【『ムーンライト・シャドウ』ほか】映画化された吉本ばなな作品の幻想的な世界

吉本ばななの名作ラブストーリーで、世界的ベストセラー『ムーンライト・シャドウ』(『キッチン』収録作品)が33年の時を経て、待望の映画化。今回は、幻想的なテイストで読む人を虜にしていく、『ムーンライト・シャドウ』をメインに過去に映画化された原作を3作品ご紹介します。

2021年9月10日より公開の『ムーンライト・シャドウ』で、主人公を務めるのは、長編映画での単独主演が初となる小松菜奈。恋人役に宮沢氷魚、注目の若手俳優、佐藤緋美らが出演する事でも話題を集めています。
恋人を失い、悲しみに暮れる女性が<月影現象>によって、未来に向かおうとする姿を美しく描いた作品です。

原作は、吉本ばななが大学の卒業制作として執筆し、自身も「初めて他人に見せることを前提に書いた思い出深い小説」と語る作品です。公式完成報告イベントで、リモート出演をした監督のエドモンド・ヨウ氏は「日本文学に深く親しんできたので、尊敬する先生の作品を映画化できたことが光栄です」と話しました。

鈴の音と不思議な現象がふたりの運命を紡ぎ出す
『ムーンライト・シャドウ』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B00FXNL4BS/

『キッチン』収録作品の「ムーンライト・シャドウ」の主人公は、ひとしという恋人を交通事故で失った大学生のさつき。等と出会ってから過ごした4年間の思い出を抱えて、残されてしまったさつきは行き場のない悲しみに苦しんでいました。ある日、うららというミステリアスな女性に出会います。うららに導かれるまま、さつきは未来への希望を持ちはじめます。愛する人との幸せだった時間と、やるせない気持ちを不思議な現象が包んでいく、ファンタジーラブストーリーです。

高校2年生だったさつきは、同じ旅行委員だった等と出会います。まだ恋心を持ち合わせていないその時に、なんの気なしにあげた鈴をハンカチに包んで受け取る、下心のない自然な親切さを持つ等に惹かれていきました。そして、その鈴はお互いの想いを膨らませ、ふたりは恋人になります。

「それからおおよそ四年の間、あらゆる昼と夜、あらゆる出来事をその鈴は私たちと共に過ごした――。(中略)いつもちりちりとかすかな澄んだ音が聞こえた。耳を離れない、愛しい、愛しい音だ」

等にはすごく変わったひいらぎという弟がいました。柊と彼女のゆみこ、そして等とさつきは歳が近いこともあり、頻繁に4人で遊んでいました。ある夜、等は柊の家に来ていたゆみこを、出かけるついでに車で駅まで乗せて行きます。その道中、事故にあったふたりは帰らぬ人となってしまうのです。

「等を失ったことは痛い。痛すぎる。彼と抱き合う度、私は言葉でない言葉を知った。親でもない自分でもない他人と近くにいることの不思議を思った。その手を失って、私は人がいちばん見たくないもの、人が出会ういちばん深い絶望の力に触れてしまったことを感じた。淋しい。ひどく淋しい」

愛する人を突然亡くしたさつきは、深い哀しみを紛らわせるようにして、毎朝ジョギングをはじめます。折り返し地点にある大きな川は、向こう側に住む等とよく待ち合わせをした場所でした。一方、兄だけでなく、恋人のゆみこを同時に失った柊は、ゆみこが着ていたセーラー服を着ることで、心の穴を埋めていました。

ある日、いつもの様に虚しさと共にジョギングをしていたさつきは、中間地点のいつもの川で休憩をしていました。少し薄暗い夜明けの川を見つめながら水筒のお茶を飲もうとした時、うららという不思議な魅力を纏った女性に出会います。急に声をかけられた反動で、水筒を橋の上から落として壊してしまいます。うららは、水筒を壊してしまった代わりに、ある「秘密の現象」について教えてくれました。

それは、朝の5時3分前に川にくると、百年に一回、いろいろな条件が重なって、ある種のかげろうが見えるかもしれないという事でした。等を失ってから、果てしない喪失感をやり過ごすさつきは、あまり知らないうららに小さな光を感じていました。そして、教えてもらったその時間に、川に向かいます。そして、川を挟んだそこには等が心配そうな瞳でこちらを見ていました。

「等、私と話したい? そばに行って、抱き合って再会を喜びあいたい。でも、でも――涙があふれた――運命はもう、私とあなたを、こんなにはっきりと川の向こうとこっちに分けてしまって、私にはなすすべがない。涙をこぼしながら、私には見ていることしかできない。等もまた、悲しそうに私を見つめる」

穏やかで輝いていたふたりに訪れた、突然の「さよなら」。しかし、残された方の人間は、「絶望」と共に生きていかなくてはなりません。そんな時、生きる力を呼び覚ます幻想的な出来事が、未来への希望を感じさせる作品です。

