元号、三島、大蔵省、構造改革――。16巻を串刺しにした『合本版 猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」』で、もうすぐ始まる新時代のルーツを読む

元東京都知事で作家の猪瀬直樹氏の、電子書籍選集『猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」』全16巻が完結しました。加えて16巻を一冊にまとめた『合本版 猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」全16巻』もリリース。日本の近代とは何か。その読み解き方を担当編集者がアドバイスします。

近著を手にシンポジウムに臨む猪瀬直樹氏、72歳(2019年1月6日、紀伊國屋ホール/東京・新宿)

 平成から新しい時代へ元号が変わろうとしています。かつて昭和の始まりには、新元号を「光文」とした新聞社の誤報事件がありました。その次の時代、平成前夜に天皇の「ご容態報道」が続いた日々があったことを、ある年齢以上の方は記憶に刻んでいるでしょう。
 そもそも元号はなぜこれほどまでに重視されるのか。その根拠となる天皇制を考えるとき、これまで日本にどのような価値観が醸成されてきたのかを知る必要がありそうです。

「元号誤報事件」にはひとつの神話がいまもって語られ続けている。その神話は、東京日日新聞が「光文」をスクープしたために、当局はあわてて「昭和」に切り替えた。本当は、元号は「光文」になるはずだった、というものである。
『猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」10 天皇の影法師』天皇崩御の朝に――スクープの顛末

 東京日日新聞は現在の毎日新聞。当時最大部数を誇っていた全国紙です。『天皇の影法師』は猪瀬直樹氏のデビュー作で、1983年に単行本が刊行されています。この作品では、大正天皇崩御の瞬間を巡る新聞報道の過熱ぶりと、元号誤報事件の丹念な検証がなされています。なぜ誤報が起きたかを追うミステリーとしても楽しめ、読むうちに元号制定のプロセスを知ることができます。論じるのではなく、事実を通して元号とは何かを理解させてくれるのです。
 その元号を、天皇制を考える一材料とするならば、1986年の『ミカドの肖像』(『猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」5』)は、多くの隠された記号から天皇制を読み解く試みを行っています。発表当時には、その新たなノンフィクションの手法も注目を浴びました。猪瀬氏はこの作品で第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。天皇制は作家・猪瀬直樹の重要なテーマとなり、それは2009年の『ジミーの誕生日――アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』(『猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」16』)へと連なる作品群で読み解くことができます。
 しかし、シリーズ名に「日本の近代」と掲げているように、この「電子著作集」のテーマは天皇制にとどまりません。
第2巻には『ペルソナ 三島由紀夫伝』が収載されています。三島が東京の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で「天皇陛下万歳」と叫び、自決したのは1970年11月25日のこと。「合本版」では、16巻に含まれる全文を対象に検索することができるので、ためしに「三島由紀夫」で検索すると787件ヒットしました。当の『ペルソナ 三島由紀夫伝』以外の巻にも、三島のエピソードが数多く使われています(検索機能はお使いの電子書籍ビューアーにより違いがあります)。それは三島由紀夫が天才作家であり、なおかつ時代と国家を生きた存在だから。日本の近代を語る上で避けて通れないのです。

三島の天皇観は仔細に検討してみると必ずしもひとつの統一した姿では浮き出てこない。三島が夢想する天皇は、価値相対主義の日常性を一気に否定するジョーカーの役割を負わされていたからではないか、と僕は解釈している。
『猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」2 ペルソナ三島由紀夫伝』解題「三島が憎んだ価値相対主義――自決から25年に寄せて」猪瀬直樹(初出『読売新聞』1995年11月22日)

 三島由紀夫は、東京大学を卒業後大蔵省(現在の財務省)に入省。9ヶ月で退官し作家活動に専念します。その三島由紀夫に大蔵省入省を勧めたのは官僚だった父・平岡梓。その平岡の農商務省同期入省(大正9年)には岸信介がいて、本書では多くの紙幅を割いて三島の父と岸について述べています。岸はのちの首相で、現在の安倍晋三首相の祖父。『ペルソナ』は作家の評伝ですが、同時に近代日本と官僚制を掘り下げた作品でもあるのです。

