採れたて本!【ノンフィクション#01】

採れたて本!【ノンフィクション】

「メタバース」という電脳語が脚光を浴びている。バーチャル現実の本格拡張版というか、要するに「物理現実と対等といえる超仮想現実」のことで、各種知覚デバイスと情報空間のスペックアップがそれを可能にするのだ。

 現状、仮想通貨・NFTがらみで経済面から話題になることが多いメタバースだが、「マジでその中で暮らせる」さらに「環境を恣意的に構築できる」といった文化的価値の深さを軽視してはならない。この側面について多面的な考察のきっかけをもたらす快著が『メタバース進化論』だ。著者のバーチャル美少女ねむ氏はメタバース空間の「現役住民」であり、実感を踏まえた知的展望を存分に語ってくれる。現状の限界や「萎え」ポイントについての率直な心情吐露も興味深い。その著者が全力で力説するのは、メタバース空間では「誰もが【なりたい自分】になれる」という点だ。だってボクもこうして堂々と「美少女」としての生活を満喫しているし! というお話。

 しかし考えてみよう。特にこの状況で自己実現を成し遂げるには、ある程度の作家性が不可欠だ。そしてねむ氏は実際ソレ系の強い資質を有しており、ゆえに成功し、メタバースの他の住民たちともうまくやっていけているのだと感じる。

 現実は厳しい。メタバースが世に一般化し普及するにつれ、作家性を欠いた恣意性だけを膨らませながら「一般市民」たちが続々と超仮想空間に入ってくる。バーチャル酒場のテーブルを四人の綾波レイ(いずれも中身は初老の以下略)が囲んでモツ煮込みをつつきながら、出てくる話題は競馬とプロ野球のみ! といった微妙すぎる情景が随所で見られるだろう。それは自己実現ではなく欲求の部分充足の連鎖であり、大型ビジネスにとって好都合なカモ的存在でもあるのだ。

 が、しかし。

 物語クリエイターにとっては、むしろこの煉獄のような状況こそがインスピレーションを刺激するのではないか、とも感じる。人の想像力の「欠如」を触媒としながらオモシロで説得力ある物語を紡ぎ出してしまうのが、ある意味、作家の宿命みたいなものでもあるからだ。

 また逆に、想像力の「過剰」がもたらす危険性も一種の見どころを形成する。たとえば、ボルヘス文学の主要テーマである「強靭で徹底した主観による現実の侵蝕」が、ついにリアルに爆誕する! といえてしまうのだ。これは怖い。

 メタバース空間はネット以上に「人間の本質」が善悪ともに戯画的に強調される領域になりそうだ。何やら「最後の審判」の下準備のように見えなくもないが。

メタバース進化論

『メタバース進化論
仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界

バーチャル美少女ねむ
技術評論社

〈「STORY BOX」2022年7月号掲載〉

源流の人 第23回 ◇ 平尾 剛 (神戸親和女子大学教授、スポーツ教育学者)
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