【原作エピソード付き】シニカルだけど心に残る、スヌーピーと仲間たちの名言集

2020年は、『ピーナッツ』のコミック生誕から70周年のアニバーサリーイヤーです。今回は50年近くにわたって続いたコミックの中から、スヌーピーとその仲間たちによる、シニカルだけれど心に残る“名言”を紹介します。

スヌーピーとその仲間たちの姿を描いたチャールズ・M・シュルツによる世界的コミック、『ピーナッツ(PEANUTS)』。アメリカの新聞7紙でその連載が始まったのは、1950年10月2日のことでした。2020年は『ピーナッツ』のコミック生誕から70周年のアニバーサリーイヤーにあたり、東京・町田にスヌーピーミュージアムが再オープンしたり、「スヌーピータイムカプセル展」(全国の百貨店で順次開催)が始まるなど、さまざまなイベントが盛り上がりを見せています。

そんな『ピーナッツ』の魅力は、スヌーピーやウッドストックといったキャラクターの可愛らしさだけではありません。スヌーピーの仲間たちがコミックスの中で発する台詞の多くはむしろ、苦悩に満ちていて、シニカルで、哲学的なのです。

今回は、そんな『ピーナッツ』のシニカルな魅力が感じられる名言を、原作のエピソードの解説を交えながら 紹介します。

1. “人生に向かい合うコツは、ひとつの心配事を別の心配事にすり替えること”

心配事
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4309629164/

このフレーズは、スヌーピーの飼い主、チャーリー・ブラウンが夜中にひとりつぶやく台詞です。チャーリー・ブラウンは、心配性でちょっぴりドジだけれど、やさしい心を持った男の子として描かれています。

チャーリーには、サリーという妹がいます。サリーは理屈っぽく生意気で、学校の勉強は、チャーリーに似てあまりできないキャラクター。1981年9月に数日間にわたって掲載されたのが、そんな彼女が自分のロッカーの番号を忘れてしまう、というエピソードです。

ロッカーの番号をたったいま思い出した! ええと……また忘れちゃった!(サリー)

次に番号を思い出したときは、それを書き留めておくんだね(チャーリー)

次に思い出したとき、私もう大学に入ってると思うな(サリー)

サリーのチャーミングさが光るオチですが、この日の翌日の漫画には、サリーが夜中にチャーリーを叩き起こす様子が描かれています。

お兄ちゃん聞いて、心配事がなくなったの! 私のロッカー、番号じゃなくって鍵で開くんだった……たったいまその鍵を見つけたの!(サリー)

その鍵、去年の春に返すはずだったはずだよ(チャーリー)

本当!? 大変、殺されちゃう!(サリー)

また新たな悩みを得てしまったサリー。そんなサリーが去ったあと、チャーリーがひとりベッドの中でつぶやくのが、

人生に向かい合うコツは、ひとつの心配事を別の心配事にすり替えることだな……

という冒頭の台詞です(『完全版 ピーナッツ全集 16』より)。

チャーリー・ブラウンは、妹のサリーはもちろん、夜中に彼のベッドに入ってきた犬のスヌーピーさえも決して追い出さず、“さみしかったんだろうね”と寄り添ってあげるキャラクターです(スヌーピーは、実は夜食がほしかっただけなのですが)。
“ひとつの心配事を別の心配事にすり替える”ことが生きるコツだというのは、想像力が豊かで、いつも心配事に悩まされている人には特に共感できる言葉なのではないでしょうか。

2. “配られたカードで勝負するっきゃないのさ……それがどういう意味であれ”

10巻
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4047043966/

スヌーピーはご存じの通りビーグル犬ですが、その趣味は小説の執筆から変装、スポーツ、ビーグル・スカウト(ボーイスカウトの犬版)と実に多岐にわたります。

“ときどき私、どうしてあなたが犬なんかでいられるんだろうって思う”。そんな多才なスヌーピーに皮肉ともとれる言葉をかけるのが、チャーリー・ブラウンの同級生のひとり、ルーシー。ルーシーは「精神分析スタンド」という相談室を自作して友人たちからカウンセラーとしての相談料をとるなど、ちゃっかりしたキャラクターで知られています。そんなルーシーの言葉にスヌーピーは、

