【著者インタビュー】堀越英美『不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』

『感動をありがとう』ということが絶対善かのようになったのは、なぜなのか? 日本人の道徳観がどんな意図や教材の下で作られてきたかを検証し、問題をあぶり出す一冊。著者にインタビューしました!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

読書を通じて形成された近代からの道徳規範を痛快な筆さばきで暴き出す!

『不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』
不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか 書影
河出書房新社
1550円+税
装丁/川名 潤 装画/ますこえり

堀越英美
●ほりこし・ひでみ 1973年横浜生まれ。早稲田大学第一文学部卒。IT系出版社を経てライターに。ネット草創期の元人気ブロガー。「HPを始めたのが学生時代の95年なので、まだユニックスの時代です」。著書は他に『萌える日本文学』『女の子は本当にピンクが好きなのか』、翻訳書も多数。10歳を迎えた子供が両親に感謝する感動の式典「二分の一成人式」の台本に、〈地獄かよ〉の一言で親子の心を一つにしたツッコミ上手な小5の長女と小1の次女の母。153㌢、O型。

人が国家的美学にくみする危うさは、自己犠牲の美談に涙する誰にもある危うさだ

今春、ついに小学校で正式な教科、、となった道徳の授業。「国の基準で道徳に成績をつけるなんて!」とお怒りの方もあろうが、『不道徳お母さん講座』の著者・堀越英美氏にとってそれは、日本人の道徳と歩みについて考える入口に過ぎなかったという。
「私には娘がいるのですが、学校でも『みんなで頑張って絆を深めよう』みたいな同調圧力があり、何か事情があって頑張れない少数派の意見はないことにされてしまうんですよね。
一体何がそうさせるのか、私自身も含めた心の原点を探るには、明治以来の教育史を一通り遡る必要がありました。教科化を悪者にしても何も変わらないので」
本書では日本人の道徳観がどんな意図や教材の下に作られてきたかを具体的な根拠をもって検証。すると〈敵は大きすぎて、丸腰で立ち向かってはゆるふわ感動モードに流されかねない〉とあるように、最大のクセ者は〈感動〉だった!?

奇しくも取材日は大阪桐蔭VS金足農による高校野球決勝当日。『キャプテン』世代の著者も、『ドカベン』世代の筆者も、正直、気が気でない。
「いかにも昭和の子供ですよね(笑い)。私は昭和48年生まれのガンダム世代でもあって、みんなで力を合わせて戦ったりする物語に感動もしてきたし、それ自体は悪いことではないはず。ただ最近はその感動をいたずらに押し付け、少数派を退ける傾向が強くなっている気がして、『感動をありがとう』と言うことが絶対善かのようになったのはなぜなのか、私も知りたかったんです」
例えば道徳教材〈お母さんのせいきゅう書〉を読ませることで、〈母親の無償の愛に感動して涙する子供の物語〉を道徳としてなぜ教える必要があるのかと氏は疑問を呈し、他にも〈「二分の一成人式」に「巨大組体操」〉等々、〈感動の押し売り〉は、教育現場を息苦しくしているだけだと綴る。
「ことは学校に限りません。例えば企業で同僚が自殺しても『みんなが頑張ってるのにあいつは弱い』とか、『子供を自然に育てるのがイイ母親で、スマホに頼るのは悪い母親』とか、そのみんなが滅私奉公や理想の子育てを強いられる現状を、なぜか変えようとはしない。
特攻隊もそうです。なぜあんな無謀な作戦が美談にすらされてしまったのか、そこには多くの童話や児童文学による刷り込みの歴史が深く関係していました」
昨今では学校教材のほか、絵本等の〈読み聞かせ〉も大はやりだが、子供たちは例えば国語で新美南吉『ごんぎつね』を読んで狐の気持ちを想像し、その死を悼む心や〈自己犠牲〉の精神を学ぶことを暗に期待されている。
「それを一番よく知っているのも、子供たちですけど」
国語の学習指導要領には〈国を愛し、国家、社会の発展を願う態度を育てる〉などなど、明らかに道徳の範疇と思しき項目が並び、課外読書でも推奨されるのは〈物語〉ばかりだとか。
「学校から持ち帰る推薦図書リストも物語で占められています。また読み聞かせは〈心の脳〉に届くとする研究もあって、子供の思考より感情、、、、、、に何かを訴えようとしていると感じます」

