理系ならではの視点を絡めた恋愛小説が人気 瀧羽麻子おすすめ4選

2007年、『うさぎパン』で第2回ダ・ヴィンチ文学賞を受賞した瀧羽麻子は、高校生や大学生の恋愛や友情に、理系ネタを絡めた青春小説を発表しています。そんな著者のおすすめ小説4選を紹介します。

『左京区七夕通東入ル』気になる相手は京大理学部の数学バカ


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 花は、京都大学文学部4回生。付き合いで行った合コンで、数学科の龍彦たつひこと出会います。龍彦は、異性にもてはやされる分かりやすい要素があるわけではなく、合コンに参加した女友達からは、「ああいうつかみどころのない男はやめた方がいい」と言われますが、花は気になって仕方ありません。
 今どき携帯電話を持たない龍彦へアプローチするのは至難の業でしたが、花は何とか接点を作り、龍彦が住む学生寮の面々とのたこ焼きパーティーに混ぜてもらうことに。そこでの龍彦の会話に面くらいます。

「タコの足1本に、吸盤が100ついてる。そしたら1匹で800やろ? てことは今、おれらの身体の中に吸盤が200個ずつ入ってることになるやんな」
「気持ち悪いこと言わんといてや」
「ていうか、だからなんやねん! 何個でもええやん!」
「だって気になるやろ」
「どうしてなんでもかんでも数えようとするんかなあ」

 龍彦にとって数字はコミュニケーションツールであると同時に、遊び道具。数字をみるや、それが居酒屋の品書きであっても、掛けたり足したりしなければ済まない龍彦のことを、数学が苦手な花は、「癖を越えて、軽く病気では?」と心配します。
 実際、龍彦は病気でした。数学にとりつかれるという病です。龍彦は、寝食を忘れて研究に没頭し、病院に運び込まれていたのですが、花には一切知らされておらず、寂しい思いをします。龍彦の研究室の先輩で、卒業後は祇園のバーで働いているという異色の経歴を持つ美園みそのは、花に言います。

「龍彦は集中するとなにも食べなくなるし、一切眠らなくなるの。それも1日や2日じゃないんだよ。数学の世界のことを考え始めたら、向こうの世界からしばらく帰ってこられなくなっちゃうんだよね。龍彦と付き合うのは難しいと思う。それなりの覚悟が必要になるよ。壁を作るところがあるでしょう? 数学バカってほんとにタチが悪いから。普通の人はついていけないと思う」

 美園はさらに、「数学は計算ではなく、哲学だ」と言いますが、花には共感できない世界。龍彦にふさわしいのは、自分ではなく美園ではないかと煩悶し、また、情熱を注げる専門分野を持つ人への嫉妬と羨望の念を持ちます。こちらの世界より、向こうの世界にいる時間の多い龍彦は、花にとって距離が縮まった実感のしない相手。そんな時、花をみかねた男友達からのアプローチを受け、花の心は揺れ動きます。
 女子大生の、切なくもどかしい恋を描いた1冊です。

『左京区恋月橋渡ル』理系男子、遅すぎた初恋の相手は正真正銘の「姫」


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 山根は、理学研究科の男子大学院生。中学生のとき、水素結合の美しさに魅せられて化学の世界に入り、爆薬による爆発エネルギーを専門としています。唯一の趣味は花火で、むさくるしい学生寮での生活に女っ気は皆無。恋愛経験もなく、女子はよく分からない、というのが山根の本音でした。
 そんな山根はある日、下鴨神社で雨宿りしていた美女に寮の傘を貸します。

 感情や心の動きといった精神的な世界は、科学物質とは無縁のようにとらえられがちだけど、実はそうでもないという。たとえば心の病も、化学物質の過剰反応が原因となっている症例があるらしい。病気とはいえないまでも、以来、山根の体内でなにやらおかしな物質が分泌されているのは間違いない。

 それが、恋であることにようやく気づいた山根。彼女が傘に書かれていた学生寮の名前を頼りに傘を返しに来たことから、2人はデートを重ねることになります。

(デート中)わけもなく息苦しくなることが、今日は何度かあった。和やかな時間の中で、なぜか時折、急に息が詰まったり胸の鼓動が速まったりするのだ。明確な理由があれば、まだわかる。たとえば別れるのがさびしいとか、美月さん(彼女)が退屈そうであせったとか、会話がうまくはずまなくてつらかったとか。しかし全部がそうして説明できるとは限らない。なんのきっかけもなくぎゅっと心臓をしめつけられることも、ままあった。

 初恋に戸惑う山根の心情をうまく言い表した箇所です。
 自転車も花火も、危ないからと親に禁止されているという美月は、26歳で門限がある生粋の箱入り娘。山根は、偶然見に行った葵祭の王朝行列のなかに、斎王代さいおうだいの恰好をした美月を見つけます。葵祭は、京都3大祭のひとつで、十二単を着て姫役になる斎王代は、京都の由緒ある家のお嬢さんが選ばれるのでした。あわててニュースを調べた山根は、美月が京都の歴史ある寺院の一人娘であることを初めて知ります。美月への恋心が頂点に達していた山根は、自分が僧侶になる修行をして婿養子に入ると言うのですが、美月の返答は「気持ちはうれしいです。でも、大丈夫です」というものでした。美月の言葉の真意を測りかねた山根は、寮の友人である龍彦の彼女・花に相談します。

「びっくりしたとか、遠慮したとか、それで断ったのなら、まだ望みはあると思うの。でも、どうもそれだけじゃないような気がする」
 やっぱり花は鋭い。(山根の)胸の中に、ひとつの化合物が生成されていた。花の言葉を触媒にして、散らばっていた灰色の分子がするすると結合したのだ。プレパラートにして顕微鏡でのぞけば、得体のしれない憂鬱の原因が、レンズの向こうに映し出されている気がした。美月さんが、本当に「遠慮」していたのなら、こんなに悩む必要もないと山根も思う。けれど、大丈夫です、となめらかに言いきったのは、どちらかといえば単純な辞退のように、聞こえた。

 美月が「辞退」せねばならない、何か事情があるのでしょうか。
 理系男子の、不器用でいじらしい初恋を描く、ピュアな青春小説です。

『左京区桃栗坂上ル』憧れの「お兄ちゃん」と同じ京大に合格したい!