配られたカードで勝負するっきゃないのさ……それがどういう意味であれ

と返すのです(『A peanuts book featuring Snoopy (10)』より)。
現実的なルーシーは、空想癖のあるスヌーピーやルーシーの弟・ライナスをしばしば馬鹿にしたり、けなしたりします。しかし、『ピーナッツ』の作者であるチャールズ・M・シュルツは、空想をすること、現実逃避をすることについてインタビューの中でこんな風に語っています。

スヌーピーと同じように想像の世界に楽しみを求めたり、逃避したりする人は多いでしょう。その空想癖が、彼に生きる勇気を与えているのだと、わたしは常々思っています。生きるということは、犬にだってけっして楽なことではないのですから。
──『スヌーピーの50年 世界中が愛したコミック「ピーナッツ」』(チャールズ・M・シュルツ)より

出典:https://www.amazon.co.jp/dp/402261434X/

自分の立場や性格がもっと〇〇だったら──と考え、悔しい思いをしたことのある人は多いはず。自分を否定してしまいそうになったとき、“配られたカード”を恨むのではなく、趣味や空想の世界に羽を伸ばすことが自分を救ってくれるのだとスヌーピーは私たちに教えてくれます。

3.“1日は長いし、湖は大きい” “それに、人生は短い”

スヌーピーとビーグルスカウト
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4047916102/

アメリカの学校の夏休みは長く、6月ごろから約70~80日間も続きます。そんな長い夏休みに恒例行事のひとつとして行われるのが、さまざまな有志の団体や市、大学などが主催する「サマーキャンプ」です。このサマーキャンプへの参加を楽しみにしている子どもも多いようですが、スヌーピーの登場人物たちはその反対。内省的で人見知りなキャラクターが多いスヌーピーの仲間たちは、大人によってサマーキャンプに連れて行かれることをいつも嫌がっています。

ほんとは来たくないのに毎年サマーキャンプに来ることになっちゃうのはどうしてだろう?(ライナス)

都会っ子の運命みたいなもんだと思うな。……都市再開発ってやつだよ(チャーリー)

……という会話が交わされるほどですが、サマーキャンプは子どもたちにとって数少ない、学校以外の出会いの場でもありました。そこでお気に入りの男の子を見つけようと奮闘するのが、チャーリー・ブラウンの同級生の女の子、マーシーとペパーミント・パティです。

今年は湖を回って男の子のキャンプを訪ねますか、先輩?(マーシー)

さあ……ここにいて男の子たちが訪ねてくるのを待つべきかもね(ペパーミント・パティ)

1日は長いし、湖は大きいですもんね(マーシー)

1972年6月に掲載された漫画の中で、ふたりはこんな会話をしています。“1日は長いし、湖は大きい”。そんな理由で他のキャンプを訪ねるのを一度はやめそうになるふたりですが、すぐにペパーミント・パティが、

それに、人生は短い。……行きましょう!

と声をかけて、意を決して走り出すのです(『スヌーピーとビーグル・スカウトの夏休み』より)。
マーシーとペパーミント・パティは、引きこもりがちで内向的なキャラクターが大多数の『ピーナッツ』の中で異彩を放っています。ふたりはやがてチャーリー・ブラウンに思いを寄せるようになるのですが、そのアプローチ方法も大胆でストレート。チャーリーはふたりから「会いたい」と電話がかかってくるたびに、普段は失いがちな自信を取り戻しています。

なにかマイナスなことを考えそうになったとき、前向きでアグレッシブなペパーミント・パティにならって“それに、人生は短い”とつけ加えてみると、思わず体が動き出すかもしれません。

4.“ぼくは何もしたくないよ、ただごろごろしてたいんだ”

90年
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041018501/

こちらは1995年6月、新聞のデイリー版に掲載されたエピソードの中のひとコマ。スポーツ好きのルーシーが縄跳びをしているときに、弟のリランがそばを通りかかります。

わかる? ロープをぐるぐる回して上下に跳ぶの(ルーシー)

どうしてそんなことしたいと思わなきゃいけないの?(リラン)

楽しいから! 何かしてる気になるでしょ(ルーシー)

どうして何かしなきゃいけないの? ぼくは何もしたくないよ、ただごろごろしてたいんだ……(リラン)

このリランの切り返しには、クスッと笑いつつも共感する人が多いのでは。リランはルーシーとライナスの弟にあたる末っ子。学校に行くのが大嫌いでいつもベッドの下に隠れている男の子です。ライナスやリランは、勝ち気なルーシーに“どうしてじっとしてるの?”としばしば文句を言われますが、“どうして何かしなきゃいけないの?”と毅然とやり返します。

