【著者インタビュー】伊藤元輝『性転師 「性転換ビジネス」に従事する日本人たち』/性転換大国タイに日本人を連れ出す「アテンド業」とは

かつては性転換手術と呼ばれていた「性別適合手術」を受けたい日本人のために、海外の病院や旅行会社と連携して渡航から帰国まで手伝うアテンド業者がいます。その実態は……。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

性別適合手術難民の日本人をタイに連れ出す「アテンド業」の実態に迫る実直な取材が光るルポ

『性転師 「性転換ビジネス」に従事する日本人たち』

柏書房 1600円+税 
装丁/吉田考宏

伊藤元輝

●いとう・げんき 1989年福岡生まれ。早稲田大学法学部卒業後、「総合商社だけ受けて、全部落ちて」三次募集のあった大手証券に入社。「株価8000円とかの頃です」。だが、厳しい営業職に音を上げて2か月で退社。マレーシアの回転寿司チェーンSushi Kingの幹部候補に応募するも「22歳はさすがに若すぎるらしくて」。そんな中「通信社は意外と条件がユルイことに、親が気づいたんです(笑い)」。共同通信社大阪社会部を経て現在神戸支局勤務。175㌢、79㌔、A型。

性同一性障害に対して「外側」も「内側」もないと思い至った感覚を共有したかった

 かつては性転換手術とも呼ばれた〈性別適合手術〉に関し、海外の病院や旅行会社と連携し、渡航から帰国までを手伝うアテンド業者に『性転師』と名付けたこと。そしてこの怪しげな造語を、「お、いいですね。詐欺師みたいで」と言って表題に使わせてくれた業界第一人者・坂田洋介氏と出会えたことは、著者・伊藤元輝氏や私たち読者にとってもまさに幸運だった。
 共同通信社神戸支局での取材時、著者はスキンヘッドに口髭のいかにも〈商売人〉ふうなアクアビューティ社代表の坂田氏と出会い、タイを拠点に性別適合手術の斡旋を手がける彼の仕事に興味を持ったという。
 しかしそれはあくまでも〈面白い、ネタになる〉という興味であり、非当事者として〈キワモノ〉的に関心を寄せただけかもしれないと、伊藤氏の筆は正直だ。その率直さが取材対象や読者からの信頼を育み、私たちは当事者の切実さと、それを間近に知る業者側の葛藤、そして業者の存在をどこか訝しむばかりだった世間や自分との温度差に、改めてハッとするのである。

「新聞記事用の取材では性同一性障害で手術をした当事者に焦点を絞り、坂田さんには手術の前後に密着させてくれる方を紹介してもらっていました。今回書籍化するにあたり、ようやく業界の方に力点を置けました。やはり新聞で扱うには、性転師はまだニッチでいかにも怪しい仕事ですよね。ただその怪しさが、僕自身も取材すればするほど晴れる感じがあった。この感覚は、取材経緯をそのまま順を追って書いてこそ、伝わるんじゃないかと思ったのです。本書をイロモノ本、、、、、として手に取る人も多いと思う。それが読むうちに共感に変わるなど、変化を追体験できる本になっていれば嬉しいです」
 18年8月、坂田氏とバンコクの歓楽街を訪れた伊藤氏は、〈この子たち、みんな男だったんですよ。すごいでしょう〉と言われて覗いたその見事な局部の仕上がりに舌を巻き、ホテルに戻ってシャワーを浴びながら、こんなことを思う。〈これが自分の股間についていることは当たり前ではないのかもしれない〉
 80年代に〈トラサルディのジーンズ〉をデザインし、大ヒットさせた坂田氏が、アテンド業に進出したのは02年。まずは美容整形のアテンドから始め、〈そんなに悩んでいるならお手伝いしますよ、という感覚〉で、性転換の案件が増えていったという。
 アクアビューティでは事前相談や病院への送迎まで現地係員〈ミドリさん〉らの細やかな対応を強みとし、当時の金額は高め。技術力が高いヤンヒー国際病院やその出身医にパイプを持ち、声帯手術にも目配りする、業界のパイオニア的存在だ。
 その後、同社に〈割高感〉を感じた人々が自らも起業していく。自身も23歳の時に性別適合手術を受けた井上健斗氏がタイ在住16年の石田きたる氏と設立した(株)G-Pitが一例だ。また、駐在先の工場が通貨危機で閉鎖され、そのままタイに居着いた元工場長や、手術先で出会い、各々の経験を経営に生かすFtM(女→男)の2人組など、その後増えたアテンド業者の起業動機やドラマも人それぞれだ。
「本書では評判をツテに主要7社を絞り、取材しました。時代を追うごとに性同一性障害の当事者による起業が増えたり、起業のあり方自体が割と自由だったりするのも、タイならではと感じました」

