『羊と鋼の森』『蜜蜂と遠雷』ほか、クイズ形式で解説! ピアノが主役の小説5選
7月6日はピアノの日ということをご存知ですか? 江戸時代のこの日、初めて日本にピアノがやって来たことに由来するのだそうです。「楽器の王様」ピアノは、私たちにとっても馴染みが深いですが、ピアノが小説中で効果的な小道具として用いられることも多いものです。ピアノが主役の小説5選と、小説中で出てくる印象的な音楽を紹介します。
1、三田誠広『いちご同盟』~いちごのように甘酸っぱい15歳の恋の行方は――青春小説の金字塔~
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音大を目指してピアノのレッスンに励む中学3年の北沢良一は、ある日、同級生で野球部のエースの羽根木徹也に、野球の地区大会のビデオ撮影を頼まれます。徹也が出した条件はただ一つ、「いいか、ぜったい女は撮るな」。女とは、徹也を取り巻くファンの女子生徒たちのこと。良一は引き受けます。それがたったひとりの女の子――不治の病で長期入院中の少女に見せるためのものだとも知らず……。
「おっす!ビデオもってきたぜ」徹也の声に応えて、中から声が聞こえた。
「ちゃんと映ってるの?」女の子の声だ。
「おれもまだ見ていない。撮ったやつを連れて来た。映ってなかったら責任とらせる。おい、中に入れよ」
ベッドから女の子の顔がのぞいた。大きな目が、こちらを見ている。ぶしつけな感じがするほど強い眼差しだ。ものおじしない、いきいきとした好奇心に満ちた様子で、じろじろとぼくの顔を眺めまわしている。病気のせいか、顔や首筋が、透きとおるほど白い。ぼくは頭のなかが、ぼうっとなった。
「あたしは、直美。上原直美。テッちゃんは幼馴染なの」
徹也の妹であってくれと祈る気持ちでいたが、妹ではなかったのか。
良一は分かっていました。徹也と直美のあいだには、誰も割って入れない親密な空気があることを。
放課後、徹也が音楽室に入って来た。
「直美がもう一度お前に会いたいと言っていた」
ぼくは、すぐには答えが返せなかった。
「このカメラ、ボタン押すだけで写るんだな」
「写るよ」
徹也はカメラを構えて、数歩さがった。
「よし。何か弾け」
「弾けって、ビデオに撮ってどうするんだい」
「直美に見せる。文句を言わずに、早く弾け」
ぼくは弾き始めた。好きな曲だし、とっさに暗譜で弾けるのは、この曲だけだったから。けれど、後で気づいてみたら、僕はとんでもない曲を弾いていたのだった。これは病院で聴く音楽ではない。ことに、患者が女の子の場合には。
「これ、何ていう曲?」
病院で再生したとき、直美が尋ねた。ぼくは答えられなかった。
ここでクイズです。「ぼく」が弾いた曲は次のアからエのうち、どれだったでしょう?
