【『熱帯』を読む前に】初めての森見登美彦入門
2018年11月16日に『熱帯』を発売し、第160回直木賞候補にもノミネートされた森見登美彦。デビューしてから、数々の作品を世に送り出してきました。人気作家の森見登美彦ですが、森見作品をこれまで読んだことがない初心者のために、年代順におすすめの7作を紹介します。
2018年11月16日に『熱帯』を発売し、第160回直木賞候補にもノミネートされた森見登美彦。
2003年に『太陽の塔』で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、デビューしてから、数々の作品を世に送り出してきました。今年2018年の夏には『ペンギン・ハイウェイ』がアニメ映画化され話題に。人気作家の森見登美彦ですが、森見作品をこれまで読んだことがない、初心者のために、年代順におすすめの7作を紹介します。
外せないデビュー作 『太陽の塔』
https://www.amazon.co.jp/dp/4101290512
本作は森見登美彦が京都大学在学中に執筆したデビュー作です。クリスマスの京都を舞台に、失恋した男が昔の恋人である“水尾さん”のことを追い、むやみに疾走する物語で、彼の作風の原点とも言えます。また、森見登美彦が大ファンであるという女優の本上まなみが解説を書いているという点でも、作家の想いが伝わります。
<あらすじ>
大学を「休学中の5回生」というかなりタチの悪い状況の“私”(森本)は三回生の時に付き合っていた水尾さんのことを忘れられないでいる。「水尾さん研究」と題してストーカーを行なっていたがある日、現在彼女と付き合っているらしい遠藤という男に「彼女につきまとうのはやめろ」と忠告される。京都がクリスマスムードにつつまれていく中、遠藤と“私”の戦いは始まるのであった……。
しんしんと眠りこける夜の町を歩きながら、彼女はよく眠る人だったと考えた。私と付き合っていた当時、彼女がパチンコ屋のアルバイトで猛烈に忙しい生活をしていたということもあるが、彼女はところ構わず、すうすうと眠り込んだ。猫のようにまん丸くなって眠る彼女を傍らに眺めながら、一人ぼんやりしていたことを思い出す。
茨木駅から万博公園に向かうバスの中、彼女は車窓から外を眺めていた。やがて緑の森の向こうに太陽の塔が姿を現した。彼女はびたんと蛙のように窓に張りついた。
「うわっ、うわっ、凄い」と彼女は言った。
“私”は水尾さんのことを子供の頃遊びに行っていた「太陽の塔」へと連れて行きます。彼女はそれがきっかけで本作のタイトルでもある「太陽の塔」を“私”そっちのけでこよなく愛することとなります。“私”は一見、別れた恋人のことを忘れられず、まるでストーカーのように思えますが、水尾さんのことを思い出す描写で実は彼の愛が純愛であるということがひしひしと伝わってきます。またラストでは、彼女の行動の一つ一つや、別れた日のことを“私”が思い出すシーンがあり、読者を切ない気持ちにさせます。
謎の秘められた古都『きつねのはなし』
https://www.amazon.co.jp/dp/4104645028
京都の街で起こる不思議で不気味な出来事、背筋がゾクゾクするようなホラーテイストの短編集。「ケモノ」のような“人”が出てくる表題作『きつねのはなし』や「ケモノ」に魅入られてしまう『魔』などの四編が収録されています。森見登美彦の他の作品はコミカルで愛おしいキャラクターが登場するものが多いという印象ですが、この作品ではまた違った雰囲気を味わうことができます。
<あらすじ>
芳蓮堂という古道具屋でアルバイトをする私(武藤)はある日天城さんという男に、店主のナツメさんから中を見てはいけないと言われた小箱を届けに行った。その後、なんども彼の元を訪れるようになると、ある日天城さんから狐のお面を探して持ってきてほしいと頼まれる。だがナツメさんには、天城さんから何も受け取ってはいけない、何も渡していけないと釘を刺されていた。
木箱を開いたナツメさんは感嘆の声を上げた。
それは一見、ただ真っ黒な漆塗りの盆であった。しかし隅のほうにぽつんと一匹だけ、鮮やかに紅い蘭鋳が浮かんでいる。丸々とした小さな蘭鋳は、今にも繊細な鰭をひらひらと動かしそうに思われた。見つめていると、漆塗りの黒い平面が、ぬらりと光る底の知れない水面のように思えてきた。
「あ」
ナツメさんは金魚を指さして言った。
「動いたんじゃないでしょうか」
「動くんだ」
須永さんは得意げに言ったが、冗談か本気かわからなかった。
この物語では狐の面をした男が店先に現れたり、ナツメさんのお客さんである須永さんが亡くなってしまったりと度々不気味なことが起こります。ナツメさんや天城さんがなんの取引をしているのか“私”にはわからないのです。彼らは「金魚が泳ぐ漆の盆」や「気味の悪い狐のお面」など珍しく、奇妙なものを取り扱っています。「お化け」のような怖さではなく「得体の知れないもの」に対する恐怖と、それに入り混じったワクワク感を楽しめる作品です。さらに、ここで登場するナツメさんという女性は最新作『熱帯』の中でも登場する人物です。覚えておくと森見登美彦作品がもっと楽しめるかもしれません。
京都的パラレルワールド 『四畳半神話大系』
https://www.amazon.co.jp/dp/404387801X
今作は2010年にフジテレビの深夜アニメ枠“ノイタミナ”にてテレビアニメが放送され、森見登美彦初の映像化作品となっています。小津、明石さん、樋口師匠など個性が強く、ポップなキャラクターたちが登場し、読み応えのある作品となっています。物語は全て「起こり得たかも知れない」並行世界の出来事となっています。
<あらすじ>
大学3回生になるまでの2年間、“私”は何も有益なことなどしてこなかった。こんなことになってしまったのは映画サークル「みそぎ」に入ってしまったからだ。縁起の悪そうな顔をした男、小津とは腐れ縁が続いている。もし違う道を選んでいれば、“私”には夢にまで見た憧れの黒髪の乙女と楽しくお付き合いをするような薔薇色のキャンパスライフが送れたかもしれないのに!
