【著者インタビュー】高山羽根子『如何様』/敗戦後に帰ってきた男は本物か、偽物か
戦後の混乱期に帰ってきた男は、出征前の姿とは似ても似つかず、別人にしか見えなかった――。ありがちな成りすまし事件に見せて、虚と実を巡る思わぬ境地に読者を誘う傑作!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
戦地から復員した画家は出征前と似ても似つかぬ姿だった―「本物/偽物」という二項対立を脳の芯から揺るがす怪作
『
朝日新聞出版
1300円+税
装丁/鈴木成一デザイン室 カバー作品/武田鉄平
高山羽根子
●たかやま・はねこ 1975年富山県生まれ、神奈川県育ち。多摩美術大学美術学部絵画学科卒。2010年「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作を受賞し、14年に同収録作で単行本デビュー。16年「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞を受賞し、昨年は「居た場所」と「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」が2回連続で芥川賞候補となるなど、目下注目の気鋭。本書は表題作の他に「ラピード・レチェ」を所収。著書は他に『オブジェクタム』。159㌢、AB型。
本物か偽物かという基準だけでは測りえない不確かな世界を私も生きている
〈戦地から帰ってきた男が別人にしか見えない〉―。
出征前とは似ても似つかぬ姿で世田谷区北沢のアトリエ長屋に帰ってきた水彩画家〈平泉貫一〉。彼にアトリエを貸す美術系出版社の〈
そんな戦後の混乱期にはありがちな成りすまし事件簿に見せて、虚と実を巡る思わぬ境地に読者を誘うのが、高山羽根子著『
*
多摩美大時代は日本画を専攻し、
「昔の人が字と絵の別を越えて何かを表現したように、私も今はたまたま字で書いている、くらいの感覚です」
既成のジャンルに留まらないその作品群は当初から評価が高く、昨年は芥川賞にも2回連続でノミネート。取材中も手書きの創作ノートを繰り、「そうだ、あの時はまた新しいお札が出ると聞いて、小田原まで工場見学に行ったんです」「これは別の時に……」と、日頃から気になる事象を書きとめては、パッチワークのように物語に紡いでいく創作手法について語ってくれた。
「自分でもなぜそれが気になったか後で見返すとわからなくて、捨てるモチーフも多いんですけどね(苦笑)。
ただ今回、モチーフとしてのお札が物語の柱になったのは創作ノートにもある通りです。お札って、みんなが美術作品と思っては扱わないけれど、実はとても複雑なものを表象している社会的絵画だと思うんです。今後は小銭も含めてあの手触りやモノ感はキャッシュレス化で失われる一方でしょうが、絵的にも精巧で優れたお金が、好きなんです。人聞きは悪いけど(笑い)。
お札は一種の版画で、原版ではなくそれを使った
空襲で四谷を焼け出され、夫が借りていた急坂の上にあるアトリエに義父母を連れて身を寄せたタエはさっぱりした強さと愛嬌、そして現実を〈なるようになるであろうと受け止めるしなやかさ〉を持ち、出征前の貫一を知らないせいか、本物だろうと偽物だろうとどこ吹く風だ。主人公とは女同士で話も合い、ある時、彼女が教えてくれたアトリエから駅までの道は、自分が通ってきた経路と違って急坂もなく、〈巧いこと道を変えると坂らしい坂が全然ないなんて、なんだか、だまし絵みたいでしょう〉と無邪気に面白がるのだった。
入口と出口が全然違う物語
一方、貫一は戦地で知り合った男を自らの〈替え玉〉にしたのだと、“貫一別人説”に
「旧満州から帰った人の本を資料として読んだのですが、当時は復員詐欺などの犯罪が起きる一方、一刻も早く帰国したい人に善意で権利を譲り、名前を交換する人すらいたようです。貫一の場合は事情が違い、戦地での仕事内容が微妙に絡んでくるんですが、仮に彼の身分証明書類が本物であってもその人が100%本物だという証拠にはならない。また『本物』に価値があるのは前提としても、模写された〈贋作〉に描かれた花の美しさは『偽物』なのかとか、本物か偽物かという基準だけでは測りえない不確かな世界を、私自身、生きている感じはします」
そうした足元の危うさを描きながら絶望に導かないのが、高山作品の特徴でもある。中でも時折旅先から金を送ってくる貫一の帰りを待つともなく待つタエが、夫の変装用の〈付け髭〉を付け、主人公の手を取って踊り出すシーンの抜け感や解放感は素晴らしく、ニセ髭もニセ夫も〈それが物としてあるのが大事〉と肯定できた時、〈私たちの間にあったのは、胸の苦しくなるほどの、とても、とても自由な晴れがましさだった〉。
「元々夫の別人疑惑に興味が薄いタエに、主人公は結局引きずられたとも言えて、これってよく考えるとホラーなんですよ。ミイラ取りがミイラになった、的な(笑い)。ただ、ミイラになる意外な心地よさもあるかもしれないですよね。私はどんな作品でもそれを読んだ労力に見合う何らかの
この曰く言い難い魅力は、読んで触れていただくしかないが、不確かとは自由や豊かさのことでもあると、読後は見晴らしがまた一つよくなること、請け合いだ。
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2020年2.7号より)
初出:P+D MAGAZINE(2020/06/30)