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 璃子りこは、父と母と3人家族。父の仕事の都合で転校を繰り返し、今は大阪の名門女子高に通っています。幼少期、関西に住んでいた璃子は、幼馴染だった果菜とその兄・みのると再会します。かつて「お兄ちゃん」と慕っていた彼は、今では京大農学部に通っていました。璃子は実と同じ大学、学部に行く決意をし、家庭教師をしてもらうことになります。

 どうして、どうして、と繰り返しながら、璃子は答えを見つけるまで突き進む。そうなってるんやからしゃあないな、と僕なら割り切ってしまうところでも、決して後にはひかず、粘り強く考え抜く。どうして、は古文でも発動された。
「どうしてこんなふうに活用するの?」
 記憶力は、悪くない。一方で、理解できないものをうのみにすることに、璃子はどうしても抵抗を感じるらしい。
「そう決まってるんや。太陽が東から昇って西に沈むとか、昆虫の足は6本とか、そういうのとおなじやって。なんで7本ないねん、って誰もつっこまへんやろ? 理屈やないねん」
「虫は人間が作ったわけじゃないから仕方ないよ。でも文法は人間が作ったものでしょ?」

 璃子から鋭い質問を受け、しどろもどろになる実ですが、璃子は研究者の素質があるとも思います。
 実の指導もあり、大学に合格した璃子。生き物が好きで、動物多様性研究室に入った璃子は、研究室で飼われている猛獣のワニ・ももちゃんを散歩させている途中、逃がしてしまって大わらわ。一方、植物バイオ研究室に所属する実は、遺伝子組み換え技術を使った薬の開発をテーマにしていますが、能力も情熱も自分には敵わない先輩の存在に、このまま研究を続けることに迷いが生じ始めます。また、璃子と実のじれったくも応援したくなる恋の進展も。
 著者が京都大学出身ということもあり、「左京区」シリーズは、大学生活のディティールの描写が豊かでリアルです。現在大学生の人にはもちろん、これから大学生になる人にも、大学生活の魅力を教えてくれる作品です。

『ハローサヨコ、きみの技術に敬服するよ』ITリテラシーの高い高校生が思わぬ事件に巻き込まれて


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 小夜子さよこと誠は現在同じ高校に通う幼馴染。人情の機微には疎いけれどパソコンのハッキング能力に長けた小夜子は、誠とバディを組み、誠が友人たちから持ちかけられるネット上の難題――学校裏サイトに誹謗中傷を書き込んだ人物を特定する、彼女に誤送信してしまった誤解を招きそうな写真付きメールを削除する等――を次々に解決していました。小夜子にかかれば、学校のパソコンに侵入してテスト問題を入手することなど朝飯前で、そんな噂が噂を呼び、誠のもとには依頼者が絶えません。
 ある時、誠のもとに井上という男が現われます。彼は、情報セキュリティ会社・マモールの社員を名乗り、社が主催するネット上のテクニカル・コンクールに、小夜子に参加してもらいたい旨を話します。井上が小夜子の存在を知っていることに驚く誠。というのも誠は、小夜子が厄介ごとに巻き込まれないよう、自分が矢面に立ち小夜子の存在を秘密にしていたからです。

今はまだ問題ない。知り合いからの頼まれごとを、地味に解決しているに過ぎない。結果的にひとの役にも立てている。ただ、正式な仕事となると、ある程度の規模で報酬を受けてやっていくことになる。それに、小夜子は依頼人の事情や思惑にほとんど関心を持たない。頼まれるままに引き受けていたら、最悪の場合、知らず知らずのうちに悪だくみに加担されられてしまうかもしれない。(中略)彼女にはすばらしい才能がある。才能はもちろん磨くべきだ。一方で、その貴重な能力は、なるべく目立たないように隠しておいたほうがいい。時が熟すまでは軽はずみに使わず、技術の向上に専念するのが望ましい。今の段階で他人の依頼を受け続けていれば、いずれ必ずトラブルが起こる。

 誠の予感は的中します。コンクールの課題は、とあるシステムのセキュリティを突破して、サーバーにいち早く侵入できた者が勝ちというもので、小夜子は見事優勝したものの、実は、井上はマモールの社員などではなく、マモールへ不満を持つ下請け会社の人間で、小夜子は無自覚のうちにマモールに被害を与えていたのです。
 相手が罪に問われないよう庇いあう小夜子と誠。スリリングな事件の展開に加え、ふたりの関係性も読みどころのひとつ。友情とも恋とも違う、一般化できない唯一無二の「相棒」小説でもあります。

おわりに

 甘酸っぱく可愛らしい学園小説を多く手掛ける瀧羽麻子。現在、学生の人はもちろん、かつて学生だった人に、あの頃の胸の高鳴りや切なさを喚起する小説でもあります。また、恋愛小説であっても、数学、科学、バイオ、ネットなど、理系分野の知識が得られるのも魅力です。そんな瀧羽麻子の小説をぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2022/08/31)

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