今月のイチオシ本 【エンタメ小説】
主人公の青木啓太は、北の大地にあるH大学工学部の学生だ。東京の実家を離れ、大学の自治寮である緑旺寮で暮らす生活も三年め。大学ではフィールドワークを主とするサークルに籍を置き、それとは別に、Ambition という、H大学の魅力を高校生や保護者、一般市民に伝える活動を行っている団体にも関わっている。緑旺寮では環境清掃委員会と卓球部会にも所属。
物語は、この啓太の身辺に巻き起こる様々な出来事を、北の大地の四季を背景に描いているのだが、これがね、もう、眩しい、眩しい。何よりも、北国の澄んだ空気と広々とした空、緑の木々たちが気持ちよくて、読んでいるこちらまで心の奥が深呼吸しているような感じになる。そんな北の大地で、チャラチャラ系とは無縁の、けれど、実に伸びやかに日々を送る啓太がいい。
けれど、そんな啓太にもドラマは起こる。なんと、母親が突然失踪してしまうのだ。後に、参加していたボランティアで一緒だった相手と付き合っていて、その彼と一緒に出奔したことまでは分かるのだが、肝心の居場所は分からずじまい。あの母親が、何故?
そもそも、啓太自身が母親と距離を置くような関係だった(啓太には双子の弟である絢太がいて、母親は、体は弱く、勉強も運動もいまひとつだった絢太にかかりきりだった)し、進学先に実家から離れたH大学を受験したのも、母親から離れたい、という思いがあったからなのだが、それと失踪とはまた別の話で、啓太は啓太なりに心を痛める。そんななか、秋の校内案内ツアーに行方不明中の母を姿を見つけた啓太は……。
本書が何よりも素晴らしいのは、あえて啓太の「恋バナ」を排したところだ。その分、シンプルな啓太の成長物語(母の件ともう一つ、高校時代の友人の件)になっていて、だからこそ、読み手に深く届く物語になっている。
本書の大元になった短編「おれたちの架け橋」(「緑のなかで」の前日譚)も収録されていて、物語の"はじまり"が見せてもらえる構成も嬉しい。