【著者インタビュー】伊与原新『八月の銀の雪』/科学で世界の見え方が変わる! 傷ついた人生をあたためる短篇集

就活がうまくいかない大学生や、子育てに悩むシングルマザーなど、事情を抱えていきづまった登場人物たちが目の当たりにした真実とは……。日常的な生活で科学との出会いを描く、新しいタイプの科学小説!

【SEVEN’S LIBRARY SPECIAL】

途方に暮れる人たちの、世界の見え方が変わる経験を紡いだ話題の本屋大賞候補作についてインタビュー「科学と出会ったその次の一歩は、前とは違っていると思う」

『八月の銀の雪』

新潮社 1760円

理系の大学生・堀川は人前でうまく話せず就活連敗中。コンビニの外国人アルバイト・グエンの手際の悪さにもイライラしていた。そんなとき、偶然出会った大学の同級生に《「大丈夫。堀川は基本、座ってるだけでいいし。週に二、三回、二時間だけ俺に付き合ってくれたら―」》と甘い話を持ちかけられ、話に乗る。ひょんなことからグエンとも言葉を交わすようになり……(表題作)。そのほか、偶然の出会いの先に待ち受けていた科学の意外な真実が、傷ついた人生をあたためる短篇5篇を収録。

桐野夏生

●(いよはら・しん)1972年大阪生まれ。神戸大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科で地球惑星科学を専攻し博士課程修了。2010年『お台場アイランドベイビー』で横溝正史ミステリ大賞を受賞。’19年『月まで三キロ』で新田次郎文学賞、静岡書店大賞、未来屋小説大賞を受賞。ほかの著書に『青ノ果テ 花巻農芸高校地学部の夏』『磁極反転の日』『ルカの方舟』など。

地方の国立大学の学生が東京の学生と競って勝ち上がるのは大変

 就活に連敗中の大学生。子育てに悩むシングルマザー。アパートの住人に立ち退き交渉をするがうまくいかない不動産屋の契約社員。
 直木賞と本屋大賞の候補にもなった短篇集『八月の銀の雪』の登場人物は、なんらかの事情を抱えていきづまり、途方に暮れている人ばかりだ。八方ふさがりの彼らや彼女らが、ふとした偶然から科学に裏打ちされた真実を目の当たりにし、世界の見え方が変わるような経験をする。
「へえ!」と思わず声が出る、驚きのある科学のエピソードが物語を支えるかたちで出てくる。
 伊与原さんはもともと地球物理学の研究者で、専門は地磁気だ。面白そうな題材は、専門分野以外のものでも、つねにチェックしているという。
「科学雑誌を読んだり、科学情報を発信するSNSをチェックしたり、小説にしたら面白そうだな、というものは頭にストックしていて、書くときに改めてじっくり調べたりします。『アルノーと檸檬レモン』に出てくる伝書バトが地磁気を使うのはもちろん知っていましたけど、新聞社がハトを業務に使っていたことは知らなかったし、『十万年の西風』の偏西風の発見が風船爆弾とダイレクトにつながっていたのも知りませんでした。自分が面白いと思ったことは新鮮な感じで小説に活かせるようです」
『八月の銀の雪』の場合は、まず5篇で取り上げる題材の候補をいくつか考え、登場人物についてもアイディアを出し、この題材ならばこの人、としっくりハマる組み合わせから書いていった。
 表題作に出てくるのが就活で苦労する大学生だ。伊与原さんがかつて大学で教えていたとき、学生のエントリーシートを見たりしたことがあったそうだ。
「先生これどうですか、って聞かれても、ぼく自身、就活もしていないし人事担当でもないので、正直、正解なんてわからないです。小説にも書きましたけど、地方の国立大学には、まじめでがんばって勉強しているのに、話をさせるともじもじしてしまう学生も多い。東京の学生と競って勝ち上がっていくのは本当に大変なんです。企業も、2、3年つきあって、本当の能力を見てくれたらいいのに、と思ってました」

