【著者インタビュー】桜井昌司『俺の上には空がある広い空が』/43年以上に及んだ冤罪体験が創り上げたものとは

20歳のときにやっていない強盗殺人の罪を着せられて、無罪を勝ち取るまで43年間の月日を費やし、うち29年は獄中で過ごしたという著者。現在は74歳でステージ4の直腸癌を患い、在宅での自然療法を選ぶ中で、“いま伝えたいこと”を綴った異色の書!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

74歳、末期癌。無実の罪で29年間を獄中で過ごした著者がいま、伝えたいこと

『俺の上には空がある広い空が』

マガジンハウス
1540円
装丁/鈴木成一デザイン室

桜井昌司

●さくらい・しょうじ 1947年栃木県生まれ。県立竜ヶ崎第一高中退後、職を転々とし、67年10月布川事件に関して故・杉山卓男氏と共に逮捕起訴され、70年水戸地裁で無期懲役判決。78年の上告棄却を受け千葉刑務所に収監される。96年11月の仮釈放後も無実を訴え続け、2001年の第二次再審請求、09年の再審開始確定を経て、11年6月7日、無実が確定した。4/18深夜には著者を10年以上に亘って追跡したNNNドキュメント「濡れ衣」が放送予定。160㌢、50㌔、B型。

誰かの冤罪は私の冤罪。誰もが同じ立場になり得ることだけは声に出していきたい

 67年8月末の〈事件発覚〉20歳から、〈人をだました心が自分をも裏切って嘘の自白をした〉同年10月某日。その〈嘘が真実に変わった〉日や〈二十五年間の無実の叫びがたった一七六文字で退けられた〉日、再審が決まり、無罪が確定したあの日まで、桜井昌司著『俺の上には空がある広い空が』には、布川事件に関して著者が無実の罪に問われ、2度に亘る再審請求の末に無罪を勝ち取るまでの経緯と、その時々の年齢とが、目次の形で併記されている。
「本になって改めての感想ですか? 自分では特にないけど、さすがにプロの編集は読みやすいなあ、とは思いました(笑い)」
 20歳で逮捕され、49歳で仮釈放。そして11年5月、64歳で雪冤を果たした彼も74歳。一昨年秋に〈ステージ4の直腸癌〉〈何もしないで1年の余命〉を宣告され、在宅での自然療法を選ぶ中で刊行された本書は実際、冤罪被害者の自著としては相当な異色作といえよう。
〈今、自分にある思考と、そこから生まれる行動は、この43年7カ月に及んだ冤罪体験が創り上げたものだ。素晴らしい支援者と日本一の弁護団に恵まれ、人様の善意に支えられて闘ってきた〉等々、彼は恨み言より感謝を専ら綴り、ついその真意を邪推しがちな当方を、「俺は言葉通り読んでほしいのになあ」と笑顔で諫める、信念の正直者だった。

「かつて僕は過酷な聴取を逃れたい一心で自分を偽り、嘘の自白をした罰に44年も苦しんだ人間ですからね。これからは本当のことだけを言おう、嘘は2度と口にしないって、決めたんです」
 67年8月30日早朝、茨城県利根町布川に住む62歳の大工の男性の遺体が自宅で発見された。この布川事件では、10月10日、知人のズボンを盗んだとして桜井氏が、同16日にはその兄の友人の杉山卓男氏(15年に逝去)が別件逮捕され、互いの共犯を強制自供させられる形で同23日、強盗殺人容疑でも逮捕状が執行された。
 桜井氏は〈本当に恥ずかしい生き方をしていた〉と当時の自堕落な生活を明かした上で、〈私の「自白」を作り上げた3人の警察官〉とのいきさつをH、F、Tと匿名で綴る。検事もそうで、〈本当にやってないならやってないと言いなさい〉と助言してくれたA検事がなぜか異動になり、新任のY検事に開口一番どなられ、〈救ってやりようがない〉と宣告された時の絶望感を、あくまで抑えた筆致で綴る。
「僕は思ったことを思ったまま書いただけですけどね。
 当時、強盗殺人に関する水戸地検の判断は処分保留、釈放で、なのに僕と杉山は物証もないまま勾留され、相手が犯人だと思わされたことによる根拠なき楽観や、〈死刑もあるぞ〉と脅され続ける恐怖から罪を認めてしまった。ただ、昔の僕は人様のものをコソ泥したり、本当にくだらない人間でした。杉山もそうですよ。そんな自分が誰かを名指しで批判なんかできませんし、一人一人は悪くないとどこかで思ってるんでしょうね。
 むしろ個人が正しいことをしたい、真実を言いたいと思っても組織の論理が許さない時に、物事を正す人を守るシステムや法律作りに興味があるし、それが今の自分の仕事だと思ってる。
 例えば嘘をついて犯人を挙げた警察官に呵責の念がないとは思えないんですよ。自分の経験に照らしても。その一生消せない罪は当人が抱えていく他なく、それよりは警察なり検察が組織になった時の始末の悪さ、どうしようもなさが日本を根本から腐らしていることに、僕は怒っているんです」

