マジックリアリズムってどういうもの?小説用語を徹底解説。

「通勤ラッシュを避けるために空を飛ぶ」、「百年に渡って蓄積された泥から人が姿を現す」など、不思議な表現が度々登場する芥川賞受賞作『百年泥』。そんな“非日常的”なことを“日常的”に描く手法、マジックリアリズムについて、事例をもとに紹介します。

第158回芥川賞を受賞した石井遊佳の著作、『百年泥』。インド南東部のチェンナイで日本語講師として働く“私”が、百年に一度の大洪水が引いた後の泥から現れた珍品にまつわる出来事を追体験する……という一風変わったあらすじと主人公の滑らかな語り口は、多くの読者に不思議な印象を与えました。

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『百年泥』には、何食わぬ顔で泥の中から出てきた行方不明者、通勤ラッシュを避けるために空を飛ぶ人、と非現実的な登場人物が続々と登場します。この作風について、作者の石井遊佳は『百年泥』の掲載誌「新潮」(2017年11月号)のインタビューでこのように語っています。

——それぞれのエピソードの完成度も高く、翼を背負って飛ぶ人々のような非現実的な設定にも説得力が感じられるという声も聞かれました。いわゆるマジックリアリズムの作品としても読まれうると思います。

たしかに、ガルシア=マルケスが大好きですから、影響は受けています。現実をそのまま書くのではなく、非現実的なことを書くことでありのままを描くということを目指しています。世界というのは、会話にせよ出来事にせよ、論理的にはつながっていないことのほうがむしろ当然であって、人がそれを論理に当てはめて理解しているだけだと思う。そういうけったいな——大阪出身なので「けったいな」という言葉が好きなんですけど——、荒唐無稽な小説が好きです。

インタビューの発言にもあるガルシア=マルケスは、コロンビアの作家で、ノーベル賞受賞者。代表作である長編小説『百年の孤独』は、ブエンディア一族が架空の都市“マコンド”を興し、栄え、やがて滅亡するまでの100年間を、幻想的な出来事や登場人物たちとともに描いた作品です。この手法は“マジックリアリズム”(魔術的リアリズム)と呼ばれ、世界中に大きな衝撃を与えました。

石井はインタビューで「現実をそのまま書くのではなく、非現実的なことを書くことでありのままを描くということを目指しています」とも発言していますが、これはまさにマジックリアリズムのこと。今回は『百年泥』にも効果的に使われ、注目を集めているこのマジックリアリズムについて解説します。

 

もともとマジックリアリズムは、美術技法だった。

あらためて魔術的(マジック)リアリズムを一言でいうと、“非日常”を“日常的”なものとして描く表現技法です。この名称は1925年にドイツの芸術批評家、写真家のフランツ・ローが著書『表現主義以後』の中で初めて使ったとされています。やがてこの著作はスペイン語で翻訳されたものが雑誌に紹介されたことをきっかけに、広まりました。

本来、「マジックリアリズム」は美術技法でした。しかし1940年代になり、滞在していたヨーロッパから母国に戻ったキューバの作家アレホ・カルペンティエルや、グアテマラの作家ミゲル・アンヘル・アストゥリアス・ロサレスが文学の表現手法として使い、ラテンアメリカの作家を中心に大ブームが起こります。

なぜ、他の地域でマジックリアリズムが大きな運動に発展しなかったのか。それは第二次世界大戦と、一部の国々ではその後続いた社会主義政権による厳しい文化統制が自由な創作の障害となったことが理由でしょう。アレホ・カルペンティエルとミゲル・アンヘル・アストゥリアス・ロサレスも、第二次世界大戦が迫りつつあったヨーロッパをいち早く去っています。

また、アフリカ色が濃いカリブ諸国や、ヨーロッパ系の人種が多いアルゼンチンやウルグアイなど、まさに多様性に満ちた特色を持つラテンアメリカでは、従来の規則にとらわれない自由な文学表現が発達していました。豊かな物語性や幻想性を織り成すことも積極的に行っていた地域だからこそ、日常の中に幻想的な表現を取り入れるマジックリアリズムが発展したのでしょう。

 

