【著者インタビュー】恩田陸『灰の劇場』/奇跡的な均衡の上に成り立つ実験の書

年配の女性二人が、一緒に橋の上から飛び降りて自殺したという記事にショックを受けた作家は、20年後にこの2人のことを小説に書こうとしますが……。直木賞受賞作家・恩田陸氏の個人史も盛り込んだ「フィクションにまつわるフィクション」。

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始まりは新聞の三面記事 作家の日常は次第に2人の女性の「人生」に浸食されていく――人気作家の新境地となる長編小説

『灰の劇場』

河出書房新社
1700円+税
装丁/鈴木成一デザイン室

恩田陸

●おんだ・りく 1964年生まれ、仙台市出身。早稲田大学教育学部卒。92年に第3回日本ファンタジーノベル大賞最終候補作『六番目の小夜子』でデビュー。05年『夜のピクニック』で第26回吉川英治文学新人賞と第2回本屋大賞、06年『ユージニア』で第59回日本推理作家協会賞、07年『中庭の出来事』で第20回山本周五郎賞、17年『蜜蜂と遠雷』で第156回直木賞と第14回本屋大賞を史上初のW受賞。映像化・舞台化も多数。文藝別冊『恩田陸 白の劇場』も必見。159㌢、A型。

フィクションについて考えたことをフィクションだからこそ正直に書けた

〈それは、ごくごく短い記事だった〉〈年配の女性二人が、一緒に橋の上から飛び降りて自殺したという記事である〉〈どうしてその記事が目に留まったのかは、今でもよく分からない。けれど、目に記事のほうから飛び込んできたという感じで、すごくショックを受けたのを覚えている〉〈この記事が私の「棘」になった〉
 そして20年。作家として着々と実績を積む〈私〉は、この〈顔も名前も知らない〉2人のことを、〈初めてのモデル小説〉に書こうとする。
 そう。俗に言う〈事実に基づく物語〉として―。
 が、〈0〉=その20年来の宿題に挑んだ作家の時間と、〈1〉=作中人物〈M〉と〈T〉が生きた時間、さらには〈(1)〉=その小説が舞台化された未来の時間が、恩田陸著『灰の劇場』には並走。結果的には〈0〉が〈1〉を呑み込んでしまうなど、奇跡的な均衡の上に成り立つ実験の書となった。
 連載も異例の7年に及び、『蜜蜂と遠雷』の直木賞受賞や母の死など、その間の個人史も適宜盛り込んだこの半実録的作品を、恩田氏自身はこう表現する。
「フィクションにまつわるフィクション」と。