ア、『亜麻色の髪の乙女』(ドビュッシー)
直美はもともと宝石を溶かし込んだようなきれいな髪をしていたが、今では、きつい抗がん剤の副作用で、自慢の髪がほとんど抜け落ちてしまっていた。そんな直美に、この曲名を告げるのは酷なことであると良一は考えた。
イ、『乙女の祈り』(バダジェフスカ)
勘の鋭い直美は、いくら周囲に隠されても、自分が不治の病にかかっていることを薄々感づいていた。彼女の「乙女の祈り」を神様は聞かなかったのだ。また女流作曲家・バダジェフスカ自身も早逝していることから、この状況にはふさわしくないと良一は考えた。
ウ、『くるみ割り人形より 花のワルツ』(チャイコフスキー)
お嬢さま学校に通っていた直美は、幼少時よりクラシックバレエを習っており、バレエダンサーになることが夢だった。しかし、脚に悪性の腫瘍が転移した直美は、実は片足切断手術を受けたばかり。有名なバレエ音楽『くるみ割り人形』を良一がいかに華麗に弾こうとも、彼女が再びトウシューズを履いて踊る日は二度とかえってこない。
エ、『亡き王女のためのパヴァーヌ』(ラヴェル)
まずタイトルが縁起でもない。パヴァーヌとはスペイン宮廷の舞踊のことで、小さな王女がこの曲に合わせて踊る様をイメージして作られた曲とされているが、その割にメロディはあまりにも物哀しげで儚い。陰りをはらんだ不安な和音は、聴く者の涙さえ誘う。
どれかわかりましたか? 答えはエ、『亡き王女のためのパヴァーヌ』(ラヴェル)でした。
「アンコール!だいじょうぶ。私は『王女』じゃないから、気にしないで」
ぼくは驚いて直美の顔を見た。直美はいたずらっぽく笑ってみせた。直美は曲名を知っていたのだ。
難病にかかっていても、気丈に振る舞い、茶目っ気すら見せる直美に、良一はどんどんひかれていきます。けれど、あのとき「ぼく」が『亡き王女のためのパヴァーヌ』を弾いたことが、まるで伏線のように、物語は進行します。
あとで考えれば、やっぱり『トロイメライ』とか『エリーゼのために』とかにしとけばよかった……。
良一はそんなふうに回想します。「夢」という意味をあらわす、シューマンの『トロイメライ』、あるいは、ベートーベンが愛しい女性のために作ったといわれる『エリーゼのために』。良一が直美にプレゼントした曲がこれらのものだったら、直美の運命は変わっていたのでしょうか……。
15歳の頃の15(イチゴ)のように甘酸っぱい思い出がよみがえってくる一冊、ぜひ『亡き王女のためのパヴァーヌ』をBGMに読んでみてはいかがでしょうか。
2、江國香織『神様のボート』~ピアノと共に旅する母子の物語~
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私の人生に与えられた宝物のうち、一つ目は六歳のときにやってきた。ピアノだ。ピアノは艶やかに黒く美しく、蓋をあけると木とワニスの匂いがした。私の荷物はそんなに多くない。ピアノと、ピアノ教えます、という看板と、衣類のボストンバックが一つ。私の手はピアノ用なので指がごつごつしていて関節が太い。骨ばって大きな、男の人の前ではなんとなく隠したくなる私の手を、「この手、大好きだよ」と、あのひとは言った。人生の二つ目の宝物。「この手がどんなに速く力強く鍵盤をとらえるか、どんなに美しい音をつくりだすか、どんなに微妙な音色を弾き分けるか、俺は知っている。
そして、ヒロインの「私」こと葉子と、「あのひと」とのあいだに、三つ目の宝物が生まれます。娘の草子です。
ママは昼間うちでピアノを教え、夜はバーで働いている。ピアノだけじゃ生計がたたないのだ。なにしろ、ママの生徒は現在二名しかいない。あたしはいつでもピアノで遊んでいいことになっているし、ママは頼めばどんな曲でも弾いてくれるけれど、あたしはママのレッスンを受けていない。習うなら他の先生についた方がいい、とママは言い、あたしはそんなことはしたくないのだ。あたしはママの弾くピアノが好き。バッハはとくに。ピアノを弾くママの横顔は、透明で強くてとてもきれいだと思う。
ある事情があり、葉子は「あのひと」と結婚することができず、生き別れになってしまいました。葉子はひとりで草子を産み、二人で身を寄せ合い、引っ越しをくり返して旅がらすのように暮らしています。葉子は、いつか必ず迎えに来ると言った、「あのひと」の約束を信じて、旅を続けているのです。しかし、草子は、長じるにつれ、ママの夢見がちなふわふわした生き方が納得できなくなってきます。
夜、ママが出かけてしまってから、ピアノを弾いた。草子の出す音はやわらかね、とママは言う。「勇敢な騎士」は途中までしか弾けないけれど、弾けるところだけくり返し弾いた。夜ご飯のとき、ママが引っ越しをほのめかした。まだ一年だよ?ピアノを弾いていたら、なんだか知らないけれど涙が出てきた。親友のりか子ちゃんを裏切るような気持ちになった。あたしは力強く、ばんばん音をたててピアノを弾いた。「勇敢な騎士」は勇ましい曲なのでちょうどよかった。
ね、葉子さん何か弾いて?店で何度かそう言われたが、そのたびに断った。プロはお金をもらえない場所で弾いてはいけない。昔、先生にそう言われたからだ。音楽は確かだ。人間とちがって、音楽は確かだ。つねにそこにあるんだからね。鍵盤に触れるだけでいい。いつでも現れる。望む者の元にただちに、とも。先生のピアノは正確だった。正確で抑制されていてかえって官能的だった。
はたして、葉子の「あのひと」、草子のパパは、音楽のように“望む者の元にただちに”あらわれるのでしょうか……?
