ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第4回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第4回

漫画家になる前は「〆切り」という現象に
憧れすら感じていたのに。

今まさに「原稿まだですか」という催促メールが来てこの原稿を書いている。
私は、クオリティを始めとした全てを犠牲にして、〆切りだけは守るようにしているのだが、最近年のせいか、〆切り自体を忘れるのはもちろん「そういう仕事が存在したいたこと」すら忘れる。
この連載を軽視しているわけではない「どの連載も平等に忘れている」ので安心してほしい。

何故そんなに忘れるかというと、私はスケジュール表のようなものを一切使わないからだ、部屋にはカレンダーすらない。唯一家にあるカレンダーはゴミ捨てカレンダーだ。
〆切り如きを破るより、燃えるゴミの日にプラゴミを出してしまう方が社会生活に深刻なダメージを与える恐れがあるのだから仕方がない。

なぜスケジュール管理をしないかというと、全て頭で記憶できるからではない。「予定を聞いたらスケジュール帳に書き込む」という動作を一度も覚えられたことがないからだ。
今まで手帳を買ったこともあるが、大体「1月の1週目しか予定がなかった人」として1年が終わる。

よって私の作品は内容も五里霧中だが、〆切り自体も毎回「手探り状態」であり、3日後掲載予定のこの原稿の〆切りを忘れて、〆切りが1週間後の仕事を昨日終えたところだ。
私がもう少し匠になれば「あの原稿がそろそろ香ばしい音をさせてくる頃合いだ。コラまだその原稿には手をつけるんじゃねえ生焼けだ!」と職人の勘で〆切りを完全に把握できるようになるのだとは思うが、まだその域ではないため、こういう事故が頻発する。

早く肌や風の吹き方で〆切りを感じられるようになりたいが、その前に仕事がなくなり〆切りという概念自体なくなるような気がしてならない。

このような作家にとって寝耳に水かつ青天の霹靂である「〆切り」だが、ある意味これぞ「作家」という気がする。
どんな仕事にも期限はあると思うが、「納期」とか「拘留期限」とか「執行猶予」とか「満期出所」等の言葉が使われ、「〆切り」という言葉を使われるのは、作家業界以外ではそんなにない気がする。

次記事

前記事

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第60回】完成された中間小説
元号、三島、大蔵省、構造改革――。16巻を串刺しにした『合本版 猪瀬直樹電子著作集「日本の近代」』で、もうすぐ始まる新時代のルーツを読む