ルーシーは“そんなの生きてることにならない! 一生を無駄にしちゃうよ!”とリランを否定しますが、最後のコマで、寝ているスヌーピーがこう言うのです。

こっち見ないでね。ぼく、ただごろごろしてるだけだから

必ずしも、活動的に動き回っていることだけが生きていることではない──。そんなチャールズ・M・シュルツの人生哲学が垣間見られるようなエピソードです。

5.“試合には勝てなくても、幸せな選手はいるんだ”

悩んだときに元気が出る
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前述したように、時代を経て、マーシーはチャーリー・ブラウンに恋をします。チャーリーは野球チームの監督をしており、ピッチャーを兼任しているのですが、マーシーはその野球チームのライトを担っています。ところが、ある日の試合の中で、マーシーはライトのポジションにつかずにずっとチャーリーの横に立っていました。

ライトに球がきたらどうするのさ?

そう尋ねるチャーリーに、マーシーはこう答えます。

いいでしょう? あなたのそばに立ってるだけで幸せなんだから

その言葉を聞いてチャーリーがひとりつぶやくのが、

試合には勝てなくても、幸せな選手はいるんだ……

という名台詞です(『悩んだときに元気が出るスヌーピー』より)。

実は、チャーリーの野球チームはほとんど一度も野球の試合に勝ったことがない、自他ともに認める“世界最弱小チーム”。それでも大好きな野球をし続けるチャーリーは、マーシーのこの台詞に自分自身の気持ちを重ねているようにも思えます。
伝記作家のデイヴィッド・マイケリスは、チャールズ・M・シュルツの自伝の中で、チャーリー・ブラウンというキャラクターについてこのように綴っています。

読者は「お月さまのようにまん丸顔の、誰にも愛されず理解されない、かわいそうな」チャーリー・ブラウンに──いくら頑張っても勝てない野球試合の最中でも尊厳を保ち、バカにされても黙ってじっと耐えぬく彼の姿に──自分を重ね合わせる。チャーリー・ブラウンを見ていると、世界の中で、傷つきやすく、小さくてひとりぼっちな存在であるということ、人間であるということ──小さいと同時に大きな存在でもあるというのがどういうことかがあらためてわかってくる。
──『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』より

チャールズ・M・シュルツは、『ピーナッツ』の連載開始以前、その前身である『リル・フォークス』というタイトルの漫画を地元の新聞 (セントポール・パイオニア・プレス紙)で連載していました。『リル・フォークス』は“小さき人々”という意味。“取るに足らないもの、つまらないもの”の意味の『ピーナッツ』というタイトルは漫画のエージェントであったユナイテッド・フィーチャー社が勝手につけたものとして知られており、チャールズ自身はこのタイトルに最後まで否定的だった、とさまざまなインタビューの中で語っています。

このエピソードからも、チャールズ・M・シュルツが描き続けたのは“小さいと同時に大きな存在でもある”人々であった、ということがよく伝わってきます。そして、そんな人々が活躍する世界の中では、“試合に勝つ”ことが唯一の価値ではないのです。

おわりに

『ピーナッツ』の連載は、1950年から50年近くにわたって続きました。1999年、結腸癌を患ってこれ以上の執筆が難しいと判断した77歳のチャールズ・M・シュルツは、12月14日に引退を宣言します。『ピーナッツ』の最終回(2000年1月3日掲載)は、タイプライターに向かい合うスヌーピーのイラストというシンプルなひとコマだけの漫画でした。そのイラストとともに綴られたのは、こんなメッセージでした。

編集者の方々の献身、そしてファンの方々が示された私への応援と愛情とに、私は長年にわたって感謝してきました。チャーリー・ブラウン、スヌーピー、ライナス、ルーシー……いつまでも私の心に生きています

チャーリー・ブラウンやスヌーピーたちの言葉は、チャールズ・M・シュルツが綴ったのと同じように、私たち読者の心にも長く残り続けています。

今回ご紹介したように、個性豊かな『ピーナッツ』のキャラクターたちが生み出す言葉はどれも、ちょっぴりシニカルで哲学的。日常生活に疲れたときにはふっと思い返して、「そんな考え方もアリだよな」とひと息ついてみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2020/02/27)

芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【番外編(2)】村上春樹の想い出 同じ時期に同じ風景を見ていた
◇自著を語る◇ 柳 広司『太平洋食堂』