ところで、この物語には葉子の奏でるバッハが通奏低音のように流れています。
「一曲だけひいて」あたしが言うと、ママは、
「何がいい?」と訊いた。
「バッハ」あたしは迷わずにこたえる。ママは短い、でもしみるように美しいミサ曲をひいた。
「バッハはいいね」
葉子と草子同様、作者の江國香織もまた、バッハを愛聴しているそう。江國氏は2016年7月14日、銀座・王子ホールで開かれた、愛する音楽を語り聴く「ギンザ・ブックカフェ・コンサート」に出演した際、その理由を次のように語っています。
バッハのような(淡々として物静かな)バロック音楽が、自分の体質や性格に合っているんでしょうね。あまり動揺したくないんです。音楽に抒情的に感傷的に迫って来られて、ふいに心を震わされるのは困る(苦笑)。音楽は空から降って来るように、避けようもなく触れてくる。本のように閉じるとか、そっぽ向くことが出来ない。その意味で音楽は乱暴でもある。だからこそ人の心を震わすことも出来るのですが
本作『神様のボート』も含め、江國香織の小説は、淡々とした日常を丁寧に描写した、そのつみ重ねのうえに成り立つ物語であり、決して驚天動地の出来事が起こるわけでも大げさな仕掛けがあるわけでもありません。しかし、それこそが江國作品の魅力であり、本作中にある“抑制されていてかえって官能的”という表現は、そのまま彼女の作品にも当てはまりそうです。また、江國作品が、幼い頃読んだ童話のように、どこか懐かしく安心するのは、バッハの音楽と共通するものがありそうです。
ノスタルジーあふれる大人のための童話『神様のボート』。ぜひ、バッハのピアノ曲と共に味わってみてはいかがでしょうか。
3、宮下奈都『羊と鋼の森』~ピアノとピアニストを支える縁の下の力持ち~
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「羊」と「鋼」の「森」っていったい何のこと? 印象的なタイトルが気になる一冊です。
「昔の羊は山や野原でいい草を食べていたんでしょうね」
「はい?」
「いい草を食べて育ったいい羊の毛を贅沢に使って、フェルトをつくっていたんですよね。羊のハンマーが鋼の弦を叩く。それが音楽になる」
「ハンマーってピアノと関係があるんですか」
「ピアノの中にハンマーがあるんです。ちょっと見てみますか」
言われてピアノに近づいてみる。
「こうして鍵盤を叩くと」
トーン、と音が鳴った。ピアノの中でひとつの部品が上がり、一本の線に触れたのがわかる。
「ほら、この弦を、ハンマーが叩いているでしょう。このハンマーはフェルトでできているんです」
トーン、トーン、音の連れて来る景色がはっきりと浮かんだ。森の匂い。秋の、夜の。
本作の主人公の外村は、たまたま高校にやって来たピアノ調律師の仕事ぶりを間近で見たことがきっかけで、調律師の仕事に興味を持つようになります。それにしても、ピアノを「羊」と「鋼」の「森」と表現する作者・宮下奈都の詩的な感性に思わず脱帽ですね。
ではここで、ピアノの調律師○×クイズです。次の①から⑤は、○か×のどちらでしょう?
