大林宣彦監督により、幻の作品『花筐』がついに映画化!

大林宣彦監督がデビュー前に書きあげていた脚本を映画化した、『花筐/HANAGATAMI』。檀一雄による原作小説『花筐』の魅力をはじめ、さまざまな作家からの評価を紹介します。

戦後の混乱期、世間一般には同調しない言動や既成の文学への批判に基づく作品を発表した“無頼派”の最後のひとりとも言われた作家、檀一雄。自らの半生をモデルにした『火宅の人』で高名ですが、歴史小説『真説石川五右衛門』で第24回直木賞を受賞しているほか、文壇屈指の料理人として料理本を出版するなど、幅広い作風を持つ作家としても知られています。

そんな檀一雄の出世作、『花筐はなかたみ』の実写映画『花筐/HANAGATAMI』が2017年12月16日に公開されます。佐賀県唐津市を舞台に、『転校生』、『時をかける少女』といった作品でも人気の大林宣彦氏が監督・脚本を担当したことでも大きな注目を浴びています。

実は大林監督は1977年に商業映画デビューをするよりも以前、すでにこの『花筐』の脚本を書き上げていました。原作者である檀一雄が1976年に亡くなったことにより映画製作が見送られていましたが、ついにおよそ40年の時を経て映画化されることとなったのです。

今回はそんな『花筐』原作小説の魅力を始め、他の作家からの『花筐』の評価に迫ります。

 

『花筐』で描かれる、少年少女の青春。

アムステルダムに住む両親のもとを離れ、海辺の小さな町にあるカトリック系大学予備校へ入学した主人公、榊山さかきやま

榊山は入学初日、屈強でたくましい鵜飼うかいと巨大な頭が印象的で病弱な吉良きらと出会います。突如として授業を放棄し、教室を出て行ったふたりの姿に榊山は強い魅力を感じるのでした。

突然、教場の隅でドンと席を蹴る音がした。榊山がふりかえると先程遅刻してきた少年がもう教壇の方へずかずか歩みはじめていた。頰は紅潮して、顔いっぱいに奔放な情熱が漲っている。少年は教壇の前をくるりと右に折れるとそのまま扉を排して出ていった。
榊山はうっとりとその少年の後姿に酔っている。まるで光のなかに躍りだすようだった。なんという名前の男かしら。そうだ、僕もひとつ出てみよう。追いかけていってあの少年を抱いてやろう。それから、じっと自分の勇気をはかってみる。鋭い眩暈がひっきりなしに襲ってきて手足は折れるようになえてくる。(中略)

すると又ゴトリと隣の少年が立上った。例の畸形のように巨きな頭の持主である。その頭をゆらゆら空気のなかに浮遊させ、ゆっくりと出ていった。何という独創的な退場だ。榊山は嬉しかった。それは決して先程の少年の模倣ではない。その証拠にその少年はまたゆるゆると戻ってくると荷物を纏めあげ、それを小脇に抱えて、もう一度静かに出ていった。

榊山は彼らと交流を深めますが、やがて榊山の若く美しい叔母と従妹の美耶、吉良の従妹で鵜飼の恋人である千歳、千歳の友人のあきねという4人の女性との関係も加わります。

夜に入るとみんな踊った。レコードの旋廻につれ恋の組合せはみるみる変った。鵜飼は絶えずおばと組んだ。吉良はあきねを腕に抱き美耶は榊山にもたれている。酔った千歳は犬を抱いてはね上るギターの波に熱い息を洩らしていた。

千歳という恋人がいながら榊山の叔母に惹かれる鵜飼、榊山からの好意に気づいているものの鵜飼への気持ちを隠す美耶。『花筐』は複雑な人間関係をもとに、一瞬のきらめきのような青春時代を描いています。

 

太宰、三島……『花筐』をめぐる作家たちのエピソード。

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出典:http://amzn.asia/hUukSV1

『花筐』が出版される前、檀一雄は友人の太宰治とともに、師であった佐藤春夫の家を訪れようとしていました。この作品の装丁を手がけてほしいという依頼を受けた佐藤は快諾するも、何を描こうか悩みます。

「何を描くかな、えー花筐と……」
先生はあれこれと想を述べていられたが、仲々決定しないようだった。太宰も頭をひねった末。
「花だから蝶。先生、蝶はどうかしらん……」
「うむ。蝶がいいね。蝶を描こう」
先生も殊の外喜ばれて、一決した。だから「花筐」の表紙の蝶は先生の寛大な彩色によると同時に、太宰の発想が添えられているものだった。

