFの優れた翻訳者としても知られる小説家、ケン・リュウ。日本でも、傑作SF短編集『紙の動物園』が話題になるなど、唯一無二の作風で多くの読者から支持されています。
日中米の作家によるSFアンソロジー『中国・SF・革命』に収録された『トラストレス』は、そんなケン・リュウによる、ブロックチェーン技術を題材としたSF短編です。タイトルの『トラストレス』とは近年のブロックチェーン技術におけるひとつのキーワードで、銀行のような信頼(トラスト)の置ける第三者がいなくとも、安全に資産の保有・取引がおこなえるという概念を意味します。
ケン・リュウが本作で描くのは、そんなトラストレスなブロックチェーン技術が生活インフラにおいても当然のように用いられるようになった近未来です。主人公のケイティは、ロースクールを出たものの弁護士になる夢が叶わず、負債を背負い不自由な暮らしを余儀なくされている女性。ケイティと、彼女の向かいの部屋に住む移民のサンは、住人の声を聞かない怠惰な大家・ダレンの管理するアパートで生活しています。ふたりはひどい住環境にうんざりしているものの、たとえ引っ越したとしても、同じような環境の部屋しか選べないことを自覚しています。
“一連の貿易戦争と景気刺激策のあと、インフレが猛威を振るい、家賃統制策によって住宅供給が減り、家主たちは“理想的な”貸借人をよりどりみどり選べるようになった。つまり、サンやわたしのように信用のない人間には、ダレンのようなクソ大家を甘んじて受け入れる以外の選択肢がないわけだ。”
彼女たちの生活において、現金での支払いができる場面はすでにほぼなく、代わりに“オーラ”と呼ばれる仮想通貨での取引が一般的となっています。
“オーラでわたしは毎月はじめにダレンに支払い、部屋の錠の新しいコードを手に入れる。もし支払わなかったら、わたしは即座に自動的に締め出される。信用確認はなく、賃貸契約もなく、立ち退き手続きもなく、不服申立てもない。スマートコントラクトと暗号通貨──富める者と貧しき者両方がいまやそこに頼るようになったのは、奇妙なことだ。”
“信用確認”をせずとも取引ができるようになった便利な世界では皮肉にも、ケイティやサンのように“社会的信用”がないとみなされた人々は、貧しい暮らしを選ぶことしかできなくなってしまっているのです。ケイティは、ドアの錠用のスマートコントラクトを書き換え、生活に必要な設備が大家から提供されない限り、家賃の振り込みがおこなわれないようにしてみないか──とサンに提案するものの、荒唐無稽だと彼女は気に留めません。しかし、ケイティとサンはささやかな交流を通じて以前より親しくなり、ケイティはコンピュータ・コードを用いた“革命”の実現を夢想します。
管理社会の弊害と、そこから取りこぼされる人々の物語を描いた、やさしくも力強い、ケン・リュウらしい完成度の短編です。
『となりのヨンヒさん』(チョン・ソヨン)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B086GJ8112/
『となりのヨンヒさん』は、弁護士として弱者の人権を守る活動もおこなっている韓国の小説家、チョン・ソヨンによるSF短編集です。本書には、私たちの生きる現代社会とそう変わらない世界での身近な生活を題材にした、奇想が際立つ作品や、マイノリティの視点に立った作品が多く収録されています。
表題作の『となりのヨンヒさん』は、隣室の奇妙な住人とのささやかな交流を描く物語です。主人公は、芸術高校で美術を教えている若手のアーティスト・スジョン。彼女が住んでいる都心のオフィステル(マンションとオフィスを兼ねた住居)の隣の部屋には、異星人が暮らしています。数年前、彼らの住む星と地球との間に交流が生まれ、一部の異星人たちが移住してきたのです。スジョンの住む街では、異星人にも親切にしましょうという公共広告が至るところに見られる一方で、実際には彼らは不気味がられ、距離を置かれていました。
破格の家賃に惹かれ、異星人の隣の部屋に住むことを決めたスジョンも、正体のわからない彼らに対し恐怖感や不信感を抱いていました。しかしあるとき、スジョンは偶然、部屋の前で隣人と鉢合わせてしまいます。隣人は親切にも、スジョンが落としたキャンバスの木枠を拾い、渡してくれたのでした。
“こんなに近くで見たのは初めてだ。彼がスジョンに木の棒を差し出した。遠くから見ると両生類みたいにねとねとして見えたが、間近に見ると、でこぼこの茶色い皮膚には貝殻みたいに虹色に光るつやがあった。木の棒を受け取る時、指先が触れた。じっとりして冷たいだろうと思っていたのに、温かかった。熱く感じられるほどだった。触ってみるとゴム風船みたいに軟らかくて、ちょっとくっついてくる感じがした。”
スジョンはそれをきっかけに、隣人を時折、自分の部屋に招くようになります。隣人はイ・ヨンヒと名乗り、故郷の星にある火山の話や、地球に来てからの暮らしのことをポツポツと語りました。さらにヨンヒは、自分の本名を発音しようとしても、地球と大気の成分や気圧が違うから難しいのだと言いました。