① ピアノの調律師になるには、幼い頃からピアノを習っていなければならず、自身でもある程度弾ける必要がある。
② ピアノの調律師にとって、耳がよいことは何よりも大切なことであり、絶対音感を持っているのが必須条件となる。
③ ピアノはたくさん弾けば弾くほど音程が狂うため、練習量の多いピアノほど頻繁に調律が必要になる。
④ ピアノの調律は静かな環境でないと正しく行われないため、家庭などに調律師が来た場合は、物音を立ててはいけない。
⑤ 調律師は、音階を正確に合わせるだけでなく、場合によっては、「明るい音」「澄んだ音」など、そのピアノの弾き手のイメージや好みに合わせた音色に調整する技術も必要となる。
答えは、作品中のなかに書かれています。
①②……両方×
調律師養成のための専門学校に2年間。ピアノも弾けない、音感がいいわけでもない人間が、四十九番のラの音を440ヘルツに合わせる。それを基に曲がりなりにも音階を組み立てることができるようになるのだから、2年という年月は短いようで長い。慎重にチューニングハンマーをまわす。0.1ミリ、0.2ミリ。もしくはもっと細かい刻みで。音の波の数と高さを揃えること。そこまでは誰でも訓練で到達することができる。才能ではない、努力だ。ピアノが弾けても弾けなくても、耳がよくても悪くても、訓練すれば誰でも。こつこつ調律の練習を繰り返すほかは、こつこつピアノ曲集を聴いた。高校を出るまでクラシック音楽を聴いたことがなかったから、とても新鮮だった。僕はすぐに夢中になって、毎晩モーツァルトやベートーヴェンやショパンを聴きながら眠った。
作品中には、ピアニストになる夢をあきらめて調律師に転向した同僚も登場しますが、必ずしもピアノが弾ける必要はないようですね。
③……○
初めて一般家庭に調律に行った。よく磨かれ大事にされ、そして、弾き込んであるのもわかった。オクターブをさっと鳴らしただけで、少し歪みが感じられた。半年前に調律をしているのにこれだけ狂うのは、かなり弾き込んであるせいだ。先輩の柳さんが楽しみだと言ったのもうなずける。持ち主に愛されてよく弾かれているピアノを調律するのはうれしい。一年経ってもあまり狂いのないピアノは、調律の作業は少なくて済むかもしれないが、やりがいも少ないと思う。ピアノは弾かれたい。つねに開いている。あるいは、開かれようとしている。人に対して、音楽に対して。
弾き込まれているピアノほど、頻繁な調律が必要というわけですね。
④……×
ピアノさえあればいい。調律の間ずっと傍にいる必要はないし、掃除機をかけたり洗濯機をまわしたりする生活音ぐらいなら支障にはならない。
「料理をしちゃいけないって思い込んでいたお客さんがいたくらいだからなあ」
「どうして、料理まで」
「匂いが聴覚の邪魔をするんじゃないかと思ったそうだ」
なるほど、そういうことは実際にあるかもしれない。
「調律のときは普段通りにしていてくれてかまわないって、先にきちんと知らせておいたほうがいい。お客さんの負担が少しでも減るように。けどまあ、実際、電話の呼び出し音なんかはヘルツが被るからちょっと困るんだよな」
一般家庭ではピアノの調律を予約していても直前にキャンセルされる場合が多いそう。それは、作業中の2時間、静かにしていなければならないと、お客さんがプレッシャーに感じてしまうことも一因になっているのだそうです。調律師はピアノさえそこにあれば仕事はできるようですから、あまり身構える必要はなさそうですね。
