初出版から400年! 映画製作開始から30年、不滅の人気を誇る『ドン・キホーテ』の魅力に迫る

フローベールからハイネまで、ヨーロッパ文学界の巨人たちに大きな影響を与えた『ドン・キホーテ』。小説の出版から400年、映画界の奇才テリー・ギリアムが30年かけてドン・キホーテを甦らせました。小説と映画、ふたつの『ドン・キホーテ』の魅力を探ってみましょう。

ミゲル・デ・セルバンテス(1547~1616年)の代表作として名高い『ドン・キホーテ』。正式なタイトルを『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』といい、1605年にスペイン・マドリッドで第一部(正編)が出版されました。騎士物語に心酔した郷士が、畑地を売り払ってまでさまざまな騎士物語を集めて読みふけり、そのはてに自ら遍歴の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(ラ・マンチャのドン・キホーテ)となって虐げられた人々を救う旅に出るという物語です。滑稽本として絶大な人気を集め、1615年には第二部(続編)も出版されました。音楽、演劇、バレエのほか、ミュージカル『ラ・マンチャの男』など、さまざまなジャンルで作品化されている、古典の名作です。

ラ・マンチャの男
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セルバンテスの『ドン・キホーテ』は、どこが凄いのか

セルバンテスが生きた1600年前後は日本では関ヶ原の合戦(1600年)の頃ですが、ヨーロッパではルターの宗教改革(1517年)に端を発したカトリックとプロテスタントの対立が収束に向かう時期にあたります。カトリック国のスペインは、セルバンテスも従軍したレパントの海戦(1571年)でオスマントルコを撃破して「太陽が沈まぬ国」と呼ばれる大帝国を築きますが、プロテスタント弾圧やムスリム排斥などで疲弊し、アルマダの海戦(1588年)でイギリスに敗れて「斜陽の時代」に入っていました。そんな時代の空気が、少し古風で、大いに笑える騎士物語を歓迎したのかもしれません。
ここで簡単に『ドン・キホーテ』のおさらいをしておきましょう。スペインのラ・マンチャに住む年の頃50歳ほどの郷士アロンソ・キハーノが、騎士物語に心酔するあまり空想と現実の区別がつかなくなり、家に伝わるボロボロの鎧を自ら修理して身につけ、遍歴の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(ラ・マンチャのドン・キホーテ)となって旅に出ます。騎士には愛馬と恋物語も必須と、痩せ馬にロシナンテと名をつけ、農民の娘アルドンサを思い姫ドゥルシネーア・デル・トボーソと定めました。ですが、最初の晩に泊まった城館の主(というのは妄想で、実際には宿屋の主人)から、「騎士なら従者と路銀、それに肌着も必要」と諭されて、それらを用意するために一度村に帰ります。そして近所の農夫サンチョ・パンサに「手柄を立てて島を手に入れたら、領主にしてやる」と言いくるめて従者とし、再度出発。出端に巨人(ではなく風車)と戦って敗れますが、旅の後半では巨人たちの首(ではなくワインの入った革袋)をさんざんに切りつけて大量の血(赤ワイン)を流させて勝利を収めたほか、苦役に向かう囚人たちを助けて解き放つ(が、なぜか彼らから袋だたきにあう)など、行く先々で騒動を引き起こす、というものです。

ドン・キホーテ
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『ドン・キホーテ』は、主人公が心酔する騎士物語のパロディといえます。教養ある名士ながら妄想にふけって現実が見えないドン・キホーテと、しがない農民だけれどしっかり現実を見ているサンチョ・パンサという、ボケとツッコミのような主従2人を登場させ、時にその役を入れ替えてみせたことで物語はより深みを増したのです。さらに10年後に発表された第二部は、主従2人に彼らの冒険が本になって大勢の人に読まれていると伝えられる場面があり、主従が喜んで照れたり、実際はこうだったと語ったり、続編は出るのかと訊ねたりという、メタフィクションになっています。

「で、あるいは」と、ドン・キホーテ。「著者は続編の約束をしとりませぬか」
「約束しております」と、サンソン。「しかし、あとが見つからぬし、だれのところにあるかも知らぬと言っとります。ですから、はたして出るか出ないか、うたがわしいと思いますよ」
(中略)
「著者はどうする考えかな」と、ドン・キホーテ。
「伝記を見つけしだい」と、サンソン。「というのは、血まなこで捜しとるんでね、すぐ印刷させる考えでしょう。本にすれば、もうけが大きいと見て、どんな賞讃よりも、それを目あてですよ」

セルバンテス『ドン・キホーテ』(続編)

400年も前の小説に、「あなたは筒井康隆ですか」と言いたくなるような近代的な手法が使われていることに、驚きを禁じ得ません。しかも最後にはドン・キホーテはすっかり妄想から覚めて自分の愚かさを深く顧み、たった一人の身内である姪に「騎士物語を知らない男と結婚せよ」と遺言を残すという、どんでん返しまで。古典でありながら、こうした近代的な性格も併せ持っていることが、『ドン・キホーテ』の凄さではないでしょうか。
フランスの作家ギュスターヴ・フローベールは、親しい友人であったジョルジュ・サンドに宛てた手紙のなかで「今、『ドン・キホーテ』を読み直しています。なんという大作でしょう! これ以上に見事な本があるでしょうか?」(1869年2月23-24日付)と書いています。また、ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネはドイツ語版『ドン・キホーテ』に、この作品が「わたしが、子供時代も少しは物の分る頃になり、文字にもいささか通じるようになってから読んだ最初の本であった」と、序文を寄せています。『ドン・キホーテ』は、19世紀ヨーロッパ文学界の巨人たちをも夢中にさせ、大きな影響を与えた作品であったのです。