ヨンヒは故郷の星に帰還する直前、オフィステルの廊下でスジョンとすれ違います。そのとき、スジョンは奇妙な“熱気”を感じます。
“ヨンヒさんとスジョンの間に、宇宙のはるかかなたの炎と南極に揺らめくオーロラと冬に咲く紫がかった蓮の花のような熱気が、星くずみたいな光の粒子をばらまいて、一瞬のうちに通り過ぎた。”
ヨンヒが去ってしまったあとも、スジョンは時折ヨンヒのことを思い返し、“あれは別れの挨拶ではなく、スジョンが発音してくれた自分の名前だったのかもしれない”と夢想するのでした。ストーリー自体は非常にシンプルでささやかでありながらも、美しい余韻の残る1作です。
チョン・ソヨンの作品は、科学知識や技術を駆使した本格SFとはひと味違い、日常の暮らしをすこし違った視点から見つめ直すようなものが多く見られます。その独特な後味に、やみつきになる方も多いはずです。
『わたしたちが光の速さで進めないなら』(キム・チョヨプ)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B08P7367Q8/
『わたしたちが光の速さで進めないなら』は、1993年生まれの新進気鋭の作家、キム・チョヨプによる短編集です。キム・チョヨプは本書の表題作、『わたしたちが光の速さで進めないなら』で第2回韓国科学文学賞中短編部門の佳作を受賞(さらに『館内紛失』で大賞を受賞)し、作家デビューを果たしました。
表題作は、廃止予定の宇宙ステーションで、長年のあいだ宇宙船の出航を待ち続けている老婆と男との交流を描くSF小説です。
ある日、古びた宇宙ステーションを訪れた男は、そこでスレンフォニア惑星系という遠い星への船を待っている老婆に出会います。老婆は、自分はかつて宇宙開拓時代の黎明期、人体のコールドスリープ(冷凍睡眠)に革命をもたらした技術を研究・開発した学者だと語ります。
老婆は170年前、夫と子どもを先にスレンフォニア惑星系に移住させ、研究に区切りがついたタイミングで家族を追って移住する予定でした。しかし彼女が研究に夢中になっていたあるとき、他の惑星へと繋がる“ワームホール”の通路が発見されます。その発見によると、宇宙空間内に無数にあるワームホールを用いれば、宇宙船に乗り込み、コールドスリープ技術によって長い年月眠り続けることをわざわざしなくても、簡単に他の惑星への移動が可能になるということでした。
その発見により、これまで惑星間移動の手段の中心であった、宇宙船を用いたワープ航法は一気に古いものとなってしまいます。研究費削減と国家の支出削減のため、ワープ航法を用いたスレンフォニア惑星系への船は急激に減便されることが決定してしまいました。老婆は、それでも自身の研究を必死に続けます。
しかしあるとき、ついにスレンフォニア惑星系へ向かう宇宙船の最後の一便が旅立ち、老婆は家族の待つ惑星に行く手段を断たれてしまいました。老婆はコールドスリープを繰り返しながら、100年も前に廃線となった宇宙ステーションの駅に通い詰め、いつか来るかもしれない船を待ち続けていると言うのです。老婆は、男にこう語ります。
“「別れというのは、昔はこんな意味じゃなかった。少なくともかつては同じ空の下にいたからね。同じ惑星で、同じ大気を分かち合っていた。だけどいまでは、同じ惑星はおろか同じ宇宙ですらない。わたしの事情を知る人たちは、数十年ものあいだわたしを訪ねてきては慰めの言葉をかけてくれたよ。それでもあなたたちは同じ宇宙に存在しているのだと。それはせめてもの救いではないかとね。でも、わたしたちが光の速さで進めないのなら、同じ宇宙にいるということにいったいなんの意味があるだろう? わたしたちがいくら宇宙を開拓して、人類の外延を押し広げていったとしても、そこにいつも、こうして取り残される人々が新たに生まれるのだとしたら……」”
男と老婆の心は、最後までほとんど通うことはありません。それでも、老婆の過ごしてきた100年という年月に思いを馳せ、男は彼女に同情します。
本書にはこの小説のように、SFらしい斬新なアイデアをふんだんに用いながらも、社会から周縁化されてしまいがちな人たちにスポットを当てた切なくもやさしい作品が多く収録されています。新世代による本格SF小説を味わいたい方にはぴったりの1冊です。
おわりに
2010年代、中国を起点として始まった新たなSFブームは、地域と書き手の属性を多様にしながら、いま、さらに発展しつつあります。『三体』をきっかけに中国SFに興味を持った方や、古くからのSFファンの方はぜひ、今回ご紹介した新たな書き手による作品にも手を伸ばしてみてください。そこには、SFというジャンルを拡張するような、新たな景色が広がっているはずです。
初出:P+D MAGAZINE(2022/07/26)