コスメにまつわる小説 おすすめ4選

多くの人にとっての一大関心事である、コスメ。製造販売の歴史や知られざる開発秘話、コスメを使う女性の心理まで、コスメに関するおすすめ小説4選を紹介します。

高殿たかどのまどか『コスメの王様』肌に有毒な鉛入りの白粉おしろいを、無鉛にしたい。ある実業家の挑戦とは


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 関西に老舗化粧品会社を起業した、実在の男性をモデルにした一代記です。著者は、『上流階級 富久丸百貨店外商部』などのヒット作で知られる高殿円です。
 永山利一は、明治18年山口の生まれ。家が貧しかったため、15歳で神戸に働きに出されます。神戸の道端で倒れていた利一は、花街の芸妓見習い・ハナに助けられます。聞けば、ハナも貧しい田舎の出で、口減らしのため花街に売られたとのことでした。
 酒問屋に勤める利一は、謹厳実直な働きぶりですぐに神戸支店長を任されます。しかし、利一自身は実は酒に弱く、自分では味がよく分からないものを営業することに後ろめたさを感じるようになります。

心から自分が良いと確信を持ったものを自分の店に置き、嘘をつくことなく人に奨めたい

 との思いで退職した利一は、花街の女性たちが、舶来品の化粧品を使って肌荒れしているとの悩みを聞き、国産の化粧品を製造販売することに商機があるのではないかと思い立ちます。

 日本で白粉による鉛害が社会問題になったのは、明治20年に天皇陛下を迎えて行われた天覧歌舞伎で、中村福助が倒れたことによる。その原因が日本赤十字社病院長によって慢性の鉛中毒と診断され、新聞などでも大々的に取り上げられた。大騒ぎになったので急いで鉛を使わない白粉の開発が進んだものの、費用の面でも仕上がりにも難があり、なかなかうまくいかなかった。(中略)ハナとて今まで鉛の白粉を使用していたはずで、そんなことを続ければかの歌舞伎役者のように倒れてしまうだろう。まだ若く健康なハナが、座敷に出るたびに鉛の毒を吸い続けて死のふちに近づいていくだろうことは、利一には耐えがたかった。ハナだけでなく、故郷の母や妹たちの顔がただちに浮かんだ。母とてきちんとした場に出るときは化粧をする。妹たちとてもうすぐ年頃だ。このままなにも手を打たないでいれば、鉛の毒が入っている白粉を肌に塗り続けることになる。そんなことはさせない。白粉で病気になるなんて。文明国の一員たる日本が、旧時代の負の遺産を婦女子に押し付けたままでいいはずがない!

 利一は、無鉛のみず白粉おしろいを製造する国内メーカーの独占販売権を得て、大手デパートとの納品交渉をします。ようやく評判が広まった頃、日本は日露戦争に勝ったのに賠償金がもらえず、物価高と関税高で、無鉛白粉の原材料を輸入することが厳しくなります。有鉛の白粉を再び売るしかないと言う周囲に、それでは意味がないと主張する利一。

「商売っていうのは、もののかたちをした信用を売ることだ」

 という信念を曲げようとしません。無鉛白粉の夢はいったん横へ置き、別のヒット商品を生み出して、その余剰利益を使って無鉛白粉の開発・製造ができる機会にかけることになりました。
 本作は、今にも通じる経営哲学にあふれています。例えば、

商売とは、客の時間を大事にすることである。十分な信頼があれば、客は一瞬もためらわずに諸君らの差し出すものを買うだろう。信頼とはすなわち、客に無駄な時間を使わせないことだ。

商機というのはとにかくていねいに人の心を読むもの。人の心は驚くほど早く移り変わるものだ。

など。
 本作は、女性の幸せを願い、高品質で安全性の高い化粧品の普及に貢献した利一のお仕事小説としてだけではなく、恋愛小説としても楽しめます。実家への仕送りのため、大地主に落籍ひかされて妾になることを選ばざるをえなかったハナ。利一とハナが相思相愛であることに両方ともが気づきながらも、彼らがすれ違ってしまうもどかしさも、読みどころです。

林真理子『コスメティック』化粧品の歴史は女の欲望の歴史である


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 女性心理を巧みに描くことで人気の直木賞作家・林真理子。本作は、化粧品メーカーの広報部で働く女性がヒロインの小説です。
 広告会社に勤めるアラサーの沙美は、フランスに本社がある外資系化粧品メーカーからヘッドハンティングの誘いを受け、PR担当として転職したばかり。
 沙美は、日本の女性たちがコスメ好きな理由を考えます。

平べったい顔で肌の綺麗な日本の女は、自分の顔をキャンパスに見立て、自由に絵を描くことが出来る。その出来具合、色の加減、線のひき方ひとつで個性という新しい美を手に入れることが可能なのだ。だから日本の女たちはこれほど化粧品に夢中になっていくのである。

