梅雨にこそ読みたい、雨が印象的な小説コレクション。

登場人物の涙から、乾いた大地を潤す癒しまで、私たちにさまざまなイメージを与える“雨”。しとしとと静かに降る雨の音をBGMに読みたくなるような、雨が印象的な作品の数々を紹介します。

今年も梅雨入りが発表され、本格的な雨のシーズンに突入しました。

この季節には当たり前の“雨”ですが、日本には降り方や季節によって異なる呼び方が多く存在します。たとえば急に降り出す雨のことを「驟雨しゅうう」、ほんの少しだけ降る雨のことを「涙雨なみだあめ」というように、長期間にわたって雨が降り続く日本ではその違いを細かく表現しています。

また、雨は登場人物の涙や、悲しみを表すものとして、これまでさまざまな小説で描かれてきました。今回はそんな雨が印象的に描かれている作品をご紹介します。しとしとと静かに降る雨の音をBGMに読めば、作品の世界観を一層色濃く味わえるはず。

 

雨の日に出会った、ふたりの物語。/『小説 言の葉の庭』

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【あらすじ】
靴職人を夢見る高校生、孝雄。彼には「雨の朝は学校をさぼり、公園の東屋で靴のスケッチを描く」という習慣があった。ある雨の朝、孝雄は公園で謎めいた女性、雪野と出会う。

映画『君の名は。』をはじめ、美しく、緻密な風景描写が特徴の作品を手がけたことでも知られる新海誠。2013年に公開されたアニメーション映画『言の葉の庭』で描かれた、雨の日に出会った男女による、ひと夏の物語は多くの人に感動を与えました。

そんな圧倒的な支持を受けた作品を、監督自らが小説化した『小説 言の葉の庭』では、映像作品と同じく雨の描写が色彩豊かにつづられています。

さっきから雨はずっと変わらぬ強さで降り続いている。いろいろな形の松の木をじっと見ていると、それらが巨大な野菜とか未知の動物のシルエットみたいに見えてくる。灰色一色の空は、誰かが東京にぴったりと蓋をしたみたい。池に次々と広がる波紋はひっきりなしのお喋りのよう。屋根を叩く雨音は下手くそな木琴みたい。リズムが取れそうで取れなくて。

『小説 言の葉の庭』において印象的なのは、雨をモチーフにした和歌が登場する点。ふたりが初めて出会った場面で、雪野は孝雄に「前に会ったことがあるかもしれない」とほのめかしつつ、和歌を口にして立ち去ります。

なるかみの すこしとよみて さしくもり あめもふらんか きみをとどめん

【現代語訳】
雷が少し響いて、空が曇る。雨も降ってくれないだろうか。そうすればあなたはここに留まってくれるかもしれないのに。

特に示し合わせたわけでもなく、雨の日に同じ場所で会うようになったふたり。孝雄はいつしか、雨が降るのを心のどこかで願っていることに気がつきます。お互いのことを知るにつれ、次第に惹かれあっていく孝雄と雪野。そんな気持ちとは裏腹に梅雨の季節は終わりを告げます。

後に孝雄は、雪野が口にした和歌に対する返歌を暗唱します。

なるかみの すこしとよみて ふらずとも われはとまらん いもしとどめば

【現代語訳】
雨なんか降らなくても、私はここに留まります。あなたがそう望むのなら。

雨を理由に引きとめようとした女性に対し、「あなたがそう望むのなら」と、雨が降らなくてもそこに留まる意志を示した歌は、まさに孝雄と雪野の境遇と重なります。雨の季節にぴったりな、どこか切ないラブストーリーを読めば、雨も少し好きになるかもしれません。

 

雨の音で奇妙な心地に誘われる。/観画談かんがだん

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【あらすじ】
苦学生で、周囲から「大器晩成先生」とあだ名をつけられた青年がいた。彼は出世を目指し、勉学に励んだ結果、神経を患う。しばらく都会を離れ、各地を転々としていた彼は、偶然にもある寺にたどり着く。しかし大雨に見舞われ、川が決壊する恐れから高台の草庵に避難することに……。

雨の降る夜、雨音が気になってなかなか眠れなかった……ということもありますよね。幸田露伴の作品、『観画談』にも、そのような場面が登場します。

大噐氏は定められた室へ引取った。堅い綿の夜具は与えられた。所在なさの身を直ぐにその中に横たえて、枕許の洋燈ランプの心を小さくして寝たが、何となくつき兼ねた。茶の間の広いところに薄暗い洋燈、何だかめいめいの影法師が顧視かえりみらるる様な心地のする寂しい室内の雨音の聞える中で寒素な食事をもくもくとして取った光景が眼に浮んで来て、自分が何だか今までの自分でない、別の世界の別の自分になったような気がして、まさかに死んで別の天地に入ったのだとは思わないが、どうも今までに覚えぬ妙な気がした。しかし、何の、下らないと思い返して眠ろうとしたけれども、やはり眠に落ちない。雨は恐ろしく降っている。あたかも太古から尽未来際じんみらいざいまで大きな河の流が流れ通しているように雨は降り通していて、自分の生涯の中の或日に雨が降っているのではなくて、常住不断じょうじゅうふだんの雨が降り通している中に自分の短い生涯がちょっと挿まれているものででもあるように降っている。