目には見えない大きな贈り物『アルゼンチンババア』


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父と娘の絆をノスタルジックに描いた、よしもとばななの傑作小説『アルゼンチンババア』。2007年に映画化された本作は、役所広司、鈴木京香、堀北真希という豪華キャストで、当時話題を集めました。

主人公は、大好きな母を病で亡くした18歳のみつこ。仲良く平穏に暮らしていたみつこの家族は、母の死後、バラバラになってしまいます。家族が住む小さな街で、噂のまとだったアルゼンチンババアの存在が、離れてしまった家族の絆を蘇らせていく感動の物語です。

みつこの父は仕事人間でしたが、母が入院をしてから朝も夜も母の好物を買っては病院に通って尽くしていました。しかし、母が死ぬ日の朝だけは、寝坊して来なかったのです。そのことをみつこは、恨んでいました。

みつこが住んでいた街の外れに、古びたビルがあり、そこには魔女のようなアルゼンチンババアと呼ばれるユリさんが住んでいました。生えっぱなしの草に覆われたあまりに古いビル、ボロボロの洋服を着る姿に、街中では根も葉もない噂で持ちきり。

ある日、離れて暮らしている父が噂のそのビルに出入りしている姿を見たと友人から聞いたみつこ。心配になったみつこは、思い切ってアルゼンチンババアの住む家を訪れます。来てしまったことを後悔するほどの、廃墟のようなボロボロなビル。汚く薄暗い庭をなんとか通り抜けて玄関のチャイムを鳴らします。待っている間、ビルの外とは違う静かで穏やかなその空気感に次第に父が通う理由に納得していくみつこ。そして、アルゼンチンババアは甘い声を出して、みつこを暖かく抱き寄せ迎え入れます。不快だったはずのみつこでしたが涙が出てしまいます。

アルゼンチンババアも目から涙が出ていた。
「今、あたしも自分のお母さんが死んだ時のことを思い出しちゃったの」
「その時、一生消えない大きな贈り物をもらったわ。でも、それでもうんと悲しかったよね、あれは、うんと悲しいことだったよね」
そしてまた私を抱きしめた。もう残っていなかったはずの涙がまた出てきた。母と潮干狩りに行ったこと、母と銀杏を拾いに行ったこと。

その日から、外からは見えないその古びたボロボロのビルの中で、みつこと父とアルゼンチンババアは幸福を感じながら、穏やかに過ごして行きます。

幸せの在り方、愛の示し方や感じ方というのは、人それぞれです。母を中心に繋がっていた家族の大きな愛、失ったことで距離ができてしまった父とみつこは、アルゼンチンババアの大きな愛で、再びあたたかさを取り戻します。「幸福」とは何か、 シンプルな答えに導いてくれるような不思議な話です。

深く眠った闇の先に『白河夜船』


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複雑な事情を持つ恋人との関係に悩む中で、最愛の親友を亡くした主人公。答えのない悩みや深い寂しさを「夜」に投影した短編小説『白河夜船』。2015年に映画化されました。

「いつから私はひとりでいる時、こんなに眠るようになったのだろう。潮が満ちるように眠りは訪れる。もう、どうしようもない。その眠りは果てしなく深く、電話のベルも、外をゆく車の音も、私の耳には響かない。何もつらくはないし、淋しいわけでもない、そこにはただすとんとした眠りの世界があるだけだ」

主人公の寺子が眠りについて話すところから物語は始まります。寺子には、アルバイト先の上司として知り合った岩永という恋人がいます。岩永との恋愛は幸せそのものでしたが、彼には植物状態の妻がいました。その事実は、寺子にやり場のない息苦しさを与えていました。そんな時、最愛の親友しおりが自殺してしまいます。

未来の見えない不倫関係と、親友の衝撃の死に、寺子の眠りはどんどん深く長くなっていくのです。そのうちに、くっきりとしたまるで現実のようなしおりと過ごす夢を見たり、植物状態の岩永の妻が少女として目の前に現れる不思議な体験をしていきます。そのことで、寺子はしおりや岩永の妻と同じように、永遠に深い眠りについてしまうのではないかと考え始めます。そして生きて、岩永の隣にいられることに安堵を感じ、穏やかな気持ちが再び戻ってくるのです。
主人公の抜けられない苦しさや繊細な心理が「夜」や「眠る」ということに丁寧に投影され、生きること、愛することの歓びを感じられる物語です。

おわりに

「死」がベースにあるのに、暗い気持ちではなく、優しく包まれるような不思議な感情を提供してくれる吉本ばななの作品。ただ悲観的になるのではなく、「死」を持って未来を見つめるということ。それが吉本ばななの幻想的な物語に隠れた魅力のひとつです。

映画『ムーンライト・シャドウ』をきっかけに原作に関心を抱いた方や、吉本ばななは知っていたけど、今回紹介した作品はまだ読んだことがないという方、ぜひ、手にとってあたたかい魅力に包まれてください。

初出:P+D MAGAZINE(2021/09/10)

週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.8 三省堂書店成城店 大塚真祐子さん
◎編集者コラム◎ 『書くインタビュー4』佐藤正午