無実の人を救わない方がおかしい

 印象的なのが随所に差し挟まれる、詩や歌の数々だ。獄中でも日記を欠かさず、CDブックを出すほど詩作にも長けた彼は、その研ぎ澄まされた言葉たちもまた冤罪経験の賜物だという。
「塀の中で考えたおかげもあるけど、やはり『桜井さん・杉山さんを守る会』という、善意の組織と出会ったことが大きかったと思う。皆さんボランティアでね、僕らの苦境を心から気遣い、正しい判決を求めようとか、そんな人たちがいるなんて思いもしなかったもの……。
 それこそ町の連中なんて、あの杉山と桜井が逮捕されて平和になったって喜んだんですから(笑い)。その時、学んだんです。そうか、間違ったことでも納得できればいいのが世間なんだ、世の中は残念ながら正しいことでは動いていないって。
 ともかく、そんな自分を多少マシにしてくれたのが冤罪経験や人との出会いで、今はそこに癌まで加わった。僕は29年も刑務所にいたからか、歳の取り方がわからなくてね。同級生が家庭を持ち、孫までいる中、逮捕された頃の感覚を引きずる感じもあった。それが癌で追いついたんですよ。15㌔痩せて皺々になって(笑い)。生や死についても今はより深く考えられ、癌になってよかったとすら思います」
 一番の収穫は「大事なのは人であり命だという確固たる立ち位置」だと言い、本書でもいつ誰に対しても公正、正直であろうとするフェアな精神が印象的だ。
「それこそ杉山は嫌いで、恵子さん(妻)は大好きと、正直に書いたように彼とは水と油でね。なのに警察は勝手な共犯関係を捏造し、警察や司法がそこまでいい加減なルールで動くことに、僕は愕然としたんです」
 現在、桜井氏は「誰かの冤罪は私の冤罪」だと言って、再審支援に日々奔走中だ。
「無実の人を救わない方がおかしいし、戦後、日本では様々な冤罪が発生し、未だ再審請求が通らない事案も多い。その事実をどうすれば皆の我が事にできるのかと、、、、、、、、、、、、、、、、、。その点、台湾は凄い。銀行強盗の容疑者が自殺した直後に真犯人が見つかった、たった1件の冤罪を契機に、警察・検察・裁判所一丸で司法制度改革に取り組んだ。ところが日本では90年代に再審開始が立て続いて以降、証拠は隠す方向に舵を切った。これって、一体どういう差ですか?
 何事も『見ぬ物清し』で収める風潮もある中、僕は誰もが同じ立場になり得ることだけは声に出していきたい。まだしばらくは死なないみたいですし(笑い)」
 ちなみに題字は自身の字。「美しくなくても、伝わる字を書きなさいって、守る会の代表をされていた女優の北林谷栄さんがペン習字の本を差し入れてくれて。一時は暗号で日記を書くほど疑心暗鬼に陥り、汚い字をわざと書いた僕は、本当にいろんな方々に人に、、していただいたんです」
 そんな、深読みの誘惑を一蹴するほどストレートな言葉の主は〈不運は不幸ではない〉〈得れば失い、失えば得る〉等、一切嘘のない言葉で私たちを励ますのだ。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2021年4.30号より)

初出:P+D MAGAZINE(2021/05/11)

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