都会を離れ、あちこちをめぐるうちに大雨に見舞われた晩成先生。行き着いた寺で住職から部屋に案内されるものの、激しい雨音から、なかなか寝付くことができません。「別の世界の別の自分になったような気」、「雨が降り通している中に自分の短い生涯がちょっと挿まれている」という表現からも、床に入りながらも雨音に心を乱されていることが伝わってきます。

晩成先生はこの後、川の決壊を恐れた住職から高台の草庵へ避難するよう呼びかけられます。彼が避難した先で遭遇したのは、床の間に飾られている不思議な風景画でした。あまりにも細かい描写に魅せられるうち、なんと風景画に描かれた人物から声をかけられた晩成先生。つい返事を返し、画に手を伸ばした瞬間、暴風によって現実に引き戻されるのでした。

不思議な風景画と雨音の描写をもとに、現実と虚構の間をあやふやなものにした『観画談』。その不思議な温度感を、味わってみてはいかがでしょうか。

 

雨が惑わせる、騒動の真実/『新釈 走れメロス 他四篇』

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【あらすじ】
無二の親友との約束を破り、京都の町をうら走る『走れメロス』、文化祭に公開した映画サークルの作品をめぐる『藪の中』、アパートにこもり、小説を書き続ける大学生の姿を描いた『山月記』……誰もが知る近代日本文学の名作を、舞台を現代の京都に置き換えて新釈した短編集。

京都を舞台にしたユニークな作風と、個性豊かなキャラクター描写が人気の森見登美彦。さまざまな近代文学をパロディ化した短編集『新釈走れメロス 他四篇』に収録された『藪の中』は、タイトル通り芥川龍之介の『藪の中』をモチーフとしています。映画サークル内で自主制作した映画「屋上」の監督を務めた鵜山、主演の渡邉、菜穂子の視点から制作をめぐるエピソードを語るも、少しずつ意見が食い違う……という点が元ネタと共通している作品です。

3人は同じ映画サークルのメンバーでしたが、主演はかつての恋人同士、現在は鵜山と菜穂子が付き合っているという状況にあります。元恋人同士を主演に恋愛映画を撮ることについて、当事者たちが問題ないなら構わないという渡邉、恋人の鵜山のために仕方なく出演した菜穂子、映画の制作は彼女を魅力的に撮るための口実に過ぎない鵜山。各々の思いが交錯しながら、撮影はクライマックスのシーンに差し掛かります。

鵜山は本物の虹の下で、ラストシーンを撮りたいと願っていた。しかし虹が出てくれなかった。それは当然のことだ。いくら雨が降ったところで、狙い通りに虹が出るわけがない。だいたい、それがきちんと映像に残せるかどうかも心許こころもとない。けれども鵜山は粘った。

どうしても虹をラストシーンに収めたい鵜山と、待つことに限界を感じた菜穂子。ふたりは衝突するものの、鵜山の執念が勝ったのか、虹が表れます。

彼女は小雨の中、傘もささずに、夢を見るようにゆっくりと歩いていた。黒い髪に散っている水滴が硝子玉がらすだまのように見えた。まるで映画のようだった。それを俺は見ていた。彼女は古い松の間をすり抜け、やわらかい小雨のカーテンをくぐり、そのまま時と空間を越え、秋の雨に濡れる屋上へやってきて、俺のかたわらに立つ。

この『藪の中』は、菜穂子という女性をめぐる男たちの物語です。菜穂子は勝手なことを言って鵜山を困らせたり、それをたしなめる渡邉をからかう自由奔放な性格。それでも彼女にふたりが惚れたのは、雨という要素がもたらしたような幻想的な美しさがあったからなのかもしれません。

(合わせて読みたい:
森見登美彦名言10選。『夜は短し歩けよ乙女』など
森見登美彦さん、10周年小説『夜行』を語る。

 

先生と過ごす時間は、雨が降っていた。/『ナラタージュ』

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【あらすじ】
大学2年生の泉は、母校の演劇部の顧問、葉山から誘われ、母校の卒業公演に参加することに。かつて泉は葉山に恋愛感情を抱いていたものの、当時は教師と生徒という立場から気持ちを隠し続けていた。卒業公演に向けた練習を重ねるうち、泉は葉山への思いを募らせていく……。

