【生誕100周年】「恋愛とジャズ、そのほかは消え失せたっていい」ボリス・ヴィアンのおすすめ作品5選
挑発、皮肉、悪ふざけ。まさに「好き放題」を体現したような生き方をしたフランス出身の作家・ボリス・ヴィアンは、独創的な言葉遊びや前衛的な表現を武器に、これまでに多くの読者をその作品世界へと引き込みました。今回は型にはまらない生き方に憧れるすべての人におすすめしたい、ボリス・ヴィアンの作品を紹介します。
【好き放題に生きた反逆の天才児・ボリス・ヴィアン】
1920年、パリ近郊で生まれたボリス・ヴィアンは1959年に39歳という若さで死去します。
39年という短い生涯において綺羅星の如く精力的に多彩な活躍を見せた彼の肩書は、20近くにものぼりました。
フランス標準化協会における役所仕事をはじめ、詩人や小説家、翻訳家、劇作家、ジャズ・トランペット奏者、ジャズ評論家、シャンソン歌手、作詞家、作曲家、オペラやバレエの台本作成、映画監督、映画脚本家、俳優、レコード会社のディレクター、画家、美術評論家、等々。
働き過ぎた結果、早逝してしまったとも考えられたほど、ほとばしるエネルギーと才能を抑えることができなかったヴィアン。そんなマルチな活躍をした彼ですが、小説家としての生前の評価は高くありませんでした。
彼の作品がコクトーやサルトル、ボーヴォワールらによって再評価され始めるのは彼の死後、おおよそ10年後の1968年。フランスで五月革命が勃発した時期のことで、それは「ヴィアンブーム」と名付けられるほどの一大現象にまでなりました。
あらゆる権威あるものを嫌い、スノッブや不寛容がはびこる世間にはアイロニーと悪ふざけで反抗し続けたヴィアンの挑戦的な姿勢が、第2次世界大戦後20年を経たフランス国内の若者たちに大きな共感を呼び起こしたと言われています。
「自分は40歳になる前に死ぬだろう」と生前から語っていたヴィアンは、自身の小説『お前らの墓に唾を吐いてやる』が原作の映画試写会の最中、急な心臓発作に見舞われ、39歳という若さで亡くなっています。一説では「なんてつまらない映画だ、馬鹿にしやがって!」とぼやきながら亡くなったと言われています。その自由で挑戦的な生き様は、もはや伝説的ではないでしょうか。
【日々の泡】美しくも儚い、悲痛な恋愛小説
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1947年発表、パリに暮らす奔放な若者たちを描いた青春小説『日々の泡』。
レーモン・クノーにより「現代の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」と評され、シモーヌ・ド・ボーヴォワールからも熱烈な称賛を受けたこの小説は、「人生で大切なこと」について簡潔に語る「まえがき」から始まります。
「ただ二つのものだけがある。どんな流儀でもいいが恋愛というもの、かわいい少女たちとの恋愛、それとニューオーリンズの、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消え失せたっていい、醜いんだから。」(『日々の泡』より)
この小説では3組の恋人たち、コランとクロエ、シックとアリーズ、ニコラとイジスが登場します。奇妙な友情を交わしあい、自由奔放に生きる彼らの、それぞれの「悲痛な」物語がこうして始まります。
物語の中心となるのはコランとクロエの恋物語です。
若くして働く必要のないほどの資産を持つ青年コランが、友人に誘われて行ったパーティで人一倍かわいい少女クロエと出会い、恋に落ちるところから物語は始まります。
恋愛となると少し不器用なコランですが、周囲の助けもあってなんとかデートに誘い出すことに成功すると、2人はお互いの想いを確認、やがて結婚します。教会でとびきり盛大な挙式をし、仲睦まじく旅行に出かけるコランとクロエ。そうして幸福な日々がずっと続くと、そう思われていた矢先、悲劇は突然に2人を訪れます。