⑤……○
明るい音、澄んだ音。華やかな音ってリクエストも多い。要するに好みの問題だ。ピアノにどんな音を求めるのか、それはお客さんの好み次第だ。やわらかい音にしてほしいって言われたとき、半熟卵のやわらかさなのか、あるいは春の風のやわらかさか、鳥の羽のやわらかさか、お客さんとイメージを共有する。そのやわらかさを具現化するのが調律師の仕事なのだ。
奏者と密にコミュニケーションを取りながら、奏者の求める音に調整していくのも大切な仕事のようですね。ピアノコンクールでは、しばしば、奏者が替わるごとに調律師が懸命に作業をしている様子が見られます。また、コンサートホールで演奏するピアニストのなかには、調律師を指名する人もいるようで、奏者と調律師が信頼関係で結ばれているのが伺えます。大きな楽器ゆえに、各自My楽器を持ち込むことが叶わないからこそ、その場にあるピアノを最良のコンディションに合わせられる調律師の仕事がますます重要となるのです。
2016年、又吉直樹の『火花』を押さえ、堂々の第13回本屋大賞を受賞した本作。縁の下の力持ち、黒子に徹する調律師の仕事の魅力に、あなたも触れてみてはいかがでしょうか。
4、恩田陸『蜜蜂と遠雷』~ピアノコンクールの光と影を追った超大作~
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ピアノコンクールの審査員らが求めているのは「スター」であって、「ピアノの上手な若者」ではない。インターネットの登場で、容易に音源や情報が入手できるようになった今、世界レベルは底上げされているのだ。聴く気まんまんの審査員が居眠りするようでは、一般のファンをつなぎとめてプロのピアニストとしてやっていくのは不可能である。
そんな厳しい状況で、審査員の目を一気に覚まさせるような奏者が登場します。作品の舞台は、芳ヶ江国際ピアノコンクール。権威、知名度とも抜群のこのコンテストを制するのは、いったい次の4人のうちのだれでしょうか?
№1 風間塵(16歳、日本)~塵ってDUSTって意味らしい。えっ、ほこり!?~
『推薦状 皆さんにカザマ・ジンをお贈りする。彼は天から我々への「ギフト」である。彼を「体験」すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。劇薬なのだ。中には彼を嫌悪し、拒絶する者もいるだろう。我々は試されている。彼を本物の「ギフト」とするのか、それとも「災厄」にしてしまうのか。ユウジ・フォン=ホフマン』
「ええと、着替えなきゃならないんですか?すみません、父の仕事を手伝ってて、そのまま来ものですから――とにかく手を洗ってきます」
手には庭仕事でもしてきたのような乾いた土。ピアノのオーディションに、手を泥だらけにしてやってきた人間なんて見たことがない。
養蜂家の父の手伝いをしながら世界各地を転々と旅して暮らす風間塵は、コンクールで入賞したらピアノを買ってもらう約束を父としています。そして彼は、自身がピアノを所有していないということが、この場においていかに「異常」なことかということに全く無自覚でした。しかし、近くのコンビニにふらっと行くようなラフさで登場し、さらっと弾いた彼のピアノは、それまでだれも聞いたことのない天上から降ってくるような音楽で、審査員の物議をかもします。また、めったに弟子をとらないことで有名な巨匠・ホフマンの折り紙付きであることに嫉妬する審査員も。才能という言葉に「タレント」と「ギフト」の二種類あるとすれば、彼の持っているのは間違いなく後者のようです。