 いつも構想も定まらない段階で「表題だけが直観で浮かび」、書いてみて初めて「そうか、そういうことか」と納得するという恩田氏。
 今思えば、虚構の書き手である自分は、時に映画化や舞台化などでフィクション化される立場、、、、、、、、、、、、にも立たされ、そんな時の「居心地の悪さ」も、この表題は包括すると言う。
「結果的に、ですけどね。それこそ最初は彼女たちが自殺に至る経緯を何通りか、羅列しようとも思ったんです。でもそのうち、<自分はなぜその記事に興味を持ち、、、、、、、、、、、、、、、何がそんなに引っかかったのか、、、、、、、、、、、、、、に、むしろこの小説のテーマはあると気づいた。だとすれば、その、事実に基づく物語が書かれていく過程、、、、、、、、を実況中継することで、フィクションとは何かとか、事実ってどこまでが事実?、、、、、、、、、、、、 とか、私が常々気になっていることも含めて小説化できるのではないかと」
 その朧げな記憶の中だけにあった記事を、担当編集者〈O氏〉が探し出すのは本書中盤のこと。
〈今年四月二十九日に西多摩郡奥多摩町の北氷川橋(高さ二十六メートル)から日原川に飛び降りて死亡した二人の女性の身元は、二十四日までの青梅署の調べで、大田区のマンションに同居していたAさん(四五)、Bさん(四四)と分かった。二人は都内の私大時代の同級生だった〉
 そう伝える記事の年齢、、に、作家はまず、ギリギリ20代だった当時の自分には40代の彼女たちがもっと年配に思えたという違和感を覚える。また、大学時代の同級生がなぜその歳で一緒に住み、なぜ一緒に死んだのかなど、次から次に湧きだす疑問や憶測の堂々巡りを、MとTを主人公にした物語の隣にそのまま書きつけていくのだ。
「他にも結婚とか職業とかなぜ奥多摩? とか、疑問はいくらでも湧いてくるし、それでなくても人の死って、想像や憶測を招きやすいですからね。良くも悪くも。
 実際、誰かの死で物語が始まるのは推理小説に限りませんし、肉親はもちろん、赤の他人の死であっても、あれこれ考えさせる性質があるのかもしれません」
 大学卒業後、小さな貿易会社に就職したMと、コネ入社した大手企業を3年で辞めたT。Tの結婚式で〈こんなふうにして、誰もが「人生」に搦め捕られていくのだな〉とMは感じ、TはTで、〈あたしは冒険など求めない。早く自分の巣を作り、落ち着きたい〉と雛壇の上からMに囁いた。
 が、〈平凡なはずの人生が、非凡な幕切れを迎えることを、彼女は知らなかった〉。ある時、夫を条件だけで選び、〈利口だと思い込んでいた自分〉に絶望したTは、離婚報告も兼ねてMに絵葉書を出す。そして一時的な同居から結果的には死まで共にすることになった2人の原点を、Tがアガサ・クリスティー『ゼロ時間へ』になぞらえるくだりが出色だ。
 それは大学2年のこと。新人の勧誘中、なぜかMとTが2人になる瞬間があり、ノートが風にめくれるのを見てMが取り出したのが、生協で買いだめしたという好物の〈コンビーフの缶詰〉だ。その〈濃いグリーンを背景に、牛の絵を組み合わせた缶〉と生ぬるい春風の記憶が全ての始まりであり、〈Mとのゼロ時間〉だったと、その今では誰も確かめようのない物語を、作家は思いを込めて紡ぐのである。

きっかけ自体は本当に些細なこと

「作家ってヘンですよね。基本は虚構を書いていて、虚構にしか書けない真実もあると信じているんだけど、真実って何? 事実とどう違うの? とか、普通なら意識しないことを日頃から意識して生きている(苦笑)。
 例えば映画を観ていても、物語と観る側、観せる側の関係性に無意識ではいられないし、〈作り事につきあうことなど時間の無駄〉だと言う人も最近は多い以上、特にリアルについては考えないわけにはいかなくて」
 作家のパートにこうある。〈彼らは、それほどまでに、本や映画に向かう理由を欲しているのだ〉〈本や映画に一定の時間を割くのは、それだけ孤独を強いられるということでもある〉〈「リアル」な繋がりから、ほんの数時間だけでも離れたことを後悔するような失敗だけはしたくないのだ〉と。
「私も事実ベースと聞くとつい観ちゃうんですけどね (笑い)。今公開中の『私は確信する』なんて凄く面白かったし、小説でも作中に紹介したミネット・ウォルターズ『養鶏場の殺人』とか、名作には事欠かない。
 ただ仮に〈リアルが偉い〉としたら、なぜ偉いのかを考えたいし、小説が映画や舞台になり、具体的な〈顔〉を伴う時の奇妙な感覚とか、私自身がフィクションについて考えたことを、フィクションだからこそ、正直に書けた部分もあります」
 懸案の死の真相に関しても、恩田氏はあまり劇的とは言い難い結末を用意し、むしろその結末に至るまでのとりとめのない思考と、結末の呆気なさとの落差に、リアリティを宿すかのよう。
「私ももう少し劇的な話になるかと思ったんですけど、人は結構あっさり死んだりしますからね。一つ一つは小さな何かが降り積もり、最後の藁が一本載った瞬間に崩れてしまうとか、きっかけ自体は本当に些細なことなんじゃないかって思うようになって」
 なぜその記事が刺さったのかも、「結局、わからずじまいです」と笑うが、3つの時間のあわいに何かが確実に積もるのを感じる、まさに『灰の劇場』である。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2021年4.2号より)

初出:P+D MAGAZINE(2021/04/10)

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