マジックリアリズムの代表格、『百年の孤独』とマジックリアリズムの効果。

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では、マジックリアリズムの代名詞といっても過言ではない『百年の孤独』をもとに具体的な内容に迫ってみましょう。

「しばらくそのまま、これから、神の無限のお力の明らかな証拠をお目にかける」
そう言ってから、ミサの手伝いをした少年にいっぱいの湯気の立った濃いチョコレートを持ってこさせ、息もつかずに飲み干した。そのあと、袖口から取り出したハンカチで唇をぬぐい、腕を水平に突き出して目を閉じた。すると、ニカノル神父の体が地面から十二センチほど浮き上がった。

『百年の孤独』より

ビシタシオンの不安を理解できる者はひとりもいなかった。「眠る必要がなければ、こんな結構なことはない」と、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは上機嫌で言った。「そうなれば、生きているうちにもっと仕事ができる」。ところがインディオの娘の説明によると、この不眠症のもっとも恐ろしい点は眠れないということではない(体はまったく疲労を感じないのだから)、恐ろしいのは、物忘れという、より危険な症状へと容赦なく進行していくことだった。
つまり、病人が不眠状態に慣れるにつれてその脳裏から、まず幼年時代の思い出が、つぎに物の名称と観念が、そして最後にまわりの人間の身元や自己の意識さえ消えて、過去を喪失した一種の痴呆状態に落ちいるというのだ。

『百年の孤独』より

言うまでもなく、人はチョコレートを飲んで空中浮遊をすることもなければ、不眠症で記憶を喪失することもありません。そんな“非日常”の出来事を、作者のガルシア=マルケスは淡々と描きます。この、“非日常”を、“日常”に描きこむ手法こそ、マジックリアリズムです。

そう聞くと、「イギリスが舞台の『ハリー・ポッター』シリーズ、『ナルニア国物語』シリーズはどうなるの?」と疑問に思う方もいるでしょう。たしかに、どちらも魔法や伝説上の生き物が、さも当然のように登場します。しかし、これらは“魔法界”、“ナルニア国”という別世界での物語。“非日常”の割合が“日常”よりも勝っていることは一目瞭然であり、これらの作品は「ファンタジー」に分類されます。

では、再びガルシア=マルケスから影響を受けたという『百年泥』を見てみましょう。

たいてい毎朝九時ごろ、すでに三十度をはるかに超える酷暑の中を私は会社玄関に到着する。その時ちょうど前方で脱翼した人をみると副社長で、
「おはようございます」
あいさつすると大柄な彼は私にむかって愛想よく片手を上げた。そのまま趣味のよいブルーのワイシャツの襟元をととのえつつ両翼を重ねて駐車場わきに無造作に放り出す、すると翼が地上に到達する直前に係員が受け止め、ほぼ一動作で駐車場隅の翼干場にふんわり置いた。

『百年泥』より

“私”はインドにやってくる前、偶然知り合った少女から「さいきんインド人飛ぶん?いまユーチューブで見たんやけど」と聞かれたという描写がありますが、その時点では冗談だととらえていました。しかし、実際に初出社の際に飛んでいる人を見かけても、「本当に飛んでいた」という一言であっさり納得しています。このように、「登場人物たちも非日常なできごとに疑問を感じつつも、日常だととらえて受け入れている」のもマジックリアリズムの特徴のひとつです。

みなさんの中には、そんなマジックリアリズムが使われた作品を読んで神話や昔話をイメージした方もいるはず。たしかに、神話や昔話は「なんで動物が話すの?」、「そんな簡単に山や川ができるわけがない」とでも言いたくなるような展開が平然と続きます。しかし私たちは、そんな疑問にひとつひとつツッコミを入れません。むしろ、「これはこういうもの」という前提のもと、神話や昔話を受け入れているのではないでしょうか。

また、神話や民話は、古来より人の語りをもとに後世へと伝えられてきました。聞き手に飽きが来ないよう、興味を持たせ、聞き入ってしまうようなストーリー展開が求められています。マジックリアリズムを使った劇中で次々と繰り広げられる荒唐無稽な展開もまた、読者が引き込まれるもの。マジックリアリズムの作品と神話、昔話はさほど遠くはないのです。

