【82年生まれ、キム・ジヨン他】まずはここから読みたい、現代韓国文学3選

フェミニズムやジェンダー、死生観といったテーマに正面から斬り込む現代韓国文学が、いま日本でも、若い読者を中心に大きな支持を集めています。一大ベストセラーとなった『82年生まれ、キム・ジヨン』を中心に、韓国文学の入門編としておすすめの作品を3作品ご紹介します。

いま、若い読者から多大な支持を集めている現代韓国文学。フェミニズムやジェンダー、家族観や死生観といった複雑なテーマに真正面から向き合う作品が多いことも、韓国文学が支持される大きな理由のひとつです。

韓国文学の一大ブームを作ったのは、チョ・ナムジュによる小説『82年生まれ、キム・ジヨン』。韓国で映画化された本作は、2020年10月9日から日本でも全国公開されることが決まっており、大きな話題となっています。

今回は『82年生まれ、キム・ジヨン』のほか、これから韓国文学に手を伸ばしたいという方に向けて、入門編としておすすめの小説やエッセイ作品を3作品ご紹介します。

『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4480832114/

『82年生まれ、キム・ジヨン』は、2016年に発表されたチョ・ナムジュによる小説です。本作は韓国で出版から2年あまりのうちに100万部を突破し、日本でも2018年に邦訳版が刊行されるや否やベストセラーとなりました。

表向きは性差別が解消されつつある社会の中で、実際には根強く残り続けている女性差別に真正面から切り込んだこの作品は、性暴力被害の告発運動である「#MeToo」において言及されたり、フェミニズムの入門書としてもしばしば推薦されたりと、社会現象にもなった1冊です。

本作の主人公は、韓国でもっとも一般的とされる名前の持ち主である33歳の女性、キム・ジヨン。大学卒業後から勤務していた広告代理店を、出産にともない辞め、専業主婦になったジヨンは、1歳になる娘の子育て中に心のバランスを崩し、精神科に通い始めます。精神科医の前でジヨンは、学校や職場、家庭などどこにいても男性の意思が優先され、女性であるというだけで差別的な扱いを受けてきたこれまでの人生について語るのです。

ジウォンは口元に透き通った大きなよだれをたらしながら眠っており、久しぶりに外で飲むコーヒーは美味しかった。すぐ横のベンチには、三十歳前後と思われる会社員たちが集まって、キム・ジヨン氏と同じカフェのコーヒーを飲んでいた。サラリーマンの疲労も憂鬱さもしんどさもよく理解しているけれど、それでもなぜか羨ましくて、しばらくそちらの方を見てしまった。そのときベンチに座っていた一人の男性が、キム・ジヨン氏をじろっと見て、仲間に何か言った。正確には聞きとれなかったが、途切れ途切れの会話が聞こえてきた。俺も旦那の稼ぎでコーヒー飲んでぶらぶらしたいよなあ……ママ虫もいいご身分だよな……韓国の女なんかと結婚するもんじゃないぜ……。

物語はジヨンの主治医である精神科医が聞き取りをおこなったカルテという形で進み、ジヨンの告白を裏づけるように、女性差別の存在を統計的に表した資料も挿入されます。本作の著者であるチョ・ナムジュは、実際に放送作家として10年のキャリアを積み上げてきたにも関わらず、育児のために仕事を辞めざるをえなくなり専業主婦になったという過去を持っています。

本作の中で訴えられている女性差別が韓国だけに限った問題ではないことは、邦訳版が日本でも大いに支持され、共感を呼んだことからも明らかです。本作をきっかけに、自分が社会の中で受け続けてきた抑圧や理不尽に気づき、声をあげる勇気を得る読者も多いのではないでしょうか。現代韓国文学に触れたい方は、まず必読の1冊です。

『フィフティ・ピープル』(チョン・セラン)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4750515647/

『フィフティ・ピープル』は、チョン・セランによる小説です。本作は、子どもから大人まで、タイトルどおり50名以上の違った人々を主人公に、それぞれの人にまつわるショートストーリーを連ねた連作短編集という形式になっています。

舞台は韓国のソウル郊外。とある大学病院を舞台に、それぞれの登場人物たちの物語が進みます。病院に勤務する医師や看護師はもちろん、病院の近くに店を構えるベーグル屋の店員、ドクターヘリの操縦士、大学に通う学生、夫が交通事故に遭い、病院に入院している女性──といったさまざまな人物の人生が綴られていきますが、各ストーリーに登場する人物は皆、ゆるやかにつながっています。

同性愛者であることが原因で家族と絶縁せざるをえなくなった男性や家庭内暴力を受けている女性など、登場人物たちはLGBTを含む多様性に満ちているとともに、韓国の社会課題をそのまま反映したようなさまざまな悩みや葛藤を抱えています。