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猪瀬直樹氏と夫人の蜷川有紀さん(2019年1月6日、紀伊國屋ホール/東京・新宿)

 そこで、大蔵省です。2001年の中央省庁再編で財務省となりましたが、霞ヶ関のトップともいえるこの組織。「電子著作集」1の『構造改革とはなにか 新篇日本国の研究』に数多く登場します。この1巻は、1997年の単行本『日本国の研究』を核として再編されたもので、当時の特殊法人と霞ヶ関の複雑な権益構造を、仔細なデータ分析に基づいて明らかにした作品です。1997年当時は橋本龍太郎内閣のもと、「行財政改革」が叫ばれていました。なぜ国の赤字が減らないのかを問い、大いなる無駄に切り込んでいます。

 大蔵省の予算書は大蔵省主計局のエリートしか解読できない仕組みになっている。「隠れ借金」は各種の債務の繰延べや特別会計などに巧妙に染み込ませてあるからだ。
『猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」1 構造改革とはなにか 新篇日本国の研究』第一部 記号の帝国

 この作品をきっかけに、特殊法人の分割民営化が具体的に議論されるようになり、公益法人の利益構造にもメスが入れられるようになりました。2001年に発足した小泉純一郎内閣は「構造改革」を掲げ、道路公団民営化、郵政民営化といった課題に着手します。猪瀬直樹氏は、小泉首相から道路公団民営化委員に指名され、さまざまな波乱を経て分割民営化の道筋をつけました。その経緯は「電子著作集」13『道路の権力』および14『道路の決着』にまとめられています。
「電子著作集」の1巻から12巻は、書籍版の『「日本の近代」猪瀬直樹著作集』全12巻を底本としています。これは2001年から2002年にかけて刊行されましたが、官僚制も天皇制もその本質は当時と変わっていません。政策として進められた構造改革の評価は分かれますが、現在においても道半ばであることは明らかです。
 書籍版は各巻をじっくり読み込むときにおすすめ。「電子著作集」はキーワード検索で知りたいテーマをザッピング(拾い読み)するのに、最適です。なにしろ四六判単行本で約6000ページ相当もあります。そこに元号(天皇制)、三島由紀夫に象徴される文学と国家、そして昭和の終わりから平成にかけての構造改革など、近代日本を構成する要素が、数々のエピソードによって描かれているのです。「合本版」では16巻を串刺しで検索できるので、複数巻にまたがるテーマを読み込むことも容易になりました。

 終戦から四半世紀たった1970年には三島由紀夫の自決がありました。次の四半世紀の後、1995年は阪神淡路大震災やオウム真理教事件の年でもありました。そしてさらに四半世紀。改元後8ヶ月でオリンピックイヤーの2020年がやってきます。その「新元号2年」は戦後75年にあたります。メディアは終戦からのメモリアルイヤーを道標のように報じてきました。不戦の誓いや終戦記念日報道は重要ですが、すべての起点を1945年に置く考え方は間違っています。
「電子著作集」に描かれた逸話の多くは、戦後ではなく多く明治・大正に端を発するものです。昭和が始まるときの元号誤報事件、三島の父や祖父の官僚人生しかり。この作品群は、「現代」をさかのぼったとき時代が1945年で途切れているわけではないことを自然に教えてくれます。昭和も平成も、新しい元号の時代も、すべて明治と大正にルーツがあるのだと。「だから『現代』じゃない、『日本の近代』なんだ」という作家の視座が感じられます。
 新時代を迎える今、あらためて明治からの150年を見つめ直す必要があるのではないかと気付くのです。

猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」 特設サイト

https://www.web-nihongo.com/pr/inose/

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初出:P+D MAGAZINE(2019/01/25)

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