感動はしても必ずしも正義ではない

しかしそれも最近の話だ。かつて物語は啓蒙思想家・中村正直が〈小説ヲ蔵スル四害〉を論じたほど有害視され、〈小説を読むと死んでしまう〉とさえ言われた。そして国家的な道徳規範もない中、明治政府は〈天皇が親孝行や謙遜などの道徳を臣民に語りかけるという体裁の「教育勅語」〉を制定。以降多くの子供雑誌が創刊されるが、小説は〈毒入りの砂糖〉として排除され、昔話も例外ではなかった。
例えば福沢諭吉は当時の「桃太郎」には鬼の悪行の描写がなく、この理不尽さゆえに近代国家を担う子供にはふさわしくないと批判。この話を正義の英雄に書き換えたのが巌谷小波いわやさざなみだが、巌谷版「桃太郎」が出た明治27年は日清戦争が勃発した年。〈父兄がおとなしくさせんとする小供を、小生はわんぱくにさせ〉と書いた彼の〈わんぱく主義〉は、やがて少年たちの士気高揚へと利用されていく。
「わんぱく礼賛も昔からあった価値観ではなく、日清戦争までは勉強する子がイイ子だったんです。それが不平等条約に対する大人たちの不満や子供自身の暴れたい欲求とあいまってヤンチャ礼賛的気運を生み、彼らを後々兵隊にしたい国の思惑と不幸にも合致していく。つまりそれは上が押し付けたというより、国民の側にもあった空気、、なんです」
やがて時代は昭和に入り、彼ら少国民に正しい道徳を説くべく担ぎ出されたのが、小川未明であり、母親に守られ、無垢でいられた子供時代を理想化する〈童心主義〉の北原白秋だ。
「特に小川は内務省の児童文学統制にも積極的に関わり、『赤い蝋燭と人魚』にウットリした私としてはかなりショックでした。いかにも軍国主義的な人ではなく、『左翼・メルヘンの人』という印象があったので、戦意高揚童話も書いていたとは、と。母子の密着を描いた童心主義が、自我を国家に捧げるナショナリズムへと転化し、戦争が〈感動コンテンツ〉となっていく動きからは、一見こちら側の人間が国家的美学に与してしまう危うさに戦慄しました。そしてそれは皆のために頑張り、自己犠牲の美談に涙する、私自身や誰の中にもある危うさなんです」
例えば白秋が母を恋うる気持ちを文学に昇華させるのはいい。だがそれが国家レベルの美学や〈母性幻想〉と結びつけば社会的に抑圧される存在もまた生まれ、少数派をいよいよ孤立させることになりかねないのだ。
「本書は表題こそお母さん講座ですけど、たぶんどんな方であっても学校や職場や家庭で抑圧された経験は何かしらお持ちだと思う。もしご自分の中に内面化された抑圧があるなら、それと戦ってみませんかって。
私自身、ガンダム好きな自分と若者の戦意を煽った文学者は地続きにあって、人を批判する前に自分の中にあるものを相対化しようと思って道徳の歴史を調べ始めた。今でも美しいものに憧れ、感動はするけれど、それが必ずしも正義じゃないことだけは心に留めておきたい。人はどうあれ、自分はそうあり続けることが、いずれは個人が個人として尊重される社会を実現すると、信じたいんです」
強大な敵は外だけでなく、自分の中にもいる。そんな賢明さこそ、本来はみんな、、、が学ぶべき道徳だと思うのだが。

●構成/橋本紀子

(週刊ポスト 2018年9.21/28号より)

初出:P+D MAGAZINE(2018/10/19)

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