小津と私は同学年である。工学部で電気電子工学科に所属するにもかかわらず、電気も電子も工学も嫌いである。(中略)野菜嫌いで即席ものばかり食べているから、月の裏側から来た人のような顔色をしていて甚だ不気味だ。夜道で会えば十人中八人が妖怪と間違う。残りの二人は妖怪である。弱者に鞭打ち、強者にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、天の邪鬼であり、勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯食える。およそ誉めるべきところが一つもない。
しかしながら、彼は私のただ一人の友人であった。
どの道を選んでも小津は自分の友人であることに気がついた主人公。“私”はいつも小津に憎まれ口ばかり叩きますが、それは愛ゆえなのかも知れません。どうしても小津と“私”が知り合ってしまうのは、二人が「運命の黒い糸」で結ばれているからなのでしょうか。また、森見登美彦の作品ではヒロインとして「黒髪の乙女」がしばしば登場します。この物語の中での黒髪の乙女は「明石さん」という女性なのですが、“私”は小津だけでなく明石さんとも、全ての事象で出会っているのです。“私”が起こしたり、巻き込まれたりする珍事件の数々が面白く、テンポよく読めます。
黒髪の乙女を追いかけて 『夜は短し歩けよ乙女』
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本作は第20回山本周五郎賞受賞作品で、同年に本屋大賞も受賞しています。2017年にはアニメ映画化もされ、キャラクター原案は表紙を担当している中村佑介というイラストレーターが手がけています。森見登美彦の著書の中でも人気の高い作品で、読んだことがなかったとしても目にしたり、耳にしたりしたことのある人は多いのではないでしょうか。
<あらすじ>
後輩である黒髪の乙女に恋をしている“私”は、なるべく彼女の目にとまろう(通称 ナカメ作戦)と外堀を埋める日々を送っていた。しかし偶然を装い何度彼女と出会っても「あ!先輩、奇遇ですねえ!」と繰り返されるばかり。大学のクラブOBである先輩の結婚式でも彼女を見かけるが、夜の先斗町へと消えて行く彼女を見失ってしまうのだった。
ひよこ豆のように小さき私は、とにかく前を向いて、美しく調和のある人生を目指して、歩いてゆくのであります。冷たく澄んだ空を威張って見上げて、李白さんがお酒を酌み交わしながら言った言葉を思い出しました。愉快な気分になり、我が身を守るおまじないのようにその言葉を唱えてみたくなりました。
かくして私はつぶやいたのです。
「夜は短し歩けよ乙女」
先輩が自分を追っているなんてつゆ知らず、黒髪の乙女はこの後も下鴨神社の古本市で昔好きだった絵本を探したり、学園祭でゲリラ演劇に巻き込まれたりと、我が道をずんずんと進んでいきます。そしていろいろな人と出会います。優しく好奇心旺盛な彼女は“私”だけにとどまらず読者の心までも射止めてしまうでしょう。
男の友情たるや桃色ブリーフの如し『新釈走れメロス 他四篇』
https://www.amazon.co.jp/dp/4396335334
今作は太宰治の『走れメロス』や中島敦の『山月記』、芥川龍之介の『藪の中』などの純文学作品を森見登美彦が現代京都版へとタイトル通り新釈(パロディ)した短編集です。男たちの熱い友情が描かれており、太宰の『走れメロス』とは全く違う展開に驚きつつも楽しんで読める作品となっています。
<あらすじ>
芽野史郎が久しぶりに大学に行くと学園祭が行われていた。久しぶりに自身の所属する詭弁論部の部室へ行くと、図書館警察の長官によって部室が封鎖されていた。怒った芽野は長官に直談判しにいく。詭弁論部廃部を撤回する代わりとして長官からの要求は学園祭のフィナーレに『美しく青きドナウ』をブリーフ一丁で踊ること。そんな破廉恥なことをしたくない芽野は姉の結婚式があると嘘をつき、友人の芹名を人質にして京の都を逃げまくるのだった。
「俺さまをナメやがって!伝統ある図書館警察長官を継いだ僕の辞書に不可能という言葉はないのだ。なんとしてもやつに約束を守らせて、明日の夕暮れ、ブリーフ一丁で踊らせてくれる。しかもそのブリーフは、破廉恥きわまる桃色だ!」
怒る狂う長官をよそに、芹名は悠然とコーヒーをすすった。
「俺の親友が、そう簡単に約束を守ると思うなよ」
彼は言った。