2017年に実写映画化された島本理生の代表作、『ナラタージュ』では、雨が印象的に描かれています。

主人公、泉が後に恋心を抱く教師、葉山と出会うシーンもそのひとつ。ふたりの物語は、外に雨が降る静かな廊下から始まります。

三年生の新学期が始まる前日の日曜、私は部活の練習のために午後から学校へ来ていた。集合時間が迫っていたので、できるだけ速足で廊下を歩いていた。朝から雨が降っていて窓ガラスの上を絶え間なく水滴が流れていた。明かりのついていない校内は昼間とはいえ、とても薄暗かった。
そのとき廊下の反対側から先生らしき人影がやって来るのが見えた。私は歩く速度を緩めて、軽く会釈をした。相手も一瞬だけこちらを見て会釈を返した。

一度は高校の卒業をきっかけに疎遠になった泉と葉山でしたが、卒業公演の練習によって再び距離を縮めます。ある日、葉山から「一緒にどこかへ出掛けようか」と声をかけられた泉は、ふたりで美術館に出かけますが、ここでも雨が降り出します。

美術館を出ると、まだ外は晴れているものの、遠くの空に厚い雲が広がっているのが見えた。なんとなく不安を感じながら公園の外に出て、近くの喫茶店で休んでいたら、どんどん外の世界は日が陰ってきた。アイスティーを飲み終えてから店を出ると、駅に向かっている途中で雨が降り始めた。近くのコンビニでビニール傘を買い、二人で傘に入った。
葉山先生の左側に立つと、彼の左手に自分の右手が触れた。好きな男の人と歩くときには相手の心臓に近いほうを歩くと良いと、なにかの雑誌に書いてあったことをふいに思い出した。

葉山の横を歩く泉は、雑誌に書いてあった「好きな男の人と歩くとき」のことをふいに思い出しますが、これは突然の雨で同じ傘に入ったことから。それまでも一緒に出かけていたはずが、雨というハプニングであらためて相手との距離を意識するきっかけになっているのでしょう。

この出来事の後、泉は葉山と演劇の練習以外で会わないことを伝えます。出会いだけでなく、最後の思い出作りにも雨を降らせることで、ふたりの儚い関係を強く読者に印象付けています。

『ナラタージュ』は、実写映画でも雨が効果的に使われています。物語そのものはもちろん、どんなシーンで“雨が降っているのか“に注目するのも新たな楽しみ方になるはずです。

(合わせて読みたい:
島本理生の代表作『ナラタージュ』が映画化。作品に共通する魅力に迫る。

 

心に染み渡る、静かな感動。/『いま、会いにゆきます』

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【あらすじ】
最愛の妻、澪を失って1年。一人息子の佑司と暮らしていた巧は、ある日、散歩をしていた森で亡くなったはずの澪に出会う。喜ぶふたりだったが、澪は過去の記憶を全て失っていた。

2004年に実写映画が公開、海外でもリメイクされた市川拓司の作品、『いま、会いにゆきます』。

妻を亡くしてから、息子・佑司と慎ましく生きていた主人公、巧。喪失感を抱えていた彼には、ひとつ気がかりなことがありました。それは、亡くなる前に澪が残していた不思議な言葉。

「またこの雨の季節になったら、二人がどんなふうに暮らしているのか、きっと確かめに戻ってくるから」

澪はその約束を守るかのように、雨の日に二人の前に姿を現します。しかし、彼女は自分の名前すらも忘れていました。そんな澪を連れて帰った巧は、再び三人で暮らすことを提案するのでした。

記憶を失った澪のために、毎晩寝る前に出会いの思い出を語る巧。澪は次第に巧と佑司のことを愛しく思い、心を通わせていきます。その一方で、澪は雨の季節の終わりとともに自分が二人の前から再びいなくなることを知ります。

過去の記憶を失ってはいるものの、彼らとの暮らしを経て、新たな思い出を作っていく澪。なぜ澪は雨の季節に再び帰ってきたのか。全てが明らかになったとき、静かな感動に包まれるはず。雨の季節が舞台のこの物語は、梅雨の季節に読めば一層世界観に浸ることができるでしょう。

 

長い雨の季節。雨が印象的な小説を読んで、世界観に浸ろう。

じっとりとした暗い雨、優しく降る恵みの雨と、雨は登場人物の心境や場面によってその印象を自由に変えるもの。そう考えると、これまでの雨のイメージも少し変わるようにも思えませんか?

雨の季節は、雨が印象的な小説の情景をイメージするのにはぴったりです。ぜひ、雨の日に読んで、その世界観にぐっと浸ってみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2018/06/18)

【著者インタビュー】平岡陽明『イシマル書房 編集部』
今月のイチオシ本【歴史・時代小説】