「クロエは、ひどく透きとおった顔色になって、婚礼の美しいベッドに、やすんでいた。眼はあいていたが呼吸は困難だった。アリーズが彼女と一しょにいた。イジスは、ニコラが料理全書にもとづいて何か気付けの飲み物を作っているお手伝いをしていたし、ハツカネズミは寝酒をこしらえようと草の実を鋭い歯で噛み砕いていた。」(『日々の泡』より)
クロエが「肺に睡蓮の花を咲かせる」という病に冒されてしまうのです。そんな奇怪な病を治す唯一の方法は、クロエが横たわる部屋を常に大量の花でいっぱいにしておくこと。日に日に衰弱していくクロエに花を買うため、それまでの潤沢な資産をほとんど投じ、嫌悪していた「労働」も始めるなどし、コランは奔走し続けます。
悲劇を演じるのはコランとクロエの2人だけではありません。
ジャン=ソオル・パルトルなる思想家(ジャン=ポール・サルトルの名前をもじっています。ヴィアンはこのような特定の人物の名前をもじるといった、言語遊戯を好んでいました)に熱狂し、恋人のアリーズをないがしろにしがちのシック。
イジスというきれいな恋人がいながら、他の多くの女性とも肉体関係を持つ、コランの料理人を務めるニコラ。
4人にも、それぞれに悲痛と優しさに満ちた物語が待っています。
洗面台の蛇口から出没するうなぎの挿話や、人間の声を理解しクロエの看病も行うハツカネズミの存在など、細部に数々のおかしみ深い非現実的な仕掛けを施したヴィアンの傑作。
刹那的な幸福と、それがあっという間に消えるときの儚さ、そしてその脆さゆえの美しさ。
ヴィアンの世界観が惜しみなく表出する美しくも悲しい物語です。
【北京の秋】虚実入り交じるナンセンス小説
1947年発表の小説『北京の秋』。たった1つホテルがあるのみで、他にはなにもない砂漠の地・エクゾポタミーに一大鉄道を作り上げるまでの物語。
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この小説は砂漠の真ん中に鉄道を敷設するため技術者・秘書・工夫とその子どもたち・医者が派遣されるところから始まります。エクゾポタミーで暮らす考古学者や神父、ホテルの管理者たちの奇妙な交流を軸に、過酷な土地にあって悪戦苦闘しながらも彼らは鉄道完成の道のりを着々と進んでいきます。しかし、鉄道線路がホテルの真ん中を通るよう計画されると事態は一転、ヴィアン好みの現実と幻想の入り混じった世界観が加速していきます。
そして鉄道敷設と並行して描かれるのが、大人の男女たちによる優しさと野蛮さの入り混じった苦い愛憎劇。
虚実交えた鉄道工事と大人の恋愛の様子が描かれつつ、独特な世界観の物語はテンポよく展開していきます。
「鳥が一羽いた。そしてごみの山の中の三個の空カンに首をつっこんで、ボルガの舟唄の出だしを演っている。彼は立ち止まった。と、とたんに音程がくるった。鳥が腹を立てたのだ。くちばしの間でひどい言葉を吐きながら飛んで行った。もちろん、鳥は鳥の言葉でぶうぶういったのだった。」(『北京の秋』より)
この小説では最初から最後まで冗談か童話の世界であるかのように、突拍子もない出来事が続きます。目の前で突然片目をえぐり出すバスの運転手が登場したり、車のフラッシャーで歩道を歩く子供の耳を引っ掛けるのが得意な男がいたりと、ヴィアン文学の世界は奇妙そのもの。しかも冗談か本気なのかわからないほど、その描写は平然としすぎていて、思わず笑えてしまうほどです。
小説家の安部公房はあとがきに寄せて、「カフカが書いた『不思議の国のアリス』、もしくはルイス・キャロルの手になる『審判』と言ったところだろうか」と語っていますが、この小説はまさに「不思議の国へと」読者を誘いこむようです。
ヴィアン文学の真骨頂「ナンセンス」が噴出した、軽やかで美しい物語『北京の秋』。ありきたりな小説に飽き飽きという人におすすめです。
【心臓抜き】不思議の国へと誘う不条理小説
1953年発表、ヴィアンの作品中もっとも暗いと評される小説『心臓抜き』。