この作品は熱い男の友情をテーマにしています。本来の『走れメロス』ではセリヌンティウスのために一生懸命走るメロスですが、森見登美彦版では芹名を助けるつもりのない芽野が自分のために走ります。妙な信頼関係ですが、またそれも彼らなりの友情の形です。果たして、芹名は桃色ブリーフで踊ることになるのでしょうか。ラストシーンでの登場人物たちの痛快さには、思わず笑ってしまいます。
夜がずっと続いている……。『夜行』
https://www.amazon.co.jp/dp/409386456X
今作は森見登美彦の作家生活10周年の3部作の締めくくりの1作として発表された作品です。青春小説『夜は短し歩けよ乙女』、怪談『きつねのはなし』、それに続くファンタジー小説 『有頂天家族』などの初期作品の要素が織り混ざっていて、ページをめくる手が止められない感覚になります。
<あらすじ>
学生時代に通っていた英会話スクールの仲間たちと鞍馬の火祭りを見物に行くことになり私(大橋)は東京から京都に出かけていた。仲間達とこうして集まるのは10年ぶり。10年前の夜に仲間の一人である長谷川さんが姿を消して以来であった。そして、私は街の裏通りで彼女らしき女性を見かける。追いかけていくと画廊にたどり着き、そこでは「夜行」という連作の絵画の展示をしているのだった……。
天鵞絨のような黒の背景に白い濃淡だけで書き出された風景は、永遠に続く夜を思わせた。いずれの作品にも一人の女性が描かれている。目も口もなく、滑らかな白いマネキンのような顔を傾けている女性たち。「尾道」「伊勢」「野辺山」「奈良」「会津」「奥飛騨」「松本」「長崎」「青森」「天竜峡」……一つ一つの作品を見ていくと、同じ一つの夜がどこまでも広がっているという不思議な感覚にとらわれた。
「どうして夜行なんだろう」
私が呟くと、画廊主は微笑んで首を傾げた。
「夜行列車の夜行か、あるいは百鬼夜行の夜行かもしれません」
この作品の魅力は、静かで不明瞭な怖さです。“私”を除いた仲間の4人は、皆それぞれ旅先で不思議な出来事を経験していました。その場所には必ず「夜行」の中の一枚が飾られていました。失踪した彼女と「夜行」の関係とは? 読み進めるにつれてどんどん核心に近づいて行きます。得体の知れない闇に吸い込まれていく、そんな不思議な物語です。
最新作『熱帯』
https://www.amazon.co.jp/dp/4163907572
汝に関わりなきことを語るなかれ
しからずんば汝は好まざることを聞くならん
という一節からこの作品は始まります。森見登美彦は
「小説についての小説を書く」というアヤシゲな題材に手を出してから一年半『熱帯』の世界に閉じ込められていた、精根尽き果てたので二度とこんな題材には手を出すまい(公式ブログより)
と語っています。
<あらすじ>
「沈黙読書会」という不思議な本を持ち寄る会に参加することになった森見登美彦氏は最近読んでいる『千夜一夜物語』を持ち寄ることにした。不思議といえば昔に読んでなくしてしまった本『熱帯』があるなあ、などと思っていると会に参加する女性の一人が『熱帯』を持っているではないか。彼女は名を白石さんといい、『熱帯』にまつわる話を語ってくれるのであった。
「あなたは何もご存知ない」
彼女は指を立てて静かに言った。
「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」
白石さんの言う「この本を最後まで読んだ人間はいない」とはどのような意味なのでしょうか。読んで行くにつれて謎の本『熱帯』に近づいたようで近づいていない、『熱帯』とは一体何なのだろうといったムズムズした感覚を楽しむことができます。この本のカバーを外すと作中に出てくる『熱帯』の表紙が姿を表します。また、インターネットサイトの「Amazon」で作中の人物である「佐山尚一」を検索してみると……? たくさんの仕掛けがあり、読者である皆さんのことも『熱帯』は取り込んでしまうことでしょう。
おわりに
森見登美彦の作品では、ある作品に登場した人物やモノが他の作品にも登場することがあるため、一冊だけでも、あるいは何作か読んでも楽しむことができます。また、実際の場所が舞台になっているので、森見登美彦の本を片手に京都観光なんてこともできますね。この機会に森見登美彦の作品を手に取ってみてはいかがでしょうか。
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初出:P+D MAGAZINE(2019/02/05)