【著者インタビュー】深沢潮『海を抱いて月に眠る』
在日朝鮮人をテーマにした作品で注目を浴びる深沢潮氏。父や自らの人生に向き合った家族の記録でもある最新長編小説について、執筆の背景を訊きました。
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
親戚や家族から疎まれた亡父の〝真の半生〟とは――自身のルーツに迫る長編小説
『海を抱いて月に眠る』
文藝春秋 1800円+税
装丁/征矢武
深沢潮
●ふかざわ・うしお 1966年東京生まれ。2012年「金江のおばさん」で女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞、翌年同作を含む『ハンサラン 愛する人びと』でデビュー。著書に『ひとかどの父へ』『あいまい生活』等。現在は皇族から大韓帝国最後の皇太子に嫁いだ李方子の評伝小説を準備中。「私自身、東京に住み韓国にルーツのあるフラットな人間として物を見ていたいので、今後も国や民族等の境界を越えた人間の物語を書いていきたい」。161㌢、B型。
一人語りが〝フィクション〟ならばいっそ小説の方が現実を伝えられる
『海を抱いて月に眠る』は深沢潮氏の最新小説にして、父や自らの人生に向き合った、家族の記録でもある。
主人公は亡き父の手記を通じて、その壮絶な過去や民主化運動に青春を投じた日々を垣間見る在日二世の〈文梨愛〉。自身、韓国出身の学者と離婚し、幼い娘を一人で育てる今も、横暴でいつも不機嫌だった父を、どこかで許せずにいた。
父は日帝統治下の慶尚南道・三千浦に生まれ、解放後は反政府運動に参加。仲間と命からがら海を渡り、上陸後は本名〈李相周〉を捨て、日本名〈文山徳允〉として生きた。が、梨愛には全て初耳で、父の本心を知り、徐々にしこりを解いていく娘の傍らには、戦前から現在に至る半島情勢や歴史のうねりもまた並走。時代に翻弄され、それでも精一杯に生きた、ある家族の歴史が像を結んでいく。
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「すみません。私の父は元気なんです。読後に驚いて電話を下さる方もいたんですが、まさにそこが最大のフィクション。主人公が手記で読む話を、私は直接父から聞いて小説化しました。一行目でいきなり死んだことにされた父は、さすがに驚いてましたけど(笑い)。
つまり父が密航してきて身元を偽ったのも本当なら、対馬沖で遭難したのも実話。その時の仲間だった〈姜鎭河〉と〈韓東仁〉ったり。どこまでが虚構で実話か、疑いながら読んでいただければと」
母の死後、実家に一人で住む父が秋夕の茶礼の餅菓子〈ソンビョン〉を喉につまらせ、呆気なく逝ってしまう告別式の場面から物語は始まる。享年90の大往生だけに梨愛や兄〈鐘明〉は淡々と見送るが、遺体に縋りつく老人の〈日本人にさせられちゃって〉という呟きや、美しい弔問客〈金美栄〉の涙に娘は波立つ。母は生前父に女がいると疑っており、梨愛は真偽を確かめるべく、逗子まで美栄に会いに行く。
すると彼女は父の旧友・韓東仁の娘で、祖国の民主化を言論面で支えた東仁がKCIAに目をつけられ、獄死してからも、父はこの母娘を支えてきたと知る。
美栄は父のことを〈サンチョン〉と親しげに呼び、実はあのソンビョンも母国の行事を重んじる父のために美栄が作ったのだという。それが原因で父が死んだことをしきりに詫びる美栄は現在医師をしているといい、〈医者か弁護士になれ〉と強要する父に反発してきた梨愛は一層嫉妬に駆られた。
「私の父も昔はひどい毒親でしたが(笑い)、今はだいぶ丸くなりました。