自然災害、資金難、俳優たちの降板……度重なる製作中止を経て完成した、映画版『ドン・キホーテ』

監督のテリー・ギリアムが『ドン・キホーテ』の映画化に取りかかったのは1989年のこと。資金集めが難航し、2000年にやっとクランクインしますが、ロケ地がNATOの空軍基地に近いため頻繁に戦闘機の飛行があって録音テープが使い物にならなくなったり、鉄砲水で機材が流出したうえ大地の色が変わってしまい過去の撮影分が使えなくなったりとトラブルが続きます。
さらには主役のジャン・ロシュフォールが重度の腰痛となって、乗馬どころか歩行すら困難になりと、こうして次々と予想外の事態に襲われるうち資金不足に。多忙なスケジュールの合間を縫って出演していたジョニー・デップやヴァネッサ・パラディも、降板していきました。
もはやこの映画製作自体が風車に立ち向かってはね飛ばされる『ドン・キホーテ』そのもののような事態となって、映画製作は中断と復活を繰り返します。この挫折の歴史はドキュメンタリー映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』として公開されています。完成版には出演のないジョニー・デップヴァネッサ・パラディの姿も収められた、貴重な記録です。ちなみにこの作品の最後で、オーソン・ウェルズも『ドン・キホーテ』の映画化に取り組んで果たせなかったことが紹介されています。
2018年、製作開始から30年目にやっと完成します!

ロストインラマンチャ
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映画版『ドン・キホーテ』のここが凄い!

では、度重なる苦難を乗り越え、構想30年にして映画版『ドン・キホーテ』を完成させた監督テリー・ギリアムとはどんな人でしょうか? 1940年にアメリカ・ミネソタ州で生まれ、1960年代にロンドンに渡って『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』共同監督を務めるなど、モンティ・パイソンのメンバーとして活躍してきました。おもな監督作品に『未来世紀ブラジル』、『バンディットQ』、『12モンキーズ』などがあります。
ところでこの映画版『ドン・キホーテ』は、原作の忠実な映像化ではありません。そんな当たり前のことをするテリー・ギリアムではないのです。どんなストーリーかというと……

【ストーリー】

仕事への情熱を失くしたCM監督のトビーは、スペインの田舎で撮影中のある日、謎めいた男からDVDを渡されます。偶然か運命か、それはトビーが学生時代に監督し、賞に輝いた映画『ドン・キホーテを殺した男』でした。舞台となった村が程近いと知ったトビーはバイクを飛ばしますが、映画のせいで人々は変わり果てていました。ドン・キホーテを演じた靴職人の老人ハビエルは自分は本物の騎士だと信じ込み、清楚な少女だったアンジェリカは女優になると村を飛び出していたのです。トビーのことを忠実な従者のサンチョだと思い込んだ老人は、無理やりトビーを引き連れて、大冒険の旅へ――

小説では教養のないサンチョ・パンサが言葉を間違えると、ドン・キホーテがそれを正すといった場面が、しばしば見られます。ですが、映画のハビエルは本物のドン・キホーテではありませんから、時としてサンチョ・パンサのように誤った言葉を使ってしまいます。繰り返し登場するのが「妖術使いマランブリーノ」ですが、これは架空のムーア人の王「マンブリーノ」の誤り。ギリアムはドン・キホーテに誤った名を呼ばせることで、「これは本物ではない、贋者なのだ」と、それとなく知らしめるのです。

どうもね、旦那様、この頃ぶつかりつゞけのいやな冒険はね、少しの疑げえもなく、おめえ様が騎士道にそむきなさった報いと思われますだ。おめえ様は、《パンを食卓でたべねえ》、《女王様とたのしまねえ》をはじめに、いろんな誓いをならべて、あの兜をね、マランドリーノといったかなんといったか、よく覚えねえ名前のモーロからぶんどるまで、きっと守ると誓いなさったに、守らなかったゞからね。

セルバンテス『ドン・キホーテ』(正編)

小説とは全く異なる現代の話として進行しながら、小説で描かれるワインの革袋との格闘公爵夫妻の宴などのエピソードを取り入れており、パロディ小説をさらにパロディ化した、驚異の作品『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』。原作を知らなくても楽しめることは請け合いですが、読んでから観ればさらにおもしろいこと間違いなし。さて、あなたはどちらから始めますか?

 
 

タイトル:『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』

公開日:1月24日(金)TOHO シネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給:ショウゲート
コピーライト:© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

監督:テリー・ギリアム
出演:アダム・ドライバー ジョナサン・プライス ステラン・スカルスガルド オルガ・キュリレンコ ジョアナ・リベイロ オスカル・ハエナダ ジェイソン・ワトキンス セルジ・ロペス ロッシ・デ・パルマ ホヴィク・ケウチケリアン ジョルディ・モリャ
脚本:テリー・ギリアム トニー・グリゾーニ 製作:マリエラ・ベスイェフシ ヘラルド・エレーロ エイミー・ギリアム
2018/カラー/5.1ch/スペイン・ベルギー・フランス・イギリス・ポルトガル/スコープ/ 133 分/原題:THE MAN WHO KILLED DON QUIXOTE
日本語字幕:松浦美奈 配給:ショウゲート donquixote-movie.jp
© 2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mató a Don Quijote A.I.E., Tornasol SLU

初出:P+D MAGAZINE(2020/02/19)

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