研究がうまくいかない時期にミステリーばかり読んでいた

 小説の中では、いきづまった人たちのために、状況に風穴をあけるなにかが用意されているが、すべてをすっきり解決するようなものではない。
「科学と出会って、ものの見え方が変わったとしても、おそらくその人の人生は激変しないと思います。だけど、次に踏み出す一歩は、前とは違っているんじゃないでしょうか。それぐらいの終わり方がぼくは好きで、あとは読む人に任せるようにしています」
 科学を題材にした小説は、SFとしてこれまでにもたくさん書かれているが、伊与原さんの『八月の銀の雪』や、前作『月まで三キロ』は、SFのくくりには入らず、もっと日常的な生活で科学との出会いを描く新しいタイプの科学小説である。
「デビュー以来、科学をトリックのネタに使ったり、トリビア的に使ったりしてきたんですけど、前作と今作は、それとは違い、科学や自然の現象を、人間の心の中に照らし合わせて、その人自身が変わっていく、というものなので、確かにこれまであまりなかったかもしれないです」
 もともとミステリーが好きで、2010年に横溝正史ミステリ大賞を受賞して作家デビューした。
「富山大学で教員をしていたんですけど、研究がうまくいかない時期がありまして、実験のあいまにミステリーばかり読んでいたんです。そのときにふとトリックを思いつき、自分にも書けるんじゃないかと思って書いてみたのが応募作です。研究がうまくいってたら書いてないので、あんまりきっかけはポジティブではないです」

ミステリーもスケールの大きな話もまだまだ書きたい

 ミステリーというジャンルを離れて『月まで三キロ』を書いたのには編集者の助言があった。
「どんでん返しとか衝撃の展開とか、読者を驚かそうということばかり考えて、ぼくが『できてない、できてない』と言うのがつらそうに見えたらしくて、そこを一回離れて、ふつうの小説を書いてみませんか、って言われて書き始めたのが『月まで三キロ』の一篇です。肩の力を抜いてと言われ、でも小説の中で何も起きないというわけにはいかず、大変なことは大変でしたけど」
 すれ違った家族への思いを描いた表題作をはじめ、『月まで三キロ』への読者からの反響は大きく、新田次郎文学賞を受賞した。
「ぼく自身、家族小説ってまず手にとらないタイプだったので、自分にこういう作品を書けるなんて思ってもいなかったんですけど、書いてみたら書くことがあるんだな、というのが意外でした。ミステリーでは大学の中のちょっと浮世離れした世界の人を書いていたのが、ふつうの人のふつうの悩みを書き、それがいいと言ってくれる人が多いのは驚きで、自分の好みとは関係ないんだなと思いました」
 じゃあ、『月まで三キロ』は転機になった小説なんですね、と聞くと、伊与原さんは「いや」と、ちょっと口ごもった。
「まあ、そうですね。ただ、なんて言えばいいのか、こういう作品を評価していただいたから、ずっとこっちの方向でと思ってるわけでもないんです。人の書き方とか科学の取り扱い方の意識が変わったのは確かですけど、これからずっとハートウオーミングなものだけ書いていこうとは思っていなくて。まだまだミステリーも書きたいですし、近未来ものとかスケールの大きな話がやっぱり好きなので、そういうのも書けるといいなと思っています」
 ミステリーでも家族小説でもない、これまで挑戦したことのない分野の小説を書く計画もあるそうで、新作もたのしみだ。

素顔を知りたくて SEVEN’S Question SP

Q1 最近読んで面白かった本は?
蒲池明弘『火山で読み解く古事記の謎』(文春新書)。スサノオ伝説や岩戸隠れが全部火山現象で説明できるという本で、まだ文字のない縄文時代の人々が、災害のカタストロフィを物語にして語り継いだ可能性があるという説にロマンがあります。

Q2 新刊が出たら必ず読む作家は?
綾辻行人さん。新刊はめったに出ないんですけど(笑い)。

Q3 最近気になる出来事は?
富山にある大好きな料理店のマスターが、「コロナのせいで県外からのお客さんが‥‥」と嘆いていること。東京からは気軽に行くこともできず、もどかしいです。

Q4 好きなテレビ・ラジオ番組は?
『コズミックフロント☆NEXT』(NHK BSプレミアム)。

Q5 趣味は何ですか?
テニスですけど、最近やれてないです。本当はプラモデルをつくるのが好きなんですけど、子供が小さいので、広げることができないまま、どんどん老眼がひどくなって(苦笑)、もうできないんじゃないかと思います。

Q6 ストレスの発散法はありますか?
ウオーキング。いまは毎日じゃないですけど、一時は毎日歩いていました。

Q7 一日のスケジュールは?
朝、子供を保育園に送って帰宅、朝食をとって、午前10時前から仕事をはじめ、夕方6時か7時に子供が帰ってくるまでです。机の前には長時間座っているんですけど、その間ずっと書けてたらどんなにすばらしいんだろうと思いますね。調べものをしたり資料を読んだりしている時間が結構長いです。

●取材・構成/佐久間文子
●撮影/浅野剛

(女性セブン 2021年3.25号より)

初出:P+D MAGAZINE(2021/03/28)

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