それは年齢もあるけれど、一番は韓国の政情の変化が大きかったと思う。祖国が軍事政権の弾圧下にあって、自由を奪われていることが、いかに人心を傷つけるか、私も何となく感じてきました。韓国が民主化した時、既に運動から離れていた父には寂しさもある一方、今までにない明るさを感じた。私が父に詳しい話を聞けたのもつい最近のことですが、今では実家に帰る度にあの時はどうとか、父は私より20歳になる私の息子にルーツを聞かせたいようです」
在日文学といえば 〝恨〟への違和感
本書では手記の中の徳允の一人語りと、それを読む梨愛の現在が交互に進行。遭難後、半島からではなく日本からの出国者を装い、あえて出頭して送還を免れたのも、〈文徳允〉名の闇の米穀通帳を入手できたのも、日韓間で手広く商売をする同船者の〈安川〉ことアン・チョルスのおかげだった。以来徳允たちは同胞の力を借りて何とか食い繋ぐが、徐々に左傾化していく朝連(在日本朝鮮人連盟)とは、後に袂を分かった。
そして解放三年目の夏、金日成と李承晩はそれぞれ独立を宣言。祖国が分断されたその日、三人はなんと真夜中の皇居で釣りに興じ、〈くそっ、二つに分けてやる〉と俎上の鯉を涙ながらに捌いたものの、あまりの不味さに笑い転げるのだ。
「この釣りの話は私が最も小説でしか書けないと思うシーンの一つです。その後の朝鮮戦争や政治的混迷にしても、教科書や新聞で知る限りは頭の理解に終始し、個人の生活まで脅かされた人々の存在を実感しにくいと思う。私は特に在日コリアンの問題を書く時は大文字で語られがちなことを、より身近で生活感のある小文字言葉で書くようにしています。結局、金大中の自伝にしろ父の話にしろ、人間は自分の過去を美化したがる動物らしく(笑い)、あらゆる一人語りがフィクションだとすれば、いっそ小説の方が現実を伝えられる気もしています」
その後、三人はそれぞれに事業を成功させ、徳允も大井町の工場主の娘・容淑と結ばれる。長男・鐘明を授かるが、重い心臓病を抱えた鐘明は入院先を出られず、妻との間にも溝が生じていく。この時、運動を口実に病院を避けがちだった父が、友達のいない息子のために仲間に頼んで〈千羽鶴〉を折ってもらったこと、その中に美栄たちもいたことを梨愛は初めて知り、自分が生まれる頃には運動をやめていた父がどんなに祖国を思い、苦渋の選択をしたか、今さらながらに気づくのだ。
「実は私も同じ病気で姉を亡くしていて、家族総出で鶴を折ったりして。普段、私はわりと作品と距離を取って書く方なのですが、この場面は本当に辛くて……。
父も以来きっぱり運動をやめてしまい、それくらい耐え難い出来事だったんだと思う。だからこそ鐘明には生き続けてほしかったし、父にその話だけは書くなと言われても作家の業なのか、書かずにはいられなくて」
そうした個人的な事情と時代のうねりが有無を言わせず絡みあう中に氏はこの虚々実々の家族史を置き、在日家庭にも様々な様相があることや父と娘の普遍的関係を、丁寧に描いていく。
「世代や民団系と総連系、戦前に徴用された人と民主化を信じて国を出た人でも祖国への思いは全然違う。在日文学といえば〝恨〟だと理解され、強調されてきたことに違和感があります。事実ではあるにしろ、社会の底辺に置かれてきた在日というステロタイプもある。
もちろん恨も抱えていますが苦労した父の人生には色々な様相があったはずですし、東仁のように志を貫いた人もいれば、家族のために志を折った人も大勢いる。そういう人生も私は十分誇らしいと思うんです」
背を向けてきた父の肯定。それは自分自身の肯定にも繋がるといい、本書を書き終えた今、彼女は「私自身の問題はもう何もない」と、眩しいほど笑顔を輝かせた。
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2018年4.27号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/08/16)