この小説の主人公は赤い髭を生やした精神科医のジャックモール。精神科医という立派な肩書を持ってはいますが、実はこの男、「成人した状態で生まれ、過去を一切もっていない」という、まるでSFの主人公のような人物として誕生しています。「成人した状態で生まれ、過去を一切もっていない」というと少し分かりづらいですが、簡単に言えば「見た目は大人、頭脳は赤ん坊」の状態で生まれるということ。現実ではまるでありえない状況ですが、ヴィアンはこの状況を当然のものとして描いています。
ジャックモールは見た目こそ大人ですが、生まれたてなので、人間の「感情」や「欲望」というのがどんなものかわかりません。そのためこの物語の中で彼は、精神分析によって他者の欲望や感情、存在理由を奪い、「空っぽ」の自己を満たそうと企てます。
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物語はもう1人の主要人物クレマンチーヌがベッドで陣痛に苦しむところを、たまたま近くを通りかかったジャックモールが目撃するシーンから始まります。ジャックモールは苦しむクレマンチーヌを見るや、精神科医であるというのに迷わず手術を始め、3つ子(正確には双子ともう1人)を出産させます。
なんともヴィアンらしい、奇想天外な冒頭です。
物語はその後、より深刻で暗く、ペシミスティックな様相を見せ始めます。
「彼は老人を立たせた。相手はすっかり腰を曲げて、一歩前へ進み出た。
「ちょっと、おまえのズボンのなかの物をやつらに見せてやれよ!」と周旋人は言った。
震える指で、老人はズボンの前立てをはずしはじめた。その縁はすり切れたのと油とで光っていた。人々はどっと笑った。
(中略)
「落札!」と、周旋人は言った。
ジャックモールはこれは田舎ではよくあることなのを知っていた、だが老人市に実際に立ち会ったのははじめてだったので、その光景にびっくりした。」(『心臓抜き』より)
過去を持たないジャックモールは、奴隷として老人が叩き売られる「老人市」、労働力として酷使される小僧、グロテスクな馬の処刑、子を想うクレマンチーヌの狂気的とさえ言える母性愛……等々、醜悪な現実の数々を目の当たりにするのです。
そんな日常を過ごす中、空っぽの自己を満たし、確固としたアイデンティティを獲得しようと目論むジャックモールの試みも、なかなかうまくいきません。
夢のような奇妙な美しさと、醜く不条理な現実を露出する『心臓抜き』。
ヴィアンによって晩年に書かれた、稀代の名作です。
【夢かもしれない娯楽の技術】頭の固い連中は大キライ!軽快かつユーモア満載、珠玉のエッセイ集
ヴィアンが小説や詩の創作と並行して、生活費捻出のため、または純粋な楽しみのために様々な新聞や雑誌に寄稿した文章を「くらす」「でかける」「まなぶ」の3つのテーマに分けて収録したエッセイ集『夢かもしれない娯楽の技術』。
「書きたいことを書く」というスタイルを生涯曲げなかったヴィアンが書く、ここに収録された全てのエッセイは、ヴィアンらしい「ユーモアとアイロニカルな表現、突拍子もない言語遊戯」で満ち満ちた文章となっています。
「たとえばぼくは、何十億というお金をもし手にしたら、あれもやりたい、これもやりたいと、いくら億万長者の財産でもおっつかないようなプランを山ほど挙げてみせられる。そりゃときには「あの人たち」に対してむかっ腹が立つこともあるよ、やっぱりね。ぼくに言わせりゃ、クソ面白くもない上に想像力ときたらミジンコ並みの奴らだもの。
(中略)
まさに贅沢。必要なのはエスプリ、それからちょっぴりの洗練と想像力なのです。」(『夢かもしれない娯楽の技術』より)
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狭いアパルトマンの空間をいかに効率的に利用し、住みよい居住空間を作り上げるかを語った「極小サイズのアパルトマン」や「読者への回答」。