檀一雄『小説 太宰治』より

太宰の一言をもとに、佐藤春夫は『花筐』の表紙を完成させます。しかし当時、檀は太宰とあちこち飲み歩き、なかなか表紙の絵を取りに行きません。そんな檀に業を煮やした佐藤春夫は周囲にこう漏らしたと言います。

「頼んでおきながら、取りに来ないのはどうしたわけだろう。檀に、怒っていると伝えてくれ」

伝言を聞いた檀は、思わず太宰と顔を見合わせた……と太宰との日々をもとにした作品『小説 太宰治』で語っています。

 
また、『花筐』は三島由紀夫が小説家を志したきっかけとなった作品でもあります。

生命にみちあふれたこれら少年たちは、裏がへしてみると蜂の巣が奔騰する庭石のやうに、死に巣喰はれてゐる魂である。虚構の、架空の、形骸の、観念の吉良。頭の目立つておほきなこの奇形児を、誰にもまして私は愛する。吉良はわれわれの悲しかつた時代の道化じみた象徴としか思はれない。時代の心理の底を浮遊しながら、いかにして勇気に満ちて生かん、いかにして投身の意志にもえよう、と苦悩する吉良は殆ど涙をうかべさせる。今こそ吉良の果敢のまへに恥ぢないことを、後代に向つて約束しよう。

『檀一雄「花筐」−−覚書』より

三島は後に『檀一雄「花筐」−−覚書』において、吉良が苦悩の末、海に身を投げる選択をした姿に涙すらも浮かべると語っています。美を追求した彼にとって、まばゆいばかりの青春時代を耽美的な表現で描いた『花筐』は大きな衝撃だったのでしょう。

 
直木賞作家であり、さまざまな職業や人間関係を描いた作品が人気を集めている女性作家、三浦しをんもまた、『花筐』についてエッセイ『極め道』で言及しています。

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出典:http://amzn.asia/7AyFhQS

三浦しをんは小学生の時に初めて『花筐』を読むも、ある場面で違和感を持ったと述べています。

或日、鵜飼は榊山を誘って築港の方へ散歩した。(中略)
榊山の前を走っていた鵜飼が、突然鉄屑に躓いて顛倒した。起上がった鵜飼の手首はなまなましい血を噴いている。すると鵜飼は、
「ねえ榊山君。明日のよる、僕らここに宿まらないか?」
榊山は鵜飼の顔をじっと見る。それから風のなかに声をけぶし、
「ああ」と低く答えた。
二人は黙って街に出た。

『花筐』より

風の強い日に、いつしか「別世界に入ったような大胆な情熱」を感じ始めたふたり。「外泊しよう」と約束する場面は、読者に禁断の関係を覗き見たような印象さえも与えます。

しかし翌日、待ち合わせをしたふたりは「待った?」、「随分ね……でも君が待つといけないからと思ったんだよ」と親密なやりとりをしています。やがて「榊山は約束を後悔したのではないか」と思った鵜飼は急に「もう止すよ」と言い出し、榊山は「僕をいたわるんだな」と青ざめるのでした。

果たしてふたりはどんな目的で外泊しようとしていたのでしょうか。この場面について、三浦しをんは「海辺の怪しげな家は連れ込み宿のようなもので、そこでふたりで抱き合おう」と約束していたのではないか」という結論を出しています。

その他にも「娼婦を呼んで抱く」、「女を連れ込む」可能性も挙げている一方で、「女を連れ込むとしても誰にするか話す場面がなく、娼婦を呼ぶにしても気負いや意気込み、ためらいがあるはずだ」と述べています。三浦しをんは、ふたりの心情をあえて描いていない『花筐』の余白から、女性ならではの視点で分析をしているのです。

あわせて「大林宣彦が映画化を切望しているという噂も聞くし、映像化されたとき、あの曖昧なシーンがどう解釈されるのか、楽しみなような不安なような。」とも語っています。

 

大林宣彦監督により、待望の映画化。『花筐』で描かれる青春と戦争の影。

大林宣彦監督は1975年、福岡市能古島に住んでいた檀一雄本人に「花筐を映像化したい」旨を伝えに行った際に檀本人から唐津をイメージして書いたことを聞いています。『花筐』は舞台が特定の場所ではありませんが、今回映像化された作品で唐津が舞台になっているのは、そんなエピソードが大きく関わっているのでしょう。

さらに原作では描かれなかった戦争の影も、登場人物たちの儚い青春時代を強調しています。40年の時を超え、『花筐』がどのような作品に生まれ変わったのか、今から期待がふくらみますね。

 
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そんな映画公開も待ち遠しい『花筐』を、P+D BOOKSでは12月初旬に復刊することになりました。ぜひ、映画とともに作品の持つ世界観を味わってみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2017/11/11)

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