それぞれの人物が抱える問題は決して些細ではないものの、描かれるシーンはどれもごく日常的で、劇的な展開のストーリーではありません。結末も、わかりやすいハッピーエンドやバッドエンドの物語はほぼないのが特徴です。しかし、だからこそ各登場人物がそれぞれの人生を必死に生き抜き、ささやかなできごとに笑ったり泣いたりしながら生活しているという実感が湧いてくる構成になっています。どの人物のことも完全な悪者にしたりただの脇役にさせたりしない、著者のやさしい眼差しが最初から最後まで一貫しているのが本作の大きな魅力です。

するとふいに、隣の建物の屋上に女性が一人立っているのが見えた。テントが全部消えた空き地を見おろしている姿が寂しげに見える。何であんなに寂しそうなんだろうと思っていると、女性がスティーブの方に顔を向けた。
スティーブは手を振った。とっさの行動だった。女性もこっちを見て手を振ってくれた。

いちばん軽蔑すべきものも人間、いちばん愛すべきものも人間。その乖離の中で一生、生きていくだろう。
誰かがじっと見ているような気がして、振り向いた。本館の病室の下の方の階で、窓際にいる人がちょっとためらってから、ソラに手を振った。ソラも手を振り返した。窓が暗くてよく見えなかったけれど、手のひらだけは優しかった。

50篇の短い物語をすこしずつ読み進めても、一気読みしてそれぞれの濃密な人生を味わっても、どちらでも大いに楽しむことのできる1冊です。最後まで読み終えてからそれぞれの登場人物の関係を頭に入れた上ではじめから読み返すと、より物語に厚みが感じられます。

『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/447810865X/

『あやうく一生懸命生きるところだった』は、イラストレーター・作家として活躍しているハ・ワンによるエッセイ本です。

著者は、会社勤めとイラストレーターのダブルワークに励んでいたある日、「こんなに一生懸命生きているのにこんなに冴えない人生でいいのか」とやりきれない気持ちになり、40歳を目前にしてノープランで会社を辞めたという人物。

頑張って!(ハイハイ、いつも頑張っていますよ)
ベストを尽くせ!(すでにベストなんですが……)
我慢しろ!(ずっと我慢してきましたけど……)

これまでこんな言葉を、耳にタコができるくらい聞いてきた。 言われるがままに我慢しながらベストを尽くし、一生懸命頑張ることが真理だと、みじんも疑わずにここまで来た。そうして必死でやってきたのに、幸せになるどころか、どんどん不幸になっている気がするのは気のせいだろうか?

“誰しも必死に頑張ろうとする世の中で、一生懸命やらないなんて正気の沙汰ではない。でも、自分自身にチャンスを与えたかった。違った生き方を送るチャンスを。自らに捧げる40歳のバースデープレゼントとでも言おうか。”

著者は人生の中で周囲からかけられ続けてきた「頑張って」、「ベストを尽くせ」、「我慢しろ」といった言葉への違和感を募らせ、思い切って“頑張らない人生”に踏み切ろうとハンドルを切ります。

これまでの自らの生き方を振り返り、自分は“取り残され”続けてきた、と著者は語ります。大学に入るのに3浪し、卒業後の3年間を無職で過ごすなど、同世代の人たちに何かと遅れを取り続けてきた著者。しかし彼は“自分の速度を捨てて他人と合わせようとするから、つらくなるのだ”と言い、他の人よりも遅れていることを肯定しようとします。

自分は今、遅れている。だからって何か問題でもある? これくらいの図々しさがあっていいのだ。

そんな著者は、やがて他の人に追いつこうとすることをやめ、時には“賢明なあきらめ”も必要だという境地に至ります。つらいことや自分に向いていないことに時間をかけ、極限まで耐え忍ぶことよりも、途中で思い切ってそれらをやめてしまうほうが、ずっと利益のある選択だ、と彼は思うのです。

発行部数が計4万5000部に達するなど、日本でも大きな支持を集めた本書。熾烈な競争社会の中で“頑張りすぎる人生”に慣れ、そんな生き方からドロップアウトしたくなっている人にはぜひ読んでほしい、肩の力を抜くためのヒントが詰まったやさしいエッセイです。

おわりに

『82年生まれ、キム・ジヨン』の大ヒット以降、日本での韓国文学ブームは高まりを見せ続けています。個人の内省的な価値観を描く作品が多い日本文学に比べ、韓国文学は個人の悩みや葛藤を直接的に社会課題や政治に結びつけ、ダイナミックなストーリーとともに描く作品が多いのが特徴です。ストレートかつ切実な作品群は、読む人々の胸を強く打ちます。

『82年生まれ、キム・ジヨン』の映画化によって、読者層をまたさらに広げるであろう韓国文学。ぜひ今回ご紹介した3冊から読み始め、その世界の深さの虜になってください。

初出:P+D MAGAZINE(2020/09/29)

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