「真に重要なのは礼節を尽くすことではなく、ひとに思いやりをもって接すること」であると、滑稽な例を示しつつ、表面上の杓子定規的な礼節を否定した「お上品なだけじゃだめ……思いやりが大事」。
ロボットが詩人の仕事を奪う可能性を否定し、優しく「ご安心ください」と語りかけるユニークな1作「詩人ロボットなんか怖くない」。
本書は窒息しそうな現実世界の中で生きていると感じる人々に、それでもなんとかのびのびと生きるための知性の使いみち、世界の見方を柔軟に切り替える方法を教えてくれる、バイブルのような役割を提供してくれます。
【お前らの墓につばを吐いてやる】残忍で刺激的な、ボリス・ヴィアン衝撃のデビュー作
ヴィアンのデビュー小説『お前らの墓につばを吐いてやる』新訳版。
1946年発表のこの小説は、顔見知りの出版社社長ジャン・ダリュアンがヴィアンに原稿を依頼した際、ヴィアンが「架空の米国人作家ヴァーノン・サリヴァンの存在をでっちあげ、自らが翻訳したことにして出版してはどうか」と提案し、実際にわずか10日間のうちに書き上げられました。
しかし、作者の正体について噂が立ち始めると、降って湧いたように告発者は続出、やがてはその過激な暴力描写や性描写による風紀紊乱の罪でヴィアンは告発されてしまいます。
はじめに偽装作家として、つぎには風俗を乱す露悪趣味を持つ作家として、2度マスコミを賑わせたヴィアンはこの小説を引っさげてスキャンダラスなデビューを果たします。
結果として本書は、著者本人のスキャンダルや作品の暴力的で破滅的な物語が話題を呼び、フランスで大ベストセラーとなりました。
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黒人であったことが理由で理不尽に殺された弟を持つ、白い肌の黒人、リー。いつか白人への復讐を果たすことを目標に、彼はひとり故郷を離れて黒人差別がはびこる田舎町の本屋で店長として働き始めます。
近所のドラッグストアにたむろする若い男女とつるみ、セックスに明け暮れる毎日を送る中で、ついにリーは裕福な資産家の姉妹の娘ジーンとルーに出会い、彼女たちを「たたきつぶす」ことを決意します。
「重要なことはひとつだけ、それは復讐すること、ありうる最も完璧なやり方で復讐することなのだ。なんなら俺よりもさらにもっと白かったともいえる弟のことを思った。」(『お前らの墓につばを吐いてやる』より)
ハンサムで巧みな話術と教養も備えたリーはうまく2人の懐にもぐると、あるパーティーの最中に、まずは姉のジーンを魅了し、落とします。それから2人は幾度もセックスを重ねるようになり、ついにはジーンはリーとの結婚を望むようになります。
しかしリーは、すぐにジーンと結婚するわけにはいきませんでした。最後にはどちらも殺すとはいえ、結婚を望むジーンの妹、ルーと1度セックスをしない限りは殺人を犯したくなかったのです。
2人の白人に激しい欲情を抱きながらも、白人への怨恨を募らせていくリー。
ある日のこと、リーはルーをドライブへと連れ出します。それから先に、残酷な結末が待っているとは知らず……。
冷徹な文体で描かれるこの小説の行間からは、黒人音楽であるジャズを愛してやまない、ヴィアン自身が抱える怒りやエネルギー、才能の閃きが散見されるようです。
実際にヴィアンは、人種差別への激しい嫌悪と戦争反対を強く訴えていました。
【おわりに】
ボリス・ヴィアンの素晴らしい作品の数々は、時代を超えていまもなお熱烈に読まれ続けています。
人生の不条理を根こそぎ暴き、怒り続けたボリス・ヴィアン。彼は自分が納得の行かないことには反抗し、真に好きなことにだけ熱中することを良しとする姿勢を生涯貫きました。そんな生身の姿勢が反映された彼の小説は「反抗と皮肉、悪ふざけ」で満ち満ちています。
刺激的なヴィアンの小説は、行き詰まった時、気分を変えたい時にピッタリです。
初出:P+D MAGAZINE(2020/03/07)