№2 マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(19歳、アメリカ)~王子様登場!?~
「推薦状がない奴は落としてもいいってことかな」
「その通り。だって、審査員の我々は、まさに『正規の音楽教育』によって口に糊しているわけだからな。レッスン代、音大の授業料……。誰の口も糊してこなかったどこの馬の骨とも知れぬ人間など……」
かつて日本の地方自治体が主催したコンクールで最高点を叩きだしたものの、国内の音楽界にコネがなく、審査員のレッスンを受けたことがなかったために、結局つまらない難癖をつけられて失格になったというのはこの青年だったのか。
けれど、コンクールの音楽を聴いているのは、うるさ方の審査員だけではありません。あまたの聴衆の存在をあなどるなかれ。恵まれた端正なルックスと円満な人格、そして確かな技術で、彼は一気に聴衆をとりこにします。まだコンクールの段階なのに、アンコールの声は鳴りやまず、彼に握手やサインを求めるファンの行列、老若女のみならず、老若男までも。人呼んで「王子様」。
№3 栄伝亜夜(20歳、日本)~元天才少女の復活劇なるか!?~
燃え尽き症候群。二十歳過ぎればただの人。今更、何考えてんのかな。一次で落ちちゃったりしたら笑えるよね。怖くないのかな。私だったら怖くて出られない――。そんな陰口は聞き飽きた。13歳の時、指導者でもある母が急死し、あたしにとっての音楽は消えた。
あの日、ステージ上でくるりと踵を返して消えた天才少女。ドタキャンしたステージはある種の伝説にもなった。ソリストの消えた後始末、違約金の発生、レコード会社のマネージャーが被った苦難。一度ステージをすっぽかしたピアニストには二度とコンサートの依頼など来ない。若い「天才」ピアニストなどいくらでもいる。
亜夜は怖くてたまりませんが、またドタキャンなどすれば、それこそシャレになりません。揶揄する人もいる一方で、彼女のピアノを再び聴きたいと待ち望んでいるファンがいることもたしかでした。色々な意味で話題性のある栄伝亜夜、彼女の復活劇の行く末はいかに。
№4 高島明石(28歳、日本)~最高齢にして規定年齢ギリギリ出場のお父さん~
音大の友人に、生徒の両親の職業でいちばん多い組み合わせは、父親が医者で母親がピアノの先生だ、という話を聞かされてびっくりした。明石は、この業界とその周辺の一部の人々の持つ、歪んだ選民思想に違和感を抱き続けてきた。楽器店店員でフツーのお父さん。音楽のみに生きる孤高の音楽家だけが正しいのか?生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのか?
「高島君の音は優しいね。今、みんなが音楽に求めているのはドラマなの。高島君みたいな人がコンクールに出るって、共感呼ぶよ」
音大を出ても音楽だけで食べていける人は一握りというのは誰もが知る事実です。高島明石もその例に漏れず、今では一介の会社員。けれど、今の自分だからこそ説得力を持って聴かせられる音楽があるという密かな自負もあるのです。普段はファストファッションに身を包み、食費を切り詰めながら、一世一代の夢の舞台に賭けています。
技術面ではほぼ互角の4人。さて、あなたが審査員ならだれを優勝させたいですか?
