アメリカの亡霊の声を聞け!『リンカーンとさまよえる霊魂たち』
南北戦争のただなか、息子の墓を訪ねたリンカーンが目にしたのは、死ねずに彷徨っている人々の霊だった! 全米でベストセラーとなり、ブッカー賞に輝いた小説を紹介。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
鴻巣友季子【翻訳家】
リンカーンとさまよえる霊魂たち
ジョージ・ソーンダーズ 著
上岡伸雄 訳
河出書房新社 3400円+税
装丁/加藤賢策(LABORATRIES)
装画/オカタオカ
批評性に富む「引用」により南北戦争の実態が浮かび上がる
ここしばらくアメリカでは時勢を反映してか、南北戦争(対立構造)を題材やモチーフにした小説が続々と書かれている。そうした中でも、ブッカー賞に輝いた本書は傑作中の傑作。
作者はリンカーンのメランコリーの中核にあるのは、息子ウィリーの夭折であり、そこに迫らずして人間リンカーンは描けないと考えた。だがどうやって迫る? そこがこの作家の奇想天外なところ。息子の墓を訪れる父と、ウィリー、さらには死ねずに彷徨っている人々の霊を〝交流〟させてしまうのだ。
年下の花嫁といよいよ初夜という時に梁が落下してきて亡くなった中年男、同性愛の恋人に放りだされて自殺した男性など、霊魂たちがギリシャ劇の「コロス」よろしく代わる代わる語るのだが、卓抜なのはリンカーンその人の声だけを空洞化させていることだ。主人公は声をもたず、演じず、コロスだけが延々と語りつづけ、その空白にリンカーンの悲しみと苦悩と、泥沼化した南北戦争の実態を浮かびあがらせる凄技。
しかも物語るのは霊魂たちだけではない。書籍や新聞などさまざまな文書からの大量な「引用」がコロスに参加するのだ。「彼の写真は一つとして彼の姿を正しく伝えていない」『ユーティカ・ヘラルド』紙、「彼の微笑みほど愛らしいものはなかった」チャールズ・A・デイナ『南北戦争の思い出』、「私が見たなかで最も不細工な男」ドン・ピアット『人間リンカーン』……なんと人を食った技法だろう。実在の著者と著作もあれば、それらしい架空の人物と文書もある。人名と書名が批評性に富んでいて一々おもしろい。クンハート&クンハートはハンバート・ハンバートのもじりかと思いきや実在の人たち。イザベル・パーキンズは実在だが、彼女の手紙を編んだナッシュ・パーキンズ三世っているの?
本書訳者が新訳したシャーウッド・アンダスンの名作『ワインズバーグ、オハイオ』の風味になぞらえる米国の評者もいる。
空洞に響くアメリカの亡霊の声を聞け!
(週刊ポスト 2018年10.12/19号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/10/30)