つまり、マジックリアリズムは、「現実にはそんなことが起こらない」という私たちの想像の枠を壊し、常識にとらわれない自由な物語を見せてくれる効果とともに、読者が「次は一体何が起こるのか」と予想もできない展開を期待する効果を持っています。

 

日本でも書かれている「マジックリアリズム」作品。

『百年の孤独』をはじめとするラテンアメリカ文学が世界中に広めたマジックリアリズムは、日本にも大きな影響を与えました。

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人気作家、森見登美彦もマジックリアリズムを作品に取り入れた作家のひとり。代表作『夜は短し歩けよ乙女』では、お酒の席で“一発芸”と称してありえない芸当が披露されるシーンがあります。

やがて濛々と渦巻く煙の中で、樋口さんは見えない空気ポンプを両手でせっせと押すような仕草をしました。自分の足もとにある風船を膨らませるような感じです。
ふいにおじさん方がソファから身を起こしました。
樋口さんの身体がふわふわと持ち上がって、三十センチばかりのところで揺れていたのです。どう見ても、本当に浮かんでいるとしか思われません。
やがて我々が阿呆面をして見上げる中、樋口さんは壁を蹴って天井まで浮かび上がりました。私が達磨を放り投げると、樋口さんはそれを抱きかかえて丸くなり、天井の大きな電燈のわきでくるくると回ってみせます。

『夜は短し歩けよ乙女』より

「天狗」を自称するキャラクター、樋口の常人離れした一発芸に、その場に居合わせた人々は「そんなのありえない」と指摘するどころか、「ぜひ今度、うちの宴会でやってくれ」とゲラゲラ笑っています。お酒の席とはいえ、そんな不思議な出来事を疑わず、「それはすごい」と受け入れてしまう。まさにマジックリアリズムの手法が生きたシーンです。

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『私の男』で第138回直木賞を受賞した作家、桜庭一樹もまた、作品においてマジックリアリズムを取り入れています。とある一族の女三代にわたる年代記、『赤朽葉家あかくちばけの伝説』は『百年の孤独』を彷彿とさせる物語ですが、実際にあとがきにも影響を受けたものとしてタイトルが挙げられています。

赤朽葉万葉あかくちば まんようが空を飛ぶ男を見たのは、十歳になったある夏のことだった。万葉はわたしの、祖母である。

赤朽葉家の千里眼奥様と呼ばれるのはまだ先の話だが——わたしはいま、祖母の子供時代の話をしようとしているので——幼いころから、ときおり未来を視ていたのはまちがいない。それはときには、座敷の掛け軸の、墨でくろぐろと描かれた文字が勝手に変わって記す予言であったり、死者が部屋に入ってきて身振り手振りで告げることであったり、ときには意味のわからない映像として視ることもあった。

『赤朽葉家の伝説』より

この作品は鳥取の名家、赤朽葉の三代にわたる女性の生き様が綴られていますが、注目すべきなのは祖母・万葉が登場する第一部。万葉は身の回りの人の死や事故を予言することから、「千里眼奥様」と呼ばれています。いうまでもなく、そのような能力は非現実なものです。そんな能力を持ちながらも、私たちと変わらない日常を送っている赤朽葉の行く末が描かれている今作は、マジックリアリズム作品のひとつといえるでしょう。

 

マジックリアリズムは、現実と非現実が入り混じる、不思議な世界観。

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空を飛ぶ男が登場する、未来を見通す力を持つといった、不思議な出来事がさも当たり前のように登場するマジックリアリズム。人によっては、その違和感が気になってしまい、読み進められない……といった方もいるかもしれません。その違和感こそ、マジックリアリズムの効果です。「そんな現実離れしたことは起こるわけがない」と想像力を留めてしまうのではなく、「そんなこともあるかもしれない」と自由な気持ちで読めば、きっと楽しめるはず。

それはまさに、石井遊佳がインタビューでも述べていた「けったいな、荒唐無稽な小説」という言葉通りのものでしょう。そんな奇想天外な「マジックリアリズム小説」の世界にあなたも浸ってみてはいかがでしょうか。

 

参考図書
『魔術的リアリズム 20世紀のラテンアメリカ小説』/寺尾隆吉(著)
『現代世界の十大小説』/池澤夏樹(著)

初出:P+D MAGAZINE(2018/06/19)

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