審査の過程と結果はぜひ、本作の中で確かめてみてください。
ピアノコンクールの舞台裏、各人のピアノに対する情熱と葛藤を描いた本作は、2017年第156回直木賞&第14回本屋大賞W受賞作にして、2019年秋に映画化が決定した話題作。各奏者のピアノのタッチと音色の違いを、言葉だけで巧みに描き分け、まるで実際にコンクール会場に来たような臨場感&高揚感があること間違いなしの小説です。
5、奥泉光『シューマンの指』~青春ロマンミステリーの決定版~
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音大のピアノ科を目指す主人公・里橋優の通う高校に、天才ピアノ少年と噂される生徒が入学して来た――。
永嶺修人のいる一年生のクラスでちょっとした揉め事があった。合唱祭のピアノ伴奏を永嶺にやってくれるよう決めたところが、修人がふいと席を立って教室を出てしまったという。担任が、永嶺は本物の音楽家なのであって、そういう人に演奏を強要するべきではないと発言した。本物の音楽家だと、なぜ合唱祭で伴奏しないのか?プロ野球選手が草野球に出ないようなものだ、という見方がある一方で、修人のピアノ練習には厳格なメニューが決まっていて、余計なことはできなのだとの推測もあった。きちんと調律したピアノでなければ嫌なのだ、音楽事務所との契約上、人前で勝手に弾くことは許されないのだと、穿った見方をする者もあった。けれども、本当のところは誰にも分からなかった。
どこかもったいぶったような修人。修人の演奏を聴く機会はなかなかめぐってきません。彼はあるとき、優に、自身が人前でそうそう演奏しない理由をこのように話します。
「誰かが実際に演奏する。どんな名手だってミスタッチする。それが現実で、だから不完全なものになるしかない。演奏なんかしなくたって、楽譜を開いて読めばそれだけで、音楽はすでにそこに完璧な形で存在している。数学でいえば、三角形はあくまでイデアであって、紙に書かれた三角形は必ず不完全になるというわけだ」
音大を目指して、毎日少しでも完璧な演奏に近づこうとしている優は、この意見に猛反発を覚えます。
「演奏しないのが一番いいなんてのは、ただの屁理屈だ。演奏しなくて、どこに音楽があるっていうんだ。演奏しないのが一番なんていうのは、恐いからだ。弾いて失敗するのが恐いからだ。そんなのはただ甘えているだけの話だ」
これに対して、修人は意味深長な発言をしました。
「僕はね、自分の指が駄目になるんじゃないかと思うんだ」
「なんでそう思うの?」と私は訊いた。
「シューマンのことを考えていたらそんな気がしてきた。シューマンは自分が指を駄目にしたんで、うんと難しい曲を書いて、運命に復讐しようとしたって、本当だと思う?」
修人が敬愛する作曲家・シューマンは、元ピアニストでもあったのですが、指の麻痺によってそのキャリアを断念しているのでした。しかし、シューマンは逆説的にも、指を損なった後に、数々の名曲を後世に残すようになったのです。
修人自らの予言めいた発言の通り、修人は彼に片恋する女性にナイフを向けられ、指を一本落とす事故に見舞われ、演奏家の道を断たれることとなりました。そして、いつしか優も修人と疎遠になっていました。
しかし、それから四半世紀過ぎたある日、優のもとに一通の奇妙な手紙が届いたのです。それは高校の元同級生からのもので、ドイツで修人がピアニストとして復帰しているのを目撃したというものでした。優は、にわかには信じられません。真実はいったい次のアからエのうちのどれなのでしょうか。
ア、単なる他人の空似で、そそっかしい元同級生が見間違えただけだった。
イ、高度な手術が成功し、修人の義指は本物の指さながら動かすことが出来るようになった。
ウ、修人は、指四本でも五本と違わぬような運指ができるようひそかに猛特訓していた。
エ、指を大怪我したという事故自体が真っ赤な嘘。修人は指を失ってなどいなかった。
答えはエ。では何ために、修人はこんな嘘をでっちあげる必要があったというのでしょうか。その真相はぜひ本作を熟読してください。
2010年「このミステリーがすごい!」第5位にランクインした本作は、作曲家であると同時にピアニストでもあったシューマンと、彼を敬愛する天才ピアニストをめぐるロマンミステリー。クラシック音楽に造形の深い奥泉光が入念に取材と下調べを重ねたことをうかがわせる大作で、本格的な音楽小説&ミステリーが読みたい読者を満足させること間違いなしの一冊です。
おわりに
ピアノがモチーフの小説と一口に言っても、ピアニストの魅力や葛藤を描いたものから、コンクールをテーマにしたもの、裏方の調律師に光を当てたものまでさまざまです。ピアノを弾く人はもちろん、ピアノを弾かない人も、読めばきっとピアノに興味が出てくることうけあいです。
初出:P+D MAGAZINE(2019/06/17)