 平坦で地味な顔立ちの日本人だからこそ、化粧による効果は劇的で、本国のフランス以上に勝算があるのではないかと見込んでいます。
 外資系企業は年俸制で、広告の波及効果を点数にして査定するので、一定の基準に達しない者はすぐに解雇される、と言い渡された沙美。女性誌を刊行する出版社をまわり、自社製品の広告を少しでも大きく掲載してもらうためには、なりふり構わない様子です。
 化粧品業界で働くうちに、その内情を知っていく沙美。例えば、1万5千円の化粧水の原価が1割程度で、広告費やパッケージ台が上乗せされているというからくりも分かっています。けれど、それでも1万5千円の化粧水にはその価値があると信じている沙美。なぜなら、プラシーボ効果といって、こんなに高価な化粧水をつけているから効くはずだ、と信じる気持ちが、本当に人をきれいにするから。化粧品メーカーは、そうした女性たちに夢を売る仕事だと、沙美は考えます。
 女性の美への欲求と飽くなき野心を描いた小説で、著者の本領発揮作といえそうです。

瀧羽たきわ麻子『白雪堂化粧品マーケティング部峰村みねむら幸子の仕事と恋』売り上げが低迷する老舗化粧品メーカーで行ったテコ入れとは


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 化粧品メーカーに就職した23歳の女性が、売り上げアップのためのプロジェクトに抜擢される小説です。著者は、2007年『うさぎパン』で、第2回ダ・ヴィンチ文学賞を受賞してデビューした瀧羽麻子。
 幸子は、学生時代、肌の不調時に、美容皮膚科の女性ドクターから薦められて以来、愛用する化粧品メーカー・白雪堂に入社したばかり。入社試験で以下のような志望理由を書き、合格します。

見た目を気にすることについて、悪く言うひとがいる。確かに、外見ばかりにこだわって中身が追いつかないのは哀しいとわたしも思う。けれどそもそも、そのふたつは完全に切り離せるものなんだろうか。特に女の子にとって、かわいくなる、綺麗になる、というのは元気がわいてくる原動力になる。ささやかな、自分にしかわからないかもしれないわずかな変化でも、やっぱりうれしいのだ。昨日よりちょっと綺麗になったと思えたとき、そこから生まれた気持ちのゆとりが、なにか悪さをすると思えない。

 自分がきれいになることで周りの人へも優しくできる、という理想を持って入社した幸子。ところが、幸子も愛用する社の看板商品である高級化粧水「シラユキ」は、このところ売り上げが低迷気味。幸子は、発売30周年を機にリニューアルされることになった新「シラユキ」のプロジェクトメンバーに選ばれます。なぜ、自分が選ばれたのか分からないまま、手探りで企画を考える幸子。先輩の女性社員からは、いくら不景気でも、もともと高級化粧品を買うような女性は、夫の小遣いを減らしてでもそれを買うのをやめたりしない、と発破をかけられます。
 ある時、幸子は、偶然目にしたマイナー映画の中に、自社ブランドのイメージにぴったりな、知名度のない新人女優を見つけ、体当たりで彼女の事務所にオファーします。しかし、それから時を置かずに、彼女がライバル会社の化粧品CMに出演することが決まったと知らされます。情報を漏らしたのは、自社に不満を持っている内部の人間か、最近同業他社から転職してきた産業スパイか、それとも幸子が電車内で不用意に彼氏に話したことがきっかけか……。
 仕事を頑張るすべての女性へのエールとなる小説です。

井上荒野あれの『しかたのない水』デパートコスメカウンターでの売り手とお客の心理戦


https://www.amazon.co.jp/dp/4101302529/

 2008年、『切羽へ』で、第139回直木賞を受賞した井上荒野が描く、女性心理のほの暗い面をあぶりだす連作短編集です。
 37歳主婦の「私」は、朝、夫を送り出してから肌の手入れをするのが日課です。

バスケットの中には、デパートの化粧品カウンターに行くともらえる様々な試供品がため込んである。(そのなかから)ようやく目当てのサンプルを見つけた。どうして今まで試してみなかったのか、そうだ、これをもらったときの売り子の態度が気に入らなかったのだ。3万8千円の高級クリームを買わせたくて必死で、今日は結構というのに人の顔に無理やり計測器を押し当てた。ほうら、水分値がこんなに低い、肌力が弱っている証拠ですよ、と勝ち誇った顔で言ったのだ。じゃあとりあえずサンプルいただけるかしら、合わなくて肌荒れしちゃうことも多いから、と私は言った。(売り子は)しぶしぶサンプルを差し出したけど、あからさまに人を見下したような目をしていた。私はべつにお金が惜しかったわけじゃない。――ところであなたのお肌、私よりひどいことになっているけれど、このクリーム、使ってらっしゃらないの? と、私は言ってやった。

 近寄りがたい化粧品カウンターで、隙のない化粧をした自分より若い店員に、無料サンプル欲しさに来たと思われたのが癪だった「私」は、後日、3万8千円のクリームを買いに、再び店を訪ねます。その時の店員の驚くべき対応とは……?
 化粧品カウンターでの売り手とお客の攻防、買うかどうかを迷う女性の気持ちが上手く表現されています。

おわりに

『コスメの王様』のなかに、「肌が荒れると人の心情は悪いほうにふれてしまう。反対に健康だと心が健やかになり、人のよいさがが機能する」という言葉があります。肌の調子がよいとき、化粧が上手くいったときの高揚感は誰もが心当たりのあるものですが、美容のヒントも見つけられる、コスメにまつわる小説をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2022/07/27)

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