「正規」も「ヤミ」も消えた手術ルート

 それにしてもなぜタイは性転換大国として君臨でき、日本では適合手術=海外で、が常識化したのだろう?
 転機は97年の通貨危機。タイでは〈医療ツーリズム〉による外貨獲得に乗り出し、性転換に関しても手術の数が質、、、に転化する形で技術が蓄積されたという。一方日本では、産科医が男娼に睾丸摘出手術を施し、優生保護法違反で有罪判決を受けた〈ブルーボーイ事件〉(65年)以来、性転換=違法とのイメージが先行。98年には埼玉医大・原科孝雄教授が公式に、、、手術に挑み、大阪の〈ペニスカッター〉、和田耕治医師のヤミ診療と併せて注目されたが、原科の退官と和田の死が奇しくも重なった07年以降、再び空白の時代に突入するのだ。
「『鍵は07年だよ、07年!』と教えてくれたのは原科氏の元同僚でナグモクリニック名古屋の山口悟院長です。日本のジェンダークリニックは『正規ルート』も『ヤミ』もあの時に途絶えてしまったのだ、と。確かにそれを踏まえると、手術希望者が海外に流出するのに合わせてアテンド業が00年代に発芽し、ビジネスチャンスを見出していった流れや歴史のダイナミズムまでが有機的に見えてきました」
 坂田氏との出会いを機に、性転換の近現代史をも俯瞰することになった伊藤氏の目は、それでいて個人から離れることはなかった。中でも印象深いのが、〈手術を推奨しているわけではございません〉HPホームページに謳う、ISK BANGKOKの矢野代表の言葉だ。彼はかつてFtMの適合手術をタイで受け、戸籍上も男性として就職。だが、朝勃ち云々と〈男同士の話〉になる度に周囲に嘘をつくことになる自分を責め、全てを捨てて日本を出た。アテンド業を始めたのも、〈一番関わりたくないGID(性同一性障害)の手術と関わることが今やるべきことなのかな〉と思ったから。今では誰に対しても〈人として〉関われるようになり、GIDをGIDとしてしか見ないのは実は自分だったと語る彼の言葉は、考えてきた時間の長さと深さを物語るように、聞く者を選ばない表現力と強さを備えていた。
「アテンド業という仕事に光を当てたつもりが、当事者心理のかなり深いところまで話が聞けました。
 04年に戸籍上の性別変更を認める特例法ができた後も、適合手術を受けることをその条件とする人権的是非や、実態に即さない制度のせいで手術の保険適用率が低いことなど、問題は山積しています。でもそのことを新聞で記事にしても読み飛ばされやすい。僕自身は非当事者ですが、自分は〈外側〉の人間だと意識したところで、結局は〈そもそも「外」も「内」もない〉ことに思い至った。たぶんそれが、本書を通じて一番共有したかった感覚だという気がします」
 ある人は使命、ある人は客としての割高感からその仕事に就き、驚くほど自由で多様な起業の光景。そうか、人はどこからでも始められるんだと、コロナ後の働き方に関してヒントや勇気すらくれる、意外(?)な良著である。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2020年7.10/17号より)

初出:P